第1章 - ⑦ 五等分のオニオン

「変身ヒーローごっこもこれ以上はつきあいきれねーな、小僧ども。お兄さんたちが本当の妖術、本物の変化へんげってのを見せてやろーじゃねぇか」

「いやいや、アケ。あなたもたいがいお優しい。わたしは別にこのままでもいいんですけどね。どうしてもと言うなら、いいでしょう」


 ふたりは懐から厚手の紙で作られた札を取りだした。一見すれば同じようだが、ふたりが手にする札には若干の違いがある。影山の持つ札にはある和歌の全文が、明海の持つ札にはその和歌の下の句のみが書かれている。百人一首の歌がるたで用いる読み札と取り札だ。

 戦闘中に取り出すアイテムとして、これほどそぐわない物もないだろう。


「「「「「あぁ! 良い子の遊びか! コノヤロー! 正月にはまだ早いぜっ!」」」」」


 思い違いもはなはだしい。百人一首とは、かるた取りの遊びにあらず。五音、七音、三十一文字に詠み人それぞれの秘めた想いを綴った詩。

 古今東西ありとあらゆる魔術・妖術は詩と関連づけて語られる。呪術とは言葉。和歌とは呪術。言葉によって世界を規定し、法則に干渉し、操作する技術。

 掛詞、縁語に対句、折り句など、多彩な修辞技法によってつむがれる日本古来の韻文は高度な呪術以外の何ものでもない。


 ――瀬をはやみ岩にせかるる滝川の――


 鬼の罵声を無視して、影山が札でセーマンを描きつつ、上の句を読みあげる。


 ――われても末に逢はむとぞ思ふ――


 明海がドーマンを描きつつ、下の句をつなぐ。

 再び、宙に描かれたセーマンとドーマンから光が放たれる。

 閃光は瞬く間に膨張し、ふたりの全身を包みこむ。その輝きは金剛杖を出現させた時よりも遙かにまばゆい。やがて、光が収束し、光の中から影山と明海が現れ出でる。


 装いは、先刻までとはまったくの別物。純白の学生服は黒の鈴懸すずかに朱の結袈裟ゆいげさ、両手には手甲脚半てこうきゃはんの山伏姿。白木の金剛杖も重量感のある鉄製の錫杖しゃくじょうに変じている。


 そして――頭上に円形の頭襟ときんをいただいたその顔はもはや人ではなかった。


 日本に古来より生息する闇色をまとった鳥類――カラスのそれだ。

 さらに、その背には燦然と威光を放つ金色の巨大な翼。

 かつて権力闘争に破れ、配流はいるの地にて天狗となりし貴人の呪によって顕現せし、そのあやかしの名は――烏天狗。


 小天狗とも呼ばれる彼らは、赤ら顔に長鼻の天狗よりも格下と見られがちである。だが、実際には後者よりも遙か古えの時代まで伝承を遡ることができるという。それは自在に空を駆け抜け、火炎を吐き、時には龍をも食らう大妖怪。すなわちインド神話における光り輝く神鳥、ガルーダ。それこそが影山と明海の真の姿である。

 身の丈自体は人であった時とほとんど変わりがないものの、周囲に放つ妖気の圧力はまるで違う。今や空気を震わせ、大地を揺らさんばかりの圧倒感。


「「「「「キ、キーッ! 正体さらしたくらいで、イキッてんじゃねー!」」」」」


 虚勢をはって下卑た挑発をおこなう鬼に、もはやふたりは言葉を返さない。

 おのれの身の丈と同じぐらいの長さの錫杖をすっと構えた。


「「「「「や……、やるってんなら! やったらー!」」」」」


 鬼が太刀を力任せに薙ぐ。

 続けざまに二閃。太刀の刀身から焔が生じ、鎌状の刃となって、影山と明海、それぞれのもとへと飛んでいく。


 対するふたりはすかさず錫杖を振りおろす。錫杖の先端についた遊環ゆかんが、清らかな音をあたりに響かせるや、ふたりと鬼の間に半透明の障壁が生じた。


「「「「「キッ……!」」」」」


 焔の刃が壁に衝突し、ふたりを引き裂くことなく消滅する。

 その壁は奇妙な性質を有していた。定まった形を持たず、ふたりの姿が歪んで透けて見えている。その正体は水。液体が物理法則に逆らい、空中で留まり、堅固な盾として鬼の前に立ちはだかったのだ。


 ひるむ鬼に、今度は影山と明海が仕掛けた。

 影山は金色の翼をはためかせて飛翔する。

 明海は屋根の上を駆けぬけ、水の障壁を突き破り、鬼へと一直線に迫る。

 明海による錫杖の打撃を、鬼はすんでのところで太刀によって受けとめる。


 だが、動きを止めた鬼を空中にとどまった影山が見逃さない。

 素早く錫杖を宙で一回転させるやいなや、遊環から幾筋もの水流が生じた。


 水の槍が鬼へ向かって一直線に突き進み、そのまま突き刺さるかという直前で、再び水は柔軟に姿をかえ、たちまちのうちに紅蓮の体躯をロープで縛るかのように絡めとった。


 鬼が必死にあがけども、いましめは固く、脱けだす術などもはやない。体から生じる炎で捕縄を打ち破ろうとするが、火が水を御するなど、五行相克ごぎょうそうこくことわりにおいて不可能。加えて学園の真北という神社の立地も水の属性を利した。


 影山は錫杖を持ち上げ、水のロープをたぐりよせる。鬼の巨体が浮き上がり、軽々と宙に舞った。続けて明海も空へと飛ばされた鬼を追いかける。

 そして、ふたりは呼吸をあわせ、なす術もなく宙を回転するしかなくなった鬼へ、寸分の狂いなく同じタイミングで渾身の蹴りを放った。


「「「「「て、てめーら! ふたりがかりなんて、ヒキョーだぞぉぉ!」」」」」


「……もともと数で勝っていたのはあなたたちでしょうが」

「バカ鬼が……。見せかけで強くなったつもりになってんじゃねえぜ。その図体で屋根が軋みひとつあげねえなんて、ありえねーんだよ」

 爆散した鬼に対してふたりがかける言葉はあくまで冷ややかだった。


「さて、今度こそあなたたちのあるじの名を教えていただきましょうか」

「とっとと吐いちまったほうがいいぜ。もうそろそろ太一様も駆けつけてこられる。太一様に比べたら、おれたちの尋問なんて優しいもんだぜ」

「キッ! そ、そんな恐ろしい奴がっ、じゃなかった、そのような鬼のように恐ろしいお方がいらっしゃいまするでありまするですか! カッ……、カラス様! わ、わかった! わかりました!」


 元の姿に戻り、水の縄で縛り上げられた五匹の小鬼たちに、当初の威勢の良さはどこにもない。赤鬼が代表して降参の意を示し、媚びへつらう。


「わかったんなら、とっとと喋りなさい。とっとと」「ふむ。未完の太極にしたがう、偽りの両義がなんとも偉そうなことよ」割りこむようにして、どこからともなく声がした。


 炎に焼かれ、燃えつき、何もかもが涸れ果ててしまったような声音だった。錆つき、朽ち果て、男女の別も定まらない。地を這いずるムカデを想起させるおぞましさ。なのに、奥底にはどこか甘やかな色気をも感じさせる矛盾した要素をはらんでいた。


 小鬼たちはもちろんのこと、カラスでさえもその凄絶な呼びかけにその身を縫い止められたかのような錯覚を覚えた。それゆえ、次の行動にわずかな遅れが生じた。


 影山と明海が臨戦態勢に移行しようとした時には、すでに声のぬしによって、何かが猛スピードで投じられたあとだった。

 ふたりも即座に錫杖をふるい、水壁を生みだそうとする。が、防壁として充分な厚みを生じさせるより速く、鋼の異物が水を通りぬけた。


 形をなすことなく水が地に落ち、屋根を濡らす。そうしてできあがった水たまりに、影山と明海の肩から生じた液体が滴り落ち、水たまりを朱に染めていく。

 影山の右肩、明海の左肩、それぞれに深く突き刺さった武器の正体は螺旋の鋲だ。


「――っ、貴様、何もの……」

「ぐっ、何を仕こみやがった……。ち、力が入らねぇ……」


 ふたりは苦痛に耐え、襲撃者を睨みつける。純白のコートを纏い、顔を仮面で覆い隠した姿から、年齢や性別を読み取ることはできないが、仮面に描かれた文様が『急急如律令きゅうきゅうにょりつりょう』を意味することはわかった。


 陰陽師だ。


「その程度の水流を操っただけで、四象ししょうを統べた気にでもなったか。カラスごときが。貴様らなどキツネ狩りのエサにしかならんわ」


 いつしか、雨雲が空を覆いつくしていた。天より落ちた水滴が膝をついたカラスたちの顔をなぶるように打ち始める。


無貌むぼう。我が名なら、そうとでも呼ぶがいい」


 降り出した小雨の音に紛れそうなほどにかすかな呟きは、薄れいくカラスたちの意識に、かろうじて届いた。

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