第5章 - ⑥ 魔弾


 ◆


「――退がって! 術が破れるの!」


 葛葉が警告を発すると同時に、その異変は生じた。


 無貌の仮面に描かれた筆文字と文様が、突如せいを得たかのように蠢きだしたのだ。面上をムカデのようにうねうねと這いまわるそれは凄まじい勢いで増殖を繰り返し、たちまちの内に面から収まりきらなくなり、ぼとぼとと地に落ちる。一匹一匹が巨大かつ邪悪な気配を纏っていることは、礼央にもわかった。


 危険を感じた礼央たちは無貌から距離をとり、かわりに無貌を包囲するプロ陰陽師集団が前に進みでる。


「わたしたちにお任せください!」


 集団のリーダーらしき人物の一声と同時に、全員が呪符を無貌めがけて投擲。一糸乱れぬ統率された行動だ。


 無貌にありとあらゆる呪がふりかかり、盛大に炸裂する。もはや捕縛目的ではない。命を奪うことで敵を完全に沈黙させる最後の手段を行使した。だが、悲痛な呻き声を上げて、地に倒れ伏したのは一団のほうだった。


「舐めるなよ、小僧ども。我は九十九よ。数多の呪と外法を宿した鬼面よ。我に返せぬ術などこの世にたったひとつも存在せぬわ」


 ツルと水の縛めから解き放たれた無貌が静かに宣言した。いや、正確には無貌ではない。明らかに今までの無貌とは異なる声音。より深い闇から響くかのような、それでいて心にそっと忍び入り、とろかすような甘さとハリのある美声。


「面が――、九十九の面が喋っているの。無貌の精神も肉体も完全に面に奪われてしまったの」


 葛葉がぞくりと身体を震わせるのが伝わってきた。礼央も息を呑まずにはいられない。太一やメリッサ、大和も緊張にその身を固くしている。


 いまや無貌の周りを這う数多のムカデが、それまで白に支配されていた全身を黒く塗り替えている。それだけでもおぞましいというのに、面がまとう雰囲気の剣呑けんのんさは外見以上に礼央の本能に危機意識を感じさせるのだ。

 だが、礼央はその場であえて大胆不敵に笑ってみせることを選んだ。


「くるならこいよ! どうせ選択肢はねえ。無貌だか、九十九の面だか知らねえが、どっちにしろ徹底的にやりあうしか道はねえんだ。ここらでとっととケリをつけようぜ!」


 ムカデの俗信に『絶対に後退しない』というものがある。ゆえに戦国武将の中には兜の前立てや旗差物の柄として用いる者がいたそうだ。後退しない――できないのはあちらだけではない。こちらも同じ。お互い手に入れたいもの、守りたいものがあるのなら、結論はもうでている。


「先輩の言うとおりなの」

「わたしたちが迷い臆することなど一切ない。やるべきことはひとつだ」

「学園の――相馬原の問題に巻きこんでしまって悪いが、もうあと少しだけつきあってくれないか」

「ったりめーだ、ヤマト。任せとけ! で、メリッサ、次の作戦はどーする?」

「そこでわたしにふっちゃうの? もう、作戦らしい作戦なんてないわよ。残った手札はジョーカーが一枚。ぶっつけ本番一発勝負でやるしかなさそうよ」

「しゃーねー。まあ、それもサバゲー部らしいっちゃらしいか」


 礼央がアサルト機銃――M4A1カービンを構え、太一たちに目で合図を送る。全員、準備は整っている。


「抗うか。ならば我の贄となれ」


 ムカデの大群がいっせいに無貌のもとから離れ、放射状に広がった。そして、むくりと立ち上がる。それはムカデと人間をあわせたかのような奇妙な闇色の生物であった。

 すかさず礼央がアサルト機銃のフルオートで迎え撃つ。


「影山! 明海! 頼む!」

「「了解しました! 太一様!」」


 射撃によって歩む速度を緩めたムカデ人間と傷ついた陰陽集団の間に、影山と明海が水壁を展開。わずかしかもたないのは承知の上。だが、その間に葛葉と大和の呪符とメリッサのパナケアによって負傷者に応急処置を施す程度の時間は稼げた。壁が突破される直前には、なんとか全員を退避させることができた。


 問題はここからだ。ここまではなんとか打ち合わせなしでも連携が繋がったものの、ここから上手くいくかどうか。


 BB弾はムカデ人間相手にも効果を発揮してくれている。壱絆姉妹や大和の呪符、メリッサのナイフも同様にムカデを一匹また一匹としとめていく。なにより、空中を飛び回るふたりの烏天狗の活躍ぶりはめざましい。

 とは言え、ムカデ人間は無尽蔵に湧いてくる。狙いが礼央たちの体力を消耗させることなのはわかっていても、なす術がないのだ。それに、無貌に――九十九の面に攻撃が届いたところで、先ほどのように易々と弾かれてしまうのでは元も子もない。


 覚悟を決めたクセに、まだ不安にかられる自分に礼央は言い聞かせる。――仲間を信じろ。そう、おれたちに切り札はまだ残されている!そう心中で叫ぶと同時、あまりにも場違いなメロディーが流れた。

 童謡だ。野ばらが咲く池の周りを、蜂が飛び回る情景を歌ったあまりにも有名な唱歌。それがメリッサのスマートフォンから流れている。


「ごっめんねえ、よりによってこんな時に着信だわ」


 こともなげにそのまま電話にでるメリッサ。本来なら呆れる場面だろう。が、礼央は笑みを浮かべた。葛葉と大和もだ。事情を知らない太一のみが怪訝な表情を浮かべた。


「さあ、わたしのもとに集いなさい! 働き蜂ども!」


 メリッサが叫ぶや、爆音が鳴り響き、強風が吹き荒れた。

 ヤドリギが変じた砂がもうもうと舞い上がり、その場にいた全員が耐え切れずわずかの間、目を閉じた。敵に隙を与えることにはなるが、さしものムカデ人間たちもこの急激な変化には攻撃する手を止めずにいられない。


 礼央が目を開くと、宙に光の輪が浮いていた。砂嵐の中を天使が舞い降りたかのようなあまりにも幻想的な光景。しかも天使は二人に見えた。いや、実は一体。


 CH―47チヌーク――米軍や自衛隊に配備されている大型輸送ヘリだ。ローターブレードと砂塵が衝突することによって生じた放電現象こそが天使の輪の正体であった。


 そして、メリッサ――ミツバチを招く多年生のハーブであるレモンバームの別名を持つ少女が艶然と微笑む。

 操縦席に座る男こそ、誰あろうサバゲー部の若手有望株兼技術屋、お調子者が玉にキズの市ヶ谷幸治こうじ


 そして、前方の扉が開き、そこから姿を現したのは――サバゲー部顧問にして陰陽師――西中島丙。今回も銃を構えての登場だ。

 手にした銃はアキュラシーインターナショナルAW―50。アンチマテリアルライフルに分類される大口径の狙撃用ライフル。


「みんな伏せて。こいつはホンモノよ! 実弾ぶっ放すから気をつけなさい!」


 狙いはすでに万全。礼央たちが伏せるのを確認し、トリガーを引いた。

 同時にくろこがヘリコプターから飛び降り、太一と葛葉の前に立って結界をはる。五十口径の巨大な銃弾が砂塵を切り裂き一直線に飛び――見事に面の額をとらえた。


 いかなる秘術をも発動させる余地を与えない急襲が効を奏した形だ。戦車の装甲すらも貫く圧倒的なエネルギーが無貌の身体を盛大に吹き飛ばし、地面に激しく叩きつけた。


 これこそ礼央たちが用意した最後の切り札――西中島による直接狙撃。


 まさか実銃を持ってくるとは礼央も予想していなかったが、術を跳ね返す能力を持つ相手だ。むしろ単純に物理的な破壊力に頼るのが、現状打開策としてもっとも適切な解なのかもしれない。


 やったのか? 礼央は吹き飛ばされた無貌を凝視する。戦車を相手どるライフルで頭部を打ちぬかれたら通常はどうなるか? 答えは簡単。跡形もなく吹き飛び、周囲は血の海。


 だが、無貌は――九十九の面はどうだ。血の匂いはしない。辺りを鮮血が散った様子もない。グロテスクな光景を見たいわけではないが、今はかえって嫌な予感がする。


 その予感は的中する。無貌はゆっくりと起き上がった。高威力の銃弾を受けたというのに、面にはヒビひとつ入っていない。礼央はあらためて戦慄を覚えた。


「やっぱり、この程度じゃ甘いか。でも、これだとどうかしら? 太一! あなたは今すぐ篭手をひっこめて!」


 対する西中島はいたって冷静。輸送ヘリから飛び降り、屋上に降り立つや、第二射を放つ。


 今回は不意打ちではない。今度こそ高速の世界に逃げこまれてしまうのではないか……。礼央の予想通り、無貌は人間技ではない反応を見せる。


人の目には瞬間移動としか見えない跳躍。瞬時に五メートルほどの距離を移動してみせた。 

 が、西中島が放った二弾目は一弾目とは根本から異なる正真正銘の魔弾。


 礼央も加速の術をかけていれば視認することができたであろう。銃弾が一直線ではなく、無貌の移動を正確に追尾して飛んだことを。


 再び、大口径の銃弾が九十九の面をとらえ、吹き飛ばした。硬いものが砕け、欠片が飛び散り、身体はしたたかに地面に打ちつけられる。


 九十九の面が「ぐっ!」と微かに呻くのが、礼央の耳に届いた。仕留めきれてはいないが、先ほどまでとは明らかに様子が異なる。ムカデ人間たちが司令塔の異変に右往左往し、動きを鈍らせていることからもそれはわかった。深刻なダメージを受けている証だ。


 この機を逃さず、礼央とメリッサ、大和の三人でムカデ人間の殲滅にかかる。統率を失った彼らを撃破するのはたやすかった。

 その間に西中島が三射目の準備を整え終えるが、無貌もまた立ち上がる。


「やっぱり一発当てただけじゃ全破壊は無理ね。でも、こいつが絶対狙いを外さないってのはわかったでしょ。跡形もなくなるまで撃ち続けるまでよ」


 今や状況を掌握しているのは西中島。だが、礼央にはわかる。表面上は余裕ありげにチェックメイトを告げつつも、凄まじいまでの緊張を強いられていることを。


 手負いの獣ほど危険なものはない。追いつめられた獣はあきらめることを知らず、最後の最後までハンターへの反撃の機会をうかがっているのだ。


 礼央は対峙する両者とその周囲に細心の注意を払い、何かがあればすぐに動ける体勢をとる。それは太一たちも同様だ。


 九十九の面は銃撃によって大きく放射状のひび割れが入り、銃弾を直接受けた部分は無惨に欠け落ちている。アンチマテリアルライフルによる攻撃であることを考えれば、ありえないほど軽微な損傷に思えるが、これまでの経緯を考えあわせればここまでのダメージを与えたことは快挙といってよいだろう。


 一体、あの面の素材はなんなのか? また、面はあらゆる術を無効化すると豪語していたにも関わらず、どうして銃弾の追尾効果を打ち消すことができたのか? 今さらながらに礼央は疑問を抱く。


「この銃弾はとある伝承で有名なハンマーを融かして鋳造した特別製よ。――源翁心昭げんのうしんしょうつち


 礼央は源翁心昭という単語には聞き覚えがなかったが、太一たちは何かに気づいたらしい様子をみせた。


「それって何だよ? 坊さんの名前みたいだが」

「その通りなの。かつて殺生石を槌で砕いて破壊したとされるとても偉いお坊様がいたの」

「いわば由緒正しい最強の殺生石クラッシャーだね」


 葛葉と大和の簡単な説明により、礼央もようやく理解が追いつく。そして、発言の意味に気づいて目をむいた。

「おい、殺生石って。――まさか、あの面は!」


 つまり銃弾は対殺生石専用の武器。しかも殺生石が素材である篭手を持つ太一に武装解除を命じたということは、銃弾が太一にむかうのを防ぐためということ。


「そう、殺生石を削りだして作られた面――それが九十九の面。そして、九十九の悪鬼が宿るというのは半分正解で半分間違い。確かに数えきれないほどの悪霊が封じられているけれど、その根源はひとつ。ほとんどはたった一体の悪霊に呼び寄せられ、吸収されてしまった有象無象にすぎない」

「先生、まさか……、『九十九』の意味って……」

「そうよ、大和くん。『九十九』という言葉の真に意味するところに、もっと早く気づくべきだったのよ」


 『九十九』――『百』に『一』足りないこの数字を漢字一文字で表すことができる。それは何か?


 答えは『白』だ。


 つまり、『九十九の面』とは言いかえれば『白の面』――『白面』だ。


 そして、礼央たちはその名を冠するある妖怪の名を知っている。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る