三話 表層2/2

 手すりにもたれかかってガラスの向こうを見る。


「いい景色だな」


 あの日がまるで無かったかのような景色。


「うん」

「俺達が見たものって事実だけど、一部なんだよな。印象が大きいから大きく見えるだけで」


 ちらりと横を見ると奏の横顔あった。静かな表情をしていた。


「いいよ、続けて」

「世界は壊れてなんかいないし、これからもあり続けると思う。みんながそれを望む限り」

「でも、世界の全ては壊れなくても一部は」


 ひどく現実味を帯びすぎた言葉を言い切る前に、自分の言葉を被せる。


「それでも」


 奏の言葉が止まる。


「壊れた。という事に取り憑かれたら駄目なんだ。奏」


 もたれかかっていた手すりから体を離して右を向く。奏の方へと向く。

 顔だけをこちらに向けて時折視線を逸していたが、奏がこちらを向いた。


「起きた事はもうどうする事も出来ない。無かった事にするのも記憶を消す事も出来ない。それは奏自身で折り合いの付け方を見つけるしかなくて、俺はそれを微力だろうけど手伝う事しか出来ない」


 少し奏が瞼を下げて悲壮な表情に更に哀愁を重ねた。


「これからまた色々な事が起きると思う。また身近な何かが壊されるかもしれない」


 そんな事は起きて欲しくないが、願いと現実は違う。


「だけど俺は絶対に」


 次の言葉を言う前に息を吸う。しっかりと前を見ながら、互いの視線を合わせながら。


「奏。君の事を守る」


 本当は奏の大事な物全てを守りたいし、守れると言いたいが、それが不可能で、嘘偽りも言いたくない。

 一瞬とも永遠ともとれる時間が流れていく。

 最初はちょっと驚いた表情の奏が穏やかな表情に変わり、最後に微笑みを浮かべた。


「タケル。わかった」


 頭の隅で奏に覚悟を問われるのかと身構えていたが、そうではなかった。


「疑わないのか?」


 自分で言っておきながらつい間抜けな事を口走ってしまう。


「うん、あの時、守ってくれたから。もしタケルがいなかったら、今ここに、私はいないから」


 素っ頓狂な顔をしていたらしく、クスリと奏が笑って、


「心配しなくても、疑うなんて、出来ないよ」


 楽しそうにそう言った。そして、ガラスの向こうの街へと視線を移し、俺もその視線の先を追った。


「ねえ、ありがとう。なんだろう、安心した」

「そうか。約束するよ」

「うん」


 そのまま奏と二人でガラスにそって歩いていく。見える景色がゆっくりと変わっていく。


「ねえ、タケル、あれ」


 奏が床を示す。そこはガラス床で下のビルや道が見えていた。


「一瞬、何も無いのかと思ってビビったわ」

「眼科行く?」


 目の問題じゃないよ。角度だよ角度。


「いや、そう見えただけだから、一瞬。一瞬だけな」

「ふぅん」


 信じているのかいないのかよくわからない反応が帰ってきた。

 奏が大きめの一歩でガラス床の上に乗って下を見る。


「高いね」


 下を向いていた奏が顔を上げて俺を見た。


「タケル?」


 どうして来ないの? という雰囲気で言われる。奏の足元を見て若干足が竦みそうになったが平常を装う。


「お、おう」


 つま先だけをガラス床の上に置く。

 大丈夫、ここには透明な頑丈な板がある。乗っても大丈夫。

 顔を上げてそのまますっと奏の隣まで歩く。


「あっ、タケル、鳥」


 奏が下を指指し、その方向を向いた。

 ビル外側のフレーム部分に雀が数匹止まって休み、その下には大勢の人や車が見えた。

 あっ、ヤバい! 高い!

 急に心臓がひゅっと冷たくなり、体が動かなくなる。とっさに顔を上げて窓から反対方向へ首を回した。


「飛んでった」


 どこかへ飛んでいった雀から、視線を放した奏はまたこちらを向くのが目の端で見えた。


「どうしたの?」


 背後から奏の声がした。

 このままだ気づかれる。お前を守るとかカッコつけた後にこれは流石に恥ずかしい。別にカッコつけて言った訳じゃなくて本心だけど。

 二重の意味で冷や汗をかきそうになっていると、視線の先にジュースバーがあるのに気づく。


「ああ、ちょっと喉乾いたなって。どう?」

「うん、そうだね。私も何か飲みたいし」

「じゃ、行こうぜ」


 視線を絶対に下げないようにガラス床から離れる。ふう、助かった。

 隣の奏をちらと見たが大丈夫そうだ、気づかれていない。

 ちゃんとした床の感触を確かめてながら歩き、ジュースバーのメニュー前で足を止めた。


「どれにする?」

「そうだな。期間限定があるから」


 該当するメニュー欄を見る。トロピカルフルーツをメインに使った物が多い。


「これは?」


 奏の指先が置かれた場所へ視線を移す。そこにはピーチトマトミックスジュースとあった。

 確かにトマトは夏だが、桃と合わせるか?


「えっ、いや。冒険する気はないからな」


 奏が仕方がないという表情をしたあとに店員に注文をした。絶対、味が気になるから俺に毒味させたかっただけだろ。

 奏の後に無難なパイナップルのミックスジュースを注文してしばらく待つ。

 商品を受け取って適当なベンチに座った。

 外の景色を見ながらストローを咥える。パイナップルのさっぱりとした甘さと酸味に他のフルーツの濃厚な甘みが加わってうまい。


「これうまいわ」

「こっちも」


 しばらくジュースと風景を楽しみながら過ごす。時折他愛もない話をして笑った。

 こういう時はまるであの日が無かったの様だ。みんな生きてて普通に過ごしている様に感じる。

 でも、それは違って不意に一瞬で崩壊してしまうかしれない儚い、貴重な時間だ。

 だから、今のこういう一瞬でも噛み締めないとな。

 色々な思いが頭を巡ったが、口には出さなかった。わざわざ奏にこういう話をする必要はない。

 その後も色々店を周ったりして過ごし、夕焼けが空を染め出した頃に建物の外へと出た。


「いやー、久しぶりに羽を伸ばせたっていうか、楽しかったわ」

「うん、私も」


 奏が小さくニコリと微笑んだ。

 空を写してオレンジ色になったビルとビルの間を歩いて行く。

 ふと見た電光掲示板の上にテロップが流れる。


[害獣出現]


 その文字が見えて思わず身構えたが、ここではなく内陸の方で被害はここまで及ばないとの事であった。画面には現地の映像が流れ、4匹の大きな害獣が街で暴れていた。

 俺と同じく電光掲示板を他の通行人達も見上げて何かを言ったり、誰かに連絡をしている。

 顔を上げたままじっと電光掲示板を見ている奏の手を掴み、ぎゅっと握る。

 ふっと、我に返った奏がこちらを見て、


「ありがとう」


 その言葉に俺は無言で力強く頷き返した。

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