第5章 - ④ 狐罠

 幼き日の情景が今一度よみがえる。

 アクシデントは姫子からやっと鬼を祓えたかと思えたその瞬間に起こった。姫子の――いや、鬼の最後の悪あがきともいえる一撃が太一を襲ったそのとき、今まで地面に尻をつき震えていたはずの礼央がふたりの間に割って入った。


 左腕に大怪我を負い、崩れ落ちる礼央。そのかたわらで大声で何ごとかを叫ぶ太一。壱絆家の陰陽師集団に動きを封じられる姫子。


 ――そして、礼央と太一のもとへ涙を浮かべて駆け寄る少女。葛葉だ。泣くことを禁じられた少女が、その日涙を流した。妖狐の末裔の血と涙は猛毒のみなもととなる殺生石をしょうずる。陰陽師たちの間に走った緊張はいかばかりか。


 しかし、最悪の事態は陰陽師集団の中にいた西中島によって避けられた。彼女がおこなった緊急手術は驚くべきものだった。殺生石から生じる瘴気を、姫子に憑依した鬼の霊体内に吸わせて強引に封印。さらに霊体から左腕のみを切り離し、機能を失いつつある礼央の左腕に結びつけることで蘇生をはかるという大手術がおこなわれた。


 結果、礼央は左腕に制御困難な力を宿すことになった。訓練により日常生活レベルでの抑制はなんとかできるようになったが、繊細な調整は難しく、大好きな野球を奪われることになった。荒れていた時期ですら、喧嘩で左を《《人間》相手に直撃させたことはない。わざと左の攻撃をはずして手近な物を破壊。威力をアピールして警戒させてから、右ストレートで仕留める必勝パターンは仕方なしの戦法だった。


 鬼の篭手は太一たちのあやまちの象徴。今は違う。忌まわしき過去なら先刻乗り越えたばかり。旧友より借り受けた力――平穏な日常を取り戻すためにもっとも頼れる武器として、存分に活用する!


「デーモン! アンド! フォックスファクター! 何それ、何それ、すっげーおもしろそう。太一っ! もっとじっくり見せてよっ!」

「お断りだ! 知りたいのなら、直接身体で感じとれっ!」

「わお! ドン! シンク! フィィィィィル! って、やつね。オッケー! とことん感じあおうぜ。ブルース!」


 間合いをとるために、ふたりが武器を引くタイミングは同時だったが、そこから攻撃を繰りだす動作へと移る速度は、メリッサがまさった。

 太一も怯みはしない。相手の動きを冷静に見すえ、剣先に篭手の一撃をあてにいく。


 呪力を帯びた木剣とはいえ、圧倒的な硬度を誇る殺生石にカスリ傷ひとつ負わすことができないのはすでに証明済み。幽閉場所の扉を物理的に打ち砕くほどの力を秘めた篭手だ。最初から破壊するつもりで叩けば、小枝のようにへし折れよう。


 果たして――メリッサの剣はあっけなく砕け散る。

 しかし、メリッサはその笑顔を崩さない。いや、今まで以上に歓喜に打ち震え、満面の笑みを浮かべているではないか。


「罠にかかったキツネを値踏みする猟師の気持ちってわかる? わたしはわかる! 今がまさにそんな気分だから!」


 空中に散った無数の木片がいっせいに爆ぜた――と、太一には思えた。間違いだとすぐに理解する。正しくは木片からヤドリギの枝が生えたのだと。数多のヤドリギが鋭利な槍となって太一を襲う。

 怒涛のごとく押し寄せる槍衾やりぶすまに左手一本で立ちむかうなど不可能。太一はすかさず右手で刀印を形作るなり、宙に五芒星を描いた。続けざまに刀印を五芒星の中央に突きつけてセーマンを完成させる。


 術はたちまちの内に発動。槍の大部分が勢いを削がれて地に落ち、アルミの床を削る。

 それでも、減速することなく迫りくる槍はかなりの数。

 取りこぼしは篭手で対処しようとするが――

 左手をかいくぐったヤドリギのむれはまるで巨大なトラバサミ。獰猛なあぎとが太一の肉体に喰らいつき、その牙を、肩に、胴に、腰にと、次々と突きたてていく。


 ◆


 深紅の花が秋の夜に乱れ咲いた。

 彼岸花――曼珠沙華の名でも広く知られる多年草。死人花、地獄花など不吉な響きを持つ別名にことかかない植物だ。


 ――狐花きつねばなという呼び名もあったか。


 無貌は繰り広げられる死闘を前に浮かんだ連想に、ひとりひそかにほくそ笑む。妖狐の末裔を裂いて咲く花が、燃えるように紅い有毒の曼珠沙華とはなんと皮肉なことだろう。


 ああ、そして――捨子花すてごばな。こちらの異称はおのれへの皮肉となろうか。


 曼珠沙華の咲き乱れる野に置き去りにされた赤子。それが無貌だ。生みの親にどのような事情があったのかはわからないし、知るすべもない。そも知りたいとも思わない。動乱の世なのだ。やむにやまれぬ事情であろうと、身勝手な事情であろうと、生みの親を恨むつもりなどない。


 ただ、あの人を――人生の始まりから彼岸と此岸しがんの境に立たされたおのれをこの世に繋ぎとめてくれたあの方を、奪い去った理不尽。それだけは許すわけにはいかない。


 だから、今もこうして醜くも生きながらえて、あの人のために――たったひとつの願いを成就させるためだけに、この場に立っている。


「まぁだ、まだあ! これで終わりじゃないのよねえ!」


 メリッサと名乗った異国の女狐が叫ぶ。すると太一に迎撃され、地面に突きたてられたヤドリギが、軋るような音をあげて震えだした。

 ヤドリギから新たな枝が生じ、地面が樹木で覆い尽くされていく様子は壮観だ。


 無貌は裏切り者を忌み嫌う。メリッサを信用するつもりは微塵もないし、そもそもこの女は無貌の目的を野蛮なテロ行為と勘違いしている。だが、技量はかなりのものであり、小鬼や蜘蛛のような雑兵ぞうひょうとは比べることもできないほど、有用な駒であることは認めざるをえない。


 もともと小鬼や蜘蛛も計画達成の時点で切り捨てるつもりだった。その方針はメリッサにも適用される。ただ、雑兵よりは処分に手間がかかりそうだ。


 屋上一帯にヤドリギの枝が張り巡らされ、ヘリポートを示す『H』の字も見えなくなった。さて、これからどうするつもりだ? 殺生石の篭手には驚かされたが、太一にさらなる切り札があるようにも思えない。


 太一を包囲するように生い茂ったヤドリギの枝がいっせいに、鋭利な切っ先をターゲットにむけて次から次に絶え間なく突進していく。

 太一は篭手とセーマンでしのぐが、それでも何本かは、かわしきれずにその身に受ける。もはや形勢は明らかだ。


 双方、技術は互角。命の奪いあいが日常だった時代を知る無貌ですら、見惚れるほどの見事な呪術戦。それもここまでか。


 無貌はここでも思案する。メリッサにこのままとどめをささせるか。それとも、ここで止めに入り自ら引導を渡すか。肩にのしかかる重みにも意識をむける。葛葉を気絶状態から解き、愛する肉親の死を目撃させるか、それとも太一を葬ってからその死に様を告げるか。どちらがより葛葉に深い絶望を刻むだろう。


 が、無貌の思惑をも超え、メリッサと太一の攻防は更に激しさを増す。攻撃に次ぐ攻撃に防戦一方、もはや回避に専念するしかなくなった太一が後退をよぎなくされ、端へと追いつめられていく。


 無貌が、まずいと感じたときには、すでにメリッサが突進したあとだった。


 ひときわ鮮やかな大輪の花が咲く。


 迷彩服を全身赤く染めた太一が、天を仰ぐようにゆっくりと倒れ――そのまま屋上から転げ落ちた。


 太一の生死そのものはどうでもよい。ただ、儀式には太一の魂魄こんぱくと身体――それが仮初かりそめの他人の肉体であっても――が必要だ。転落だけはいけない。


「あちゃー。やりすぎちゃった。ごめんなさーい、無貌様」


 メリッサの戯言に耳を貸す余裕すらなくした無貌が体内感覚を切り替える。

 全感覚を研ぎ澄まし加速。まずは右手に抱えた骨壷を地面に置く。続けざまに肩に背負った荷物を放って駆け出そうとするが――


 その瞬間、拍手かしわでが鳴り響いた。


 場違いなほどに良く通るたった一度の拍手。

 その音声を耳にした瞬間、無貌の足は止まった。いや、足だけではない。全身が――呼吸器までも、がんじがらめに縛られている。

 そして、葛葉がとっくの昔に意識を取り戻していたことに気がついた。


「――金縛り。わたしの得意技なの」


 背後から少女の声がするも、振りむくことすらかなわない無貌にできることは、正面に立つ拍手を鳴らした女狐――メリッサを睨むことのみ。


 さらにその背後から、ふたりの烏天狗に両脇を抱えられた太一が現れた。

 そのままヘリポートに降り立つと、五人はいっせいに、再度拍手を打った。


 それは先ほどをしのぐ大音声。


 周囲に響くや、まずデッキ部を覆ったヤドリギが砂と化して崩れ落ちた。ヤドリギの群生の中にひっそりと隠されていたクズのツルが露わになる。大量のツルがムチのようにしなって動きを止めた無貌に襲い掛かり、さらなる縛めとなる。まだ終わりではない。ふたりの烏天狗――影山と明海が手にした錫杖から激しい水流がほとばしる。


 水流はそれ自体が縄として機能するだけでなく、ツルにさらなる力を与え、より太く頑丈な拘束具へと進化させる。水生木すいしょうもく木火土金水もっかどごんすいの五つの要素が循環し、各要素を順に生みだすという五行相生ごぎょうそうじょうの理念を応用した合わせ技。


 無貌は自分が周到に張り巡らされた茶番劇にまんまとはめられたことを知った。


 さらに、背後の扉が開き、大勢の人間が入ってくる気配を感じた。学園内にいる活動可能な陰陽師がこの場に勢ぞろいしていることなど、もはや振り向かなくてもわかる。


 またたく間に包囲された。全員が呪符を手にし、無貌が少しでも不審な様子を見せれば即座に動く構えだ。


 そして、一団の中から進みでてくる影がふたつ。ひとりは学園長の孫、相馬原大和。もうひとりは――

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