第4章 - ⑤ 反撃


 ◆


 礼央は一度、大きく息を吸いこみ、吐き出した。言いたいことは言ってやった。あとは行動で思い知らせるのみ。徹底的にぶちのめす!


 呼吸を整え、メリッサの指示を脳内で今一度確認し終えると、スマートフォンのアプリを起動。画面に表示される指示に従って、アイコンをタップしていくだけの簡単操作。それだけで炎の塊が生じた。

 流石に葛葉が呪符で生み出したそれよりは、一周りほど小さく見劣りするが、このサイズでことたりる。


 さあ、作戦開始だ。


 カメラ機能との連動により、画面に映るのは倒すべき敵であり救出対象でもある変わり果てた少女が巣から降り立つ姿。何物をも引き裂く牙と爪、赤く燃える肌に、漲る筋肉。逞しさを感じさせる手足はやや長さを増したようで、バランスが悪い。もはや胸元のふくよかなラインしか美月であったころの名残はない。


 幼馴染――姫子と同様に変わり果てた姿に胸が痛んだ。あの日のように事態を収拾してくれる大人はいない。だが、あの日のような怯えもない。この場に自分以外に頼れる存在がいなくとも、恐れなど抱かない。必ず助け出すという決意があるのみだ。


 画面に表示された攻撃対象を人差し指で短く触れる。わずかな誤差も生じることなく、炎が矢のような速度で飛んだ。

「ふん、この程度の火力でわしに抗うか! 笑止!」

 炎はやすやすと切り裂かれ消滅する。礼央の脳裏に、少年のころに目撃したある光景がよぎる。オニグモが巣にからまった獲物を捕食する一場面。獲物が巣にかかるやいなや、潜んだ葉陰から素早く姿を現し、即座にとどめの一撃を与えるあの驚異的な俊敏さに恐怖を覚えた。


 負けじとアプリを素早く操作。炎塊を続け様にふたつ生み、間髪いれずに投じる。まだだ。さらに二度。時間差でふたつの炎を投げつける。


「くだらぬ! くだらぬ! 数を増やそうと意味などないわ」


 蜘蛛がわめくも、礼央は無視して操作に集中する。最初に投じた炎が両方消された時点で、画面上を大きく弧を描くようになぞる。続いて画面をはじく。

 礼央の指の動きに合わせるように、第二陣の炎のうち片方が、直線からカーブへと軌道を変化させる。もう片方は途中で弾け、強い光を放つ。それは蜘蛛の目を一瞬くらませるには充分な閃光だった。その間に残った炎が円を描くように蜘蛛の背後に回りこむ。閃光に硬直した蜘蛛にかわす余裕はなく、後頭部に着弾する。


「ぬっ! こしゃくな……。とはいえ、効かぬ。これしきの攻撃など、痛くもかゆくもないわ!」


 この程度の炎で蜘蛛にダメージを与えようとは礼央も思っていない。複数の炎を、搦め手を駆使して投じれば、すべてをさばき切ることは蜘蛛とて困難。それさえわかれば作戦の第一段階は成功だ。次に移行できる。


「さて、こわっぱの遊びにこれ以上つき合ってもおれん。先にあの世に送ってやるわ」


 そう言い放つや、蜘蛛はさっと右手を前に掲げた。何やら粘りのある白い塊がみるみる右手に集まるのを、礼央は注視する。

 それは蜘蛛の糸を寄り集めてできた白い塊だ。くろこたちもあの攻撃で自由を奪われた。


 その反撃はこちらも予想通り。今一度、スマホに指を滑らせ、画面に先ほどとは違う呪符の図柄を表示させる。粘液が飛来するが、あわてずにアイコンを軽くタップ。礼央と粘液の塊の間に水の防壁が生まれる。


「まだだ。まだこれで終りじゃねえぞ!」


 操作の手はゆるめない。複雑さを増すアプリの指示に、礼央の指は必死で食らいつく。


 水壁はその場に留まるばかりでなく、移動を開始した。緩慢な動作ではない。川が氾濫し堤防を突き破ったかのような勢いで、粘塊ごと押し返し、蜘蛛へと迫っていく。

 蜘蛛が防御のために動きを止める。その動作を確認し、礼央も更なる行動を開始する。


 第三フェイズに突入した。

 まず、捕らわれのくろことまめだのもとへと一気に駆け抜ける。アプリで水の刃を形成し、二匹の縛めを引き裂く。更にモードを切り替え、回復の呪符を呼び出し、すかさず護法プログラムを実行する。

 くろことまめだの覚醒を脇目に、再び水のモードへと戻す。防壁の展開も忘れない。


「ぐっ! こわっぱ風情が生意気な……」


 ここで蜘蛛に動揺の色が浮かぶのも、メリッサの読み通り。張り巡らされた罠の網に、今度は蜘蛛自らが飛びこもうとしている証だ。

 礼央は、目覚めたくろことまめだに、要領よくメリッサの作戦を伝える。二匹も即座にうなずく。


 第四フェイズ。ここからは連携が重要だ。


「雑魚が何度立ちあがろうと、雑魚であることは変らぬ! 貴様ら揃って今度こそ永遠の眠りにつかせてくれるわ!」

「さっきのようにはいかないよ! 葛葉ちゃんと美月ちゃんをいじめたお仕置きはきっちりとさせてもらうんだからね」

「とらぬタヌキのなんとやら! そうは問屋が卸さねえ! 今までの借りはちゃあんと返してもらうぜ!」


 挑発を返したくろことまめだに、蜘蛛に対する怯えの色がないことを確認すると、礼央は続けて鬼恩丸のもとへと駆け出す。


 蜘蛛がやや前屈みの姿勢をとり、礼央の先回りをしようとするのが見えたが、今度はスマホを握ったまま何もせず、走ることに専念。援護攻撃は二匹に任せる。


 くろこが前脚で九字を切るや、部屋の四隅から複数のツル状植物が出現した。

 それは鞭のようにしなり、蜘蛛めがけて飛んでいく。何本かは鋭い爪でなぎ払われるが、全てに対処しきることは、蜘蛛にも不可能。

 瞬く間にツルが荒縄のような強靭さで蜘蛛の四肢に絡みつき、全身を締めあげた。


 褐色の産毛を生やしたツルはとても太く、三枚に分かれた大きな葉が生えている。その葉の裏面は白毛が密生し、表面とは色が変って見えるほどだ。


 ゆえにその植物は『ウラミグサ』とも呼ばれる。裏見草――『裏見』と『恨み』の掛詞かけことば。秋の七草にも数えられるマメ科多年草のその植物の一般的な名称は――『クズ』。


 偉大な始祖の名を冠し、今、救うべき少女の象徴。壱絆家の式神たるくろこにもっとも力を与え、最大の武器となる植物にほかならない。


「蜘蛛が巣にとらわれる気分はどうだい? キツネの檻もなかなかだろう?」

「ぬうっ! キツネごときが笑わせるな! これしきの縛め! わしの糸に比べればどうということもないわ!」


 蜘蛛が渾身の力を振り絞る。ツルが張り詰め、軋む音が響く。


「うん、確かに長時間はちょっと無理かな。でも、あと一分ぐらいなら、ボクでも持ちこたえてみせるよ」


 両者が睨み合うのを尻目に、礼央は鬼恩丸に駆け寄る。蜘蛛の巣から抜き取ると素早く回復の呪符を発動。もはや指さばきもかなり手馴れたものだ。


「キー、助かったぜ!」

「よっしゃー! オレたちに任せやがれ」

「蜘蛛がオニの猿まねしてんじゃねえぞ、ゴラァ」

「おめーら、うるせー! 作戦あんだっての! もう一度眠らせるぞ!」


 刀の変化を解き、おのおのの姿に戻った小鬼たちに礼央が叫ぶ。こいつらはこのまま転がしておいたほうが良かったんじゃないのか、という考えがよぎるが、メリッサは彼らにも役割を与えているのだから仕方ない。とはいっても、残念脳ミソ所有の小鬼たちだ。複雑な仕事を与えるつもりはない。作戦の伝達はくろことまめだの時よりも手短に終わった。


「キー、なんだよ、オレたち引き立て役じゃねーか!」

「まー、しゃーねーか。やってやらあ。オニかっけーところ見せつけてやっから、期待していーぞ、ゴラァ」

「その目かっぽじってよく見とけよ、オラァ」

「わかった。わかった。じゃ、あとは任せたぞ」


 五匹の小鬼たちはくろことまめだのもとへとむかう。礼央は反対方向、パソコンが並ぶ窓際の一角、通称『電算コーナー』へと歩を進める。


 ここから第五フェイズ。

 まず、炎のモードに切り替え、蜘蛛の顔面目掛けて炎塊をはなつ。


「効かぬといっておろうが! これ以上わしを愚弄するな! こわっぱ! キツネもそろそろ限界ではないか!」


 顔面に炎を受けてなお、蜘蛛に苦痛の色が滲む様子はない。くろこの張ったツルの束縛も、ところどころにちぎれつつある箇所があり、限界が近いことがわかる。


「おっと! オイラを忘れてもらったら困るぜ!」


 まめだがくろこの前にすっと立ち、ツルの一本に触れた。

 触れるやいなや、ツルに変化が生じた。

 まめだの触れた場所を起点にして、花が次々と開いていく。桃色の愛らしい印象の花だ。

 が、花は可憐に咲き誇ったかと思うと、すぐさま枯れて散った。


 そのあとに生じたのは厚い毛に覆われたさや状の物体だ。マメ科の植物であるクズはサヤエンドウに似た果実を結ぶ。


 その莢が一斉に弾けた。役割を終えたツルがちぎれ、中から飛散した大量のマメが蜘蛛めがけて飛ぶ。

 その獰猛なまでの激しい勢いは、礼央にクラスター爆弾の爆発を連想させた。大型の容器の中に、さらに複数の小型の爆弾を詰めこんだ、恐るべき非人道兵器。まめだが放ったクズの爆弾は逆だ。これこそ、美月と葛葉――ふたりの少女を救うための一手。


 着弾の激しい音が連続で鳴り響き、衝撃が鉄壁の装甲を揺るがした。続いて、蜘蛛が初めて呻く声。膝をつく音。


「タヌキ風情が味なマネを! が、まだよ! まだまだ! これしき痛くも痒くも、なんとも……、むっ! なんと!」


 立ち上がった蜘蛛の顔に、驚愕の表情が浮かんだ。右腕をかかげ、蜘蛛に覆われた身体ごしにもはっきりとわかるほどに太く浮き出た血管をまじまじと見つめる。


 異変は誰の目にも明らかだった。血管の至るところに、いつの間にかやや大きめの豆粒サイズの瘤が生じていた。だが、奇妙なのはそれだけではない。


 瘤が――移動していた。


 まるで生き物のように。やんちゃな子ダヌキが野原を自由に駆け回るように目まぐるしくあちらこちらと行ったりきたりしているのだ。そして、瘤の動きにあわせて、美月を覆った蜘蛛の死骸が零れ落ち始めた。


「う、蠢いておる! わしの中で何かが蠢いておる! タヌキ! 何をしおった!」


 狼狽する蜘蛛に対し、まめだは落ち着きはらって告げる。


「オイラは人様を化かすあやかしだが、それだけじゃねえ。酒を粗末にする奴をとっちめるためにゃあ、取り憑きもすんのよ。人様、操るのは何もおめえだけじゃねえ」

「だが、タヌキ! 貴様わかっておるのか! この身体、元をただせば……」

「なこと、ハナッからわかってらい! オイラ、おめえみたいに人様を傷つけんのは大っ嫌いだ。美月ちゃんの身体に送りこんだオイラの分身に、人様を殺めるほどの力はねえやい。全ては美月ちゃんのため。身体に巣食った、てめえらけがれた虫けらども、一匹残らず駆除するにはこれしかねえだろーが」


「ほほう。殺める力はないと申すか! クッ! ハッ! 生ぬるいな! ならば恐れることはない! わしを、わしらを叩きのめすというなら、小娘の命ひとつ犠牲にする覚悟でくるのだな!」

「おいおい、蜘蛛野郎。強がり言ってんじゃねえぞ。バレバレだ。てめえが内心焦ってんのはな。追い詰められてビビってる」


 蜘蛛とまめだのやり取りの合間に、電算コーナーを経由して葛葉のもとに辿りついた礼央も挑発をかさねる。


 蜘蛛がまめだから礼央へと向きを変えた。その慌ただしい動きも先程までの余裕を感じさせるものではない。


「こわっぱ! 許さんぞ! 貴様からだ! 次はタヌキ。そしてキツネ、小娘と食らってやるわ。生きたまま、じくじくと溶かしてやるわい」


 礼央は怒りに震える蜘蛛を無視し、巣に絡め取られた葛葉を抱え上げ、そっと床に下ろした。スマートフォンを続けざまに操作し、回復を始めとするこの場で必要な動作の数々を、一気に指定する。


「よーし、もう大丈夫だ。次はお前の親友を助けるから。昔みたいに誰かが傷ついたりとか、そんなことはないように、完璧に助けるから。そこでおれたちを信じて待っててくれないか」

「うん、先輩、ありがとうなの……。今度は、今度こそは、その手が届くって信じてるの。だから、お願いなの。ミッキーを助けてあげて」


 礼央は葛葉に頷き、そして蜘蛛へと鋭い眼差しをむける。


 最終フェイズ。二棟の高層ビルの屋上間に張ったロープ上で綱渡りをするかのような、リスクの高い行動が強いられる最重要局面。


「さあ! とっとと決着つけようぜ! 蜘蛛野郎!」


 そう、大声で叫ぶと、礼央はポケットから純銀の懐中時計を取り出した。


「――急急如律令!」

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