六話 日常1/2

「授業は以上です。時間内に問題が解けなかった人は来週の授業で提出して下さい」


 先生が映っていた画面が暗転するとアプリを終了した。学校が被害にあってからずっとオンラインで授業が行われている。友達と会えないのは寂しいが、色々と楽なのは良い。

 椅子に座ったまま伸びをしてからゲームでもしようとPCを操作する。


「授業は終わったの?」


 背後からしっとりと柔らかな声音が聞こえて振り向く。そこには赤い粒子がいた。

 時々ふっと現れて俺の様子を見に来るのだが、正直何がしたいのかよくわからない。


「おう、今終わった。で、あんたはどうしたんだ?」


 彼女に問う。


「そうね」


 もったいぶった様な感じでそう言いながら、彼女がベッドに腰掛けた。ラフにまとめられたお団子とそこからちょこっとはみ出た髪が揺れる。

 後れ毛を指先ですくって耳にかけた彼女が数秒間閉じていた口を開く。


「ただあなたの様子を見に来ただけ。それだけ」

「それだけ? なんか、他にやる事ないのか、害獣を倒すとか? いや、戦えないのか?」


 彼女は自身を害獣への対抗手段とか言ってたか、どういう意味かはいまいちわかってないが害獣は敵と言って俺に戦う力をくれた。まあ、力はあっても戦う時がないのだが。

 そっちの方がいいんだろうけど。


「様子を見に来るのは嫌だった?」

「そうじゃねえけど、何がしたいかわかんないっつうか。害獣が敵ならあんたが直接どうにか出来ないのか」


 人の形をしているのだし銃を撃ったりは出来るはずで、戦えない事も無いだろう。むしろ俺にやらせずとも自分でやった方が早いのでは?


「前も言ったけど、リソース供給の問題で難しいの。それに、自衛隊と在日米軍の戦力で対処可能だから下手に手出ししない方が良いのよ」


 出来るのにやるのは良くないとでも言いたいのか?

 疑問を口にすると彼女はややあって話し始めた。


「単純にこちらが影響を及ぼすのには効率が悪いからというのが一番。そして、あなたが言うように自己防衛意識を保たせる為」


 俺の体を戦闘向けにしたりするのもリソースの問題とか言ってたな。俺が思っているより深刻なのかもしれない。


「それに私達みたいな味方ではあるけどイレギュラーな勢力の介入は混乱を招く。現状で問題がないなら介入は避けたいの」


 そこで一つの疑問が生まれる。どうして俺には介入したのか。


「介入を避けたいなら、どうして俺に力を貸したんだ?」


 彼女の発言と矛盾する行いだ。


「今は介入しなくても良いけど、今後、人類では対処不可能な敵が出現するという事もあり得るでしょう?」


 小首を傾げた彼女には頷く。確かにそうだ。別に今より強い害獣が現れないという保証もない。

 そこで俺は大事な事に気づく。


「ちょっと待ってくれ、強力な敵が現れた時の為に今の内に介入したって事は、俺に力を与えたのはその強力な敵を倒させる為か?」

「いえ、別にそういう訳ではないわ。場合によっては戦ってもらうかもしれないけど」


 人類では対処不能な敵を俺が!?


「俺が一人でどうしろって言うんだよ」

「それはその時に考えるから安心して」


 安心なんて出来るか!


「まあ、あまり気にしない事ね。自分が恐ろしい敵と戦う事になるかもしれない。そういう強迫観念に囚われすぎない方が良いと思うけど?」

「そうは言っても」

「大丈夫、何とかしてあげるから」


 ほんの少しだけ赤の混じった黒い瞳をこちらに向け、彼女が薄く開いた唇の隙間から白い歯を覗かせながらからかう様に笑った。

 いいようになだめられてしまったが、もう一つ質問をする。


「一応、聞きたいんだが、今以上に強い害獣の存在をあんたは知っているのか?」

「さあ、それは言えない」


 彼女が目を閉じて片手を上げながら肩をすくめて見せた。


「なんだよそれ」


 ちょっとムッとなったが、こいつはだいたいこんな感じで捉えどころがない。いちいち気にしてたら頭がいっぱいになる。


「まあいいや、それで、もしそういう害獣が現れたらどうするんだ? 倒せるだけのリソースってのを送ってくれるのか?」


 頭を切り替えて質問を続ける。


「そうね、可能ならそうする。敵にむざむざとここを明け渡す必要もないし、それは私達にとっても良くない事だから」


 とりあえず、強い害獣が現れてどうしようもない状態にはならないのか。

 他にも色々聞きたいことはあるが、聞いても教えてくれないのでこの辺でやめておこう。

 またゲームをしようと画面に向き直るが、後ろから視線を感じてしまう。


「えっと、あんまり見られるとさ」

「気にしないで」

「気にしないで、って言われてもな。気になるものは気になるし」


 いつもならふっといなくなっているのだが今日は違うらしい。


「そう、なら仕方がないわね」


 彼女がそれだけ言い残して赤い粒子になって散った。

 再び一人になったところで起動画面のゲームをスタートさせた。

 1時間ほどゲームをしていたが、疲れたのでやめて自分の部屋を出てリビングに向かった。


「母さん?」


 リビングを覗くが誰もない、自分の声だけが響いた。

 いないのか、父さんもまだ仕事だし俺一人か。どうしよう。


「一人みたいね」


 いつの間にか現れた赤い粒子が後ろに立っていた。


「うぉ、今日は消えたんじゃ無いのかよ」

「あなたが暇かと思って、散歩でもどう?」


 彼女が窓の外を眺めながら言う。ガラス一枚を挟んだ向こう側にはオレンジ色の空が広がっている。


「今から?」

「そう、私だけでも良いのよ」


 夕方に女子一人で歩かせるのは気が引けるじゃないが、流石にこいつ一人を外に歩かせるのはな。何となく嫌だ。


「わかったよ。俺も行くよ」

「そう、ありがとう」


 玄関口で靴を履く。その時に彼女が素足である事に気づく。

 靴が無いことを言おうとした時、彼女が一歩踏み出すと、その足に赤い粒子が纏わりついて散り、白いサンダルが履かれていた。細いベルトが足に絡みつくようなデザインで、足首にはピッタリとはまるより少し大きい銀色のリングが付き、部屋の照明を返して踝を僅かに白く照らしていた。

 そのまま学生服も赤い粒子に包まれてワンピースタイプの白い服に変わる。


「どうかしら、これ?」


 彼女がレースの透けそうなスカートを軽くつまみ上げる。ちらっと太ももに巻かれたリボンの様な帯が見えた。


「お、おい、それ以上上げるな」

「それは良いの、どう?」


 彼女が少し体を左右にねじって見せた。

 左側だけに淡い赤や灰色で英語みたいな模様の入った帯がかけられた、白色の薄いレースワンピースで左の袖が少しだけ長い。

 左側は帯で隠れて右側だけから黒い腰ベルトが見える。そこから下にかけてワンピースは徐々に薄くなって膝下は透けて見えている。


「ちょっと派手っつうか、見えそう」


 大人っぽ過ぎるというか攻めてる。だが、彼女の雰囲気のせいかおかしな感じはない。むしろ良く似合ってる。


「好きじゃない?」

「いや、好きとかじゃなくてな」

「似合ってない?」


 小首を傾げた彼女の眉が少し下がる。


「似合ってる」


 半分言わされる様な形になりながらそういうと、彼女の僅かに不安そうな表情が微笑に変わった。


「じゃあ、行きましょう」


 ドアを開けて彼女が外に出る。出る瞬間に彼女が髪をかき上げる。それに合わせて赤い粒子が弾ける飛沫の様に髪から流れる。

 瞬間、目の前が煌めく赤一色に染まって思わず顔をそらす。

 また前を向くとストレートヘアだった彼女の髪がハーフアップに変わっていた。サイドにボリュームをつけつつ、左の毛束で右の毛束を覆うような形の結び目があり、毛先は緩めにウェーブがついていた。


「どうかしら?」


 振り向いた彼女が問う。前髪はやや右に寄った分け目から後ろに流されている。それで今まで髪で隠れていた形の良いおでこが見える様になっていた。


「今の一瞬で結んだのか?」


 少し唇を尖らせて彼女がふわりとターンする。空気を含んだ髪がターンに合わせて浮き上がり、優しく揺れる。


「それで、どうかしら?」


 後れ毛を右耳にかけた彼女が問う。左耳は半分髪で隠れている。


「あ、おう、似合ってる」

「それだけ?」


 それだけって言われてもな。


「え、えー、かわいい?」


 正直、服は尖ったセンスの大人っぽい感じで、髪もカジュアル過ぎない淑やかな感じで全体的に可愛いとはまた違う。


「疑問形なの?」


 微妙に不服そうな声音が聞こえる。何と言えば良いのだろうか?

 数分考えてから口を開く。


「そうだな、大人びた感じで色っぽさもあるけど、清潔な感じの方が強くてよく似合ってる」


 俺、意外と言おうと思えば言えるな。


「ふふ、ありがとう」


 彼女がいつになく嬉しそうにしながら言った。


「一応、私も女の子だし。そうね、そういう感じでもないかしら」


 言葉を区切ってから彼女が考え直した風にそう口にする。


「まあ、高校生って感じはしないかな」


 自分の体を見下ろしながら彼女が自身の体にそっと触れる。鎖骨から下に指先がなぞると、指が膨らみに柔らかく沈んだ。ただでさえ夏用の薄い服なのに、触れることでボディラインが浮かび上がって非常に目のやり場に困る。


「もう、いいんじゃないか? そういう体ならそういう体で。それより、散歩行くんだろ?」

「ええ、そうね。行きましょう」


 一人せかせかと家を出て歩く。夕焼けに染まった空と強い西日が眩しい。


「おいてかないで」


 少し小走りで駆け寄って来た彼女が横に並ぶ。


「あ、おう、すまん。それで、さっき何て言おうとしたんだ。話がそれてたけど」

「女の子が服装や髪型に気を使って色々やっているのに、それを褒めたりしてあげたらどう? そういう話よ」

「いや、あんたが聞いてきたんだろ」

「あの子よ」


 呆れた様子で彼女が短くそう言った。


「奏?」

「そう、あなたのプライベートを覗いたりはしていないけど、あの子と出かけた時、あまりそういう事言わなかったんじゃないの?」


 図星だ。


「あー、そうだな。緊張してたりで」

「別に良いのよ。余裕がある時にそういう所に触れてあげたら? 彼女も望んでいると思うけど」


 言われてみれば奏も服装とか髪型とか色々変えたり気を使ってたな。何やってんだよ過去の俺。もっとなんか言ってやる事あっただろ。


「おう、そうする」


 何故か赤い粒子に奏にもっと気を使えとかなんとか言わながら河川敷付近に出る。少し水位の低い川に暗色の混じりかけた夕焼けの空が映っている。川を挟んだ向こう側には夕日に照らされた人影と街が見える。

 ランニング中の集団が後ろから自分達を追い抜き、何人もの人達とすれ違う。

 隣にいる彼女は時折周囲を見渡して楽しんでいる様子だった。


「なあ、この風景って見ていて楽しいか?」


 それとなく彼女に聞く。少なくとも人ではないし、こういう風景を見るのは始めてだろう。


「あなたは?」


 質問を質問で返されたが、率直な今の気持ちを口にする。


「楽しいじゃないけど、いいと思う。なんだろ、こういう当たり前がすごく大事でかけがえのない物なんだって感じてる」


 昔は思っていなかった感情。


「とりあえず、綺麗な夕日と街だって思う」


 言い終えて街の方から彼女へと視線を移す。柔らかな夕焼けの光が、彼女の白い服や肌をキャンバスにしたみたいにオレンジ色に染めていた。

 温かい光を纏った彼女は優しげな表情でこちらを見ていた。


「そうね。私もあなたと同じ、綺麗だ。って思う」

「なあ、あんたの世界にもこういう景色ってあるのか?」


 答えを得られないのはわかっていたが、自然と訊ねてしまう。


「さあ、どうかしらね」


 こちらを見ていた彼女が正面に向き直って小さくそう応えた。均整のとれた顔が光を浴びて芸術品の様に美しい横顔を浮かび上がらせていた。


「はぐらかさてばっかだと、ますます気になっちまうんだよな。いつか教えてくれるのか?」

「そうね。私と一緒になった時、かしら?」


 少し白い歯を見せながらいたずらっぽく笑った。細められた瞳は赤い光をちらつかせながら俺を見ていた。

 今まで見た事のない表情に意表を突かれ、思わずドキリとしてしまう。

 ふわりと髪を翻した彼女が歩みを早め、数歩先を行く。


「お、おい、一緒ってどういう意味だよ!」


 急な出来事に動転しながら彼女放った言葉を理解し、さらに俺はてんてこ舞いな状態になる。


「今のこういう状況と言ったら?」


 今の状況を言うんだったら、今頃全部教えてくれてなきゃおかしいだろ。


「いや、絶対に違うだろ」


 彼女が少し遠くをみて思案した後にこう応えた。


「あまり気にしないで好きに捉えて」


 好きに捉えてって、まーたもやもやする回答だな。


「あー、なんだよそれ」


 彼女に振り回されながら歩き、少しすると別の道を通って家の近くまで帰ってくる。


「もう母さんも帰ってきてる頃だし、ちょうどよかったな」


 散歩も案外いい暇潰しになったな。


「そう、良かったわね」

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