第1章 - ⑧ 堅物と無貌


 ◆


 小雨が降りだしたのは三時四十分を過ぎてすぐのことだった。


 ――影山! 明海!


 雨の訪れとほぼ時をあわせるように、太一はふたりの放つ妖気が消えるのを感じた。

 場所は文科系部室棟をすぎ、神社近くの駐車場に差しかかったあたり。


 ふたりから連絡を受けたのは、つい十分程前。葛葉と談笑していた時だ。

 クラスの演劇で友達に褒められたこと、たまごかけごはんがマイブームでいろいろなトッピングを試していることなどを、さも楽しそうに語る。本家で暮らしていたころは、あまり見ることのできなかった妹の笑顔に、つられて太一もほころんだ。


 そんな中、一匹の猫が訪れ、人語で「星辰神社ニ変事アリ」とのみ告げて去った。神社で昼寝をしている姿をたまに見かけるキジトラだ。元より喋れるわけではない。それは烏天狗が猫に宿した式神の仕業だ。式神とは術師の命に従い伝令などをこなす使い魔である。彼らにとっては、杖で地を鳴らす簡単な動作で式神を放つなど造作もない。


 あのふたりがおくれを取る事態などそうそう起こるはずがない。だが、現に彼らの妖気はかき消えた。これは自分の想像を超えた大事の発生を意味しているのではないのか。神社へ向かう歩幅は徐々に大きくなり、自然と駆け足になる。


 ◆


「市ヶ谷ー、壱絆の奴、こっちにはいなかったわ。そっちはなんか情報ない? 妹には会ったんだけどよ。なんか居場所聞いても『知らないの』って素っ気ない態度でよー。指導室と生徒会室ものぞいてきたけど、やっぱいねーし」

『あはは。葛葉ちゃん、先輩のこと嫌ってますもんね。先輩、ふたりになんか恨まれることでも、したんすか? 会長も先輩にはすげーキツイっすからね』

「知らねーよ。たくっ、それよりあいつの目撃情報ねーの」

『目撃情報って! うはっ! なんかUFOやUMAみたいっすね! ちょいっと、待っててくださいよ。いろいろあたってみますから』

「頼むわ。じゃ、いったん切るぞ」


 中等部棟を探したものの、太一に会うことはできなかった。今はあてもなく学園中央棟の二階をぶらついている。


 五階建ての学園中央棟は学園内でもっとも高い建物だ。一階の食堂や四階の図書室など生徒のための施設だけでなく、三階の職員室や理事長室など教職員の施設も集まっており、学園の心臓部というべき場所だ。


 ここ二階には生徒会室のほか、保健室や調理実習室、被服実習室などが設置されている。

 顧問の顔でも見ておこうかと思ったが、申請書提出に残された時間は約十五分。寄り道している余裕はない。


 中央棟と高等部棟をつなぐ渡り廊下にさしかかったあたりで、市ヶ谷から着信があった。


「見つかったか?」

『いたっすよ! 先輩! 鯖江たちからの連絡なんすけど、神社の駐車場付近で見たそーっすよ。かなり急いでたらしいっす』

「そーいや、下っ端ふたりが神社のほうにむかってたとか、なんとかいってたな。あんな誰もいない場所になんの用があんだよ。まあ、おれたちには都合がいいけどな。よし、作戦開始だ。壱絆と接触する。お前らはヤマトの指示に従え」


 ◆


 境内の様子は一変していた。

 あたり一面に妖気が満ち溢れている。それもただの妖気ではない。豆狸みたいな可愛げのあるあやかしが発するものとは、根本的に異なる禍々しさだ。


 邪気に侵された境内を用心しつつ進む太一の眼前に、突如何かが投げこまれた。


 翼に傷を負った二羽のカラス。

 太一はその正体に気づき、息が止まるような衝撃に襲われた。

 太一の良く知る者たち――影山と明海だった。日頃見慣れた人間の姿ではなく、その本性たるカラスの姿に戻っている。


 影山は右の翼、明海は左の翼に、それぞれ同じような刺し傷を負っていた。出血の量も多く、痛ましい姿に、太一の顔が苦渋に歪んだ。


 太一はふたりが投げこまれた方角を見やった。

 視線の先には、白コートを纏った仮面の人物が、社屋のいらかの上に悠然と立っていた。風に揺れる蓬髪ほうはつも、左右にはめた手袋もシミひとつない純白。だが、その白はどこか淀み、くすんだ印象を受けた。わずかに袖口から覗く肌のみが浅黒く、それが白の中から漏れでた邪悪の象徴のようですらあった。


「失礼ながら、入校許可を取られているとは思えませんが、本校に何用でしょうか? もし許可証をお持ちでないようでしたら、部外者は立ち入り禁止となっておりますので、お引きとりいただけないでしょうか」


 体の奥底からわきあがる怒りの衝動をこらえ、太一はつとめて冷静な口調で問う。


「うぅ…、太一様ここはお退きください……。無貌と名乗りしこやつは、おそらく人ならざる身。西中島様の助力を……」


 息を吹き返した影山が地に伏しながらも進言する。明海の方もかろうじて意識は保っているようだ。安否が確認できたことにひとまず胸をなでおろすも、影山と明海に対し斯様かよう狼藉ろうぜきをおこなった不届者を見過ごせるはずがない。


「やっとのお出ましだな。キツネよ。お前に用があってきた。お前と、お前の妹にな」


「わたしと葛葉に、ですか。なおさら聞き捨てなりませんね。まず本校の生徒と面会を望まれる際は面会申請の手続きが必要です。さらには生徒側の同意書もね。わたしはあなたとの面会を承認した覚えはありません。早急にお帰り願いたい」

「噂どおり、法律家の如き堅物よな、壱絆家いずなけの当主様とやらは。すみやかに律令をなせか。陰陽師むきではあるが……、気に入らんな」

「どうとでもおっしゃるがよい。お引き取り願えないようでしたら、力づくでも帰ってもらうまで!」


 太一は懐より取り出した五枚の札を、相手の仮面目がけて投げつける。

 札は宙で変じて矢へと姿を変えた。その狙いは正確無比。速度も常人では目視不可能。

 が、無貌は微動だにすることなく、右手のみで全ての矢をやすやすと受け止め、太一へと投げ返してみせた。


 矢は太一の投擲をはるかに上まわる速度で、持ち主目がけ飛来する。

 たまらずその場から飛びのき、矢をかわした太一だったが、さらに屋根から飛び降りた無貌の蹴りが間髪入れず襲ってきた。下腹部を狙いすました強烈な一撃。

 太一はすんでのところで避けるも、体勢を崩し地面に転がった。


 すぐさま起き上がるが、またもや仮面の蹴りが踊るような軽やかさで繰り出される。両手でガードし、なんとかその場をしのいだが、速すぎる攻撃に、こちらから反撃に転じる余裕は皆無。

 このままだとジリ貧。反撃の糸口は……。


 ◆


 礼央は星辰神社の鳥居をくぐり、玉砂利を踏みしめ、境内へと続く参道を急ぎ足で進む。残された時間は十分ほど。本作戦のタイムスケジュールはかなり厳しい。


 空を覆った雨雲のせいもあってか、辺り一面に不気味な雰囲気が漂っていた。さほど冷たい雨ではないというのに、なぜか悪寒を覚えた。


 信心深い性質ではないし、星辰神社を訪れたことも二回ほどしかない。しかし、天性の鋭敏な感覚が、聖域を侵犯するただならぬ気配を察知したのだろうか。

 予感にも似た嫌な気配を振り払うように、先ほど大和やメリッサと決めた手順を頭の中で確認する。


 礼央が壱絆太一に申請書を渡す。あとは捕獲担当部隊が太一を背後から襲撃。そして午後五時まで部室棟の空き部屋に閉じこめる。もちろん正体はばれないように細心の注意をはらう。

 閉じこめるとはいっても足止め程度。縄で全身を縛って倉庫に転がすわけじゃない。軽い悪戯、ちょっとしたドッキリ大作戦だ。


 捕獲担当部隊は二班にわけて、作戦開始の指示を出すまで待機させてある。大和班は西側の神社側駐車場に、メリッサ班は文化部棟北側と神社南側の間にある空きスペースにそれぞれ配置した。

 申請書を受け取ったあとのターゲットの行動次第で、身柄確保の担当班を変える作戦だ。


 申請書は雨に濡れないように、ひとまず折り畳んでコンバットパンツの尻ポケットにねじこんである。本降りになる前に、こいつを渡さねーとな、と思案しているうちに境内が近づいてくる。

 すると、誰かと誰かが激しくぶつかりあう物音が境内のほうから聞こえてきて、ギョッとした。


 ――喧嘩か?


 かつては自分も日常的に浸かった荒事の響き。


 ――あん、壱絆の奴、さては酒没収の恨みかなんかで報復されてんのか? いや、待てよ。ウチの学校の連中は基本的には裏でコソコソ悪さするだけのハンパもんばっかだ。生徒会長に真っ向からなにかやらかそうと考えるバカは、おれたちぐらいのはずなんだが。


 想像を巡らすも、納得いく答えはでない。

 第一、多数でひとりを囲んで攻撃を加えているような雰囲気ではない。


 一方が打撃を繰り出し、もう一方がそれを防御、攻め手はすぐさま次なる技を放つリズムの繰りかえし。一対一のガチンコバトルだ。

 礼央はとっさに参道の木陰に潜む。そのまま境内の様子がよく見える場所まで這っていき、懐から双眼鏡を取りだした。


 ――からまれてるんなら、加勢して恩を売るのもアリだな。このあとの計画をナシにして、一挙に企画承認までもっていけるかもしれない。


 双眼鏡越しに目にした、その先には――

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