一話 赤の粒子5/5
チャイムを押す。
「武くん? こんにちは」
「こんにちは。あの、奏はいますか?」
「あの子は」
そこで一旦途切れて小さく話し声が聞こえた。
「タケル。どうしたの?」
「あー、ちょっと遊びに行こうと思ってな。それで奏もどうかなって」
少し間が開く。
「ごめん。私はいいかな」
「そうか。じゃあな」
「うん」
通話が途切れる。家に帰ろうかと思ったが、害獣災害に巻き込まれてから変に気を使う両親を思い出して駅に向かう。
適当な電車に乗って適当な駅で降りる。
駅のホームを出ると崩れていない綺麗なビルが立ち並んでいた。数日前に見た光景、今でも崩れた建物はあの時のままだ。
綺麗なままの街と、崩れた街が同時に存在するアンバランスさに目眩がする。
駅前の信号で待っていると、いつかの日の様に赤い粒子が漂う。青に変わったので赤い粒子を無視して進む。
「あの子、もう少し強引に誘っても良かったんじゃないの?」
後ろから声をかけられ、彼女が横に並ぶ。確かに、今思えば多少強引にでも外に出しても良かったかもしれない。家にずっといるのも毒だろう。
「そうかもしれない。でも、俺が勝手な考えでそういう事をするのもなんつうか」
「そう、別に構わないと思うけど」
「それはあんたの考えだろ」
少し彼女が黙って周囲に視線をそらす。
「ねえ、歩き疲れたのだけど、休憩しない?」
「は? まだちょっとしか歩いてないぞ」
彼女は先程現れたばかりで、駅からついてきたとしても大した距離ではない。
「あまりこの体になれてないから。どう?」
「わかったよ。好きにしろ」
「じゃあ、あそこ、行った事はある? 何があるの?」
ほっそりとした指が複合建築施設の超高層ビルを示す。
「まあ、あるけど。なんか色々店がある」
「なら、丁度いいわね。行きましょう」
「おい、待てよ」
正直、今は遊んだりしたい気分ではないのだが、放って置くわけにも行かないので彼女の背を追っていく。
「なあ、今日はそういう気分になれないし」
「だから行くの。少し気分転換をしたほうが良いと思うけど?」
俺の返答を待たずに彼女は建物に入ってしまう。
「お茶でもどう?」
「はあ、もう好きにしろよ」
諦めて彼女の後に続いて喫茶店に入る。まるで常連みたいに彼女が席に座って注文も済ませる。
「あっ、勝手に注文するなよ」
「紅茶、嫌い?」
「いや、嫌いじゃ無いけどさ」
彼女と話していると調子が狂う。
しばらく沈黙して彼女が目を閉じる。少しすると紅茶が運ばれ、彼女がゆっくりと一口すすった。
「あんた、なんでこんな事するんだ?」
ずっと気になっていた事を聞く。
「それより、冷める前に飲んだら?」
カップを胸の前あたりまで下げ、揺れる水面を見つめながら彼女が言った。
目の前に置かれたカップを持ち上げて紅茶を飲む。自分の知っている紅茶とは少し違う味がしたが、悪くなかった。
「それで、あんたはなんで俺に戦う様に仕向けたりしたんだ」
「それは、あなたが害獣と戦う力を望んだから」
「じゃあ、なんで力を貸したんだ? 体が欲しかったのか?」
「それは簡単。私達にとっても害獣が敵だから。もしあなたの体が欲しいだけなら同意なしでも奪えた。でも、それをしなかった。まあ、少なくともあなた達の敵じゃない」
あっけらかんとした様子でそう言われる。
「待てよ。私達ってどういう事だ? あんたみたいなのが他にもいるのか?」
「もしそうだとしたら何か問題? ただ戦力が増えるだけ」
頭が混乱してくる。こいつみたいなのが他に何体もいる可能性があって。それより彼女は何なんだ?
「そもそも、俺はあんたが何かも名前すらも知らない」
はっきりと言い切る。正面を見ると彼女が胸の前で両手の指の腹を合わせて、少しするとそれを解く。
「そうね、私が何かは教えられない。でも、名前は教えてあげる」
彼女が意味不明な音を発する。
「え、今のなんとかかんとかってのがあんたの名前?」
「そう、文字で書くと」
空中に赤い粒子で、アラビア文字にも英語にも見える、文字というより模様に近い物が浮かび上がる。
「これって、どういう意味だ?」
「わかりやすく言うと、剣の名前」
「村正とかエクスカリバー的な?」
「ええ、そういう認識で問題ないわ」
重要な事は一切わからないままか。まあ、何語かわからないがとりあえず名前が知れただけでも進展か。
内心もやもやしながら手元の紅茶を眺め、ふと顔を上げると、カップで口元が隠れた状態の彼女と目が合った。こちらを見て僅かに笑う彼女に思わず少し動揺する。
「色々考えるのはわかるけど、今はもう少し今を楽しんだら?」
「楽しむって」
「紅茶、どう?」
彼女が小首を傾げる。
「まあ、よくわかんないけど、うまいと思う」
「そう、良かった。音楽でも聞いてゆっくりして。今は、ベートーヴェンね」
店内に流れるピアノの音色に耳を傾けてみる。物哀しい旋律が流れていた。
しばらく彼女の言う通りにお茶を飲みながら音楽を聞いていた。曲が変わると彼女は少しだけその音楽について語った。
「さあ、次は上の展望デッキになんてどう?」
店を出た彼女が俺の返答を待たずにエレベーターに乗った。
「おい、待てって」
慌てて二人しかいないエレベーターに飛び乗る。
「ねえ、少しは楽しめた?」
「ああ、まあな」
少し戸惑ったがそう答える。確かに学校での出来事が頭を離れなかったが、彼女と話したりしていると暗い事ばかり考えていた自分がどこかへ行っていた。
「そう、なら、次はあの子を誘ってあげたら? もちろん、あなたがリードしてあげて」
「えっ」
まるで奏とデートでもしろという意味に聞こえた。
「あの子も、今日みたいに外で遊んであげたら? 家にいても何も変わらないから」
「でも、俺は良くても奏がどう思うかは」
エレベーターが止まってドアが開く。
「あなたが思ってる以上にあの子は弱くはないから」
展望デッキ一角のベンチに彼女が座ってそう言う。周りに誰もいない。
「どうしてあんたがそんな事わかるんだよ」
勝手な憶測を語る彼女を睨む。
「ねえ、あなた、あの子がなぜよくいる被害獣災害者の様に、悪夢を見ないでいれると思う?」
俺の質問を無視して彼女が逆に質問をしてこちらの答えを待たずに話を続ける。
「答えは、あなたがあの子の心の支えだから」
頭をガツンと殴られた様な衝撃。奏にとっての俺はどういう存在か。なんて考えた事もなかった。せいぜい物心つく前からの友達程度にしか。
「それはあんたの」
「あなたが守ってくれる。その安心感は重要よ。あなたが思っている以上に」
俺の言葉を遮って彼女が語る。
「今のあの子に必要なのはあの記憶から立ち直るあと一歩。それをあなたが踏み出させてあげて」
「それって、どうやったらいいんだよ」
「外の世界を見せてあげて。崩れていない、綺麗な世界を。世界は崩れたわけではない事をあの子に教えてあげて」
「俺が奏に一歩踏み出させる」
俺が本当に奏にとって支えだとしたら。俺がやるべき事は。
もし、そうじゃなくてもやれる事をやりたい。
「そう。ねえ、あの子に連絡してあげたら?」
彼女に促され携帯を取り出し、奏に電話を掛ける。それを確認した彼女はどこかへ行ってしまった。
「もしもし、タケル?」
スピーカーから奏の声が流れる。
「今、いいか?」
「うん、いいけど。どうしたの」
「どっか空いてる日にさ、遊ばね?」
少し沈黙が流れ、
「ごめん。そういう気分になれないんだ」
「なあ、奏。俺さ、奏がずっと家にこもってるのが心配なんだよ。色々あったのはわかるけど、前に進まないとダメだって思うんだ」
「前に」
奏の漏らした呟きが鮮明に聞こえる。
「そうだ。前に」
「それはそうだけど、あの時の事が頭を離れないの」
奏の声が震える。微かに泣き声も聞こえた。
「それを乗り越えなきゃいけないんだよ。街が壊れて多くの命が失われたかもしれない。でも、世界は崩れ去った訳でもないし、みんな生きてる。みんな前に進んでる。だから、奏も」
自分でも何を言ってるかわからなかったが、とにかく、伝えたい事をめちゃくちゃになりながら伝えていく。
「俺が奏を守るから。怖い思いをさせるかもしれない、でも、必ず守るから。だから、一緒に一歩を」
声にならない声が僅かに聞こえる。
「怖い思いはさせるんだ」
小さな笑い声。その声を聞いてほっとする。ようやく元の奏に戻った気がした。
「出来ない約束はしたくないから。でも、俺は奏を守る。絶対に」
「じゃあ、外に出てもいいかな」
「本当か!」
思わず食い気味で言ってしまう。
「本当だよ」
明るい声音の混じった声。あの時から久しく聞いていなかった声だった。
「そうか」
「空いた日がわかったら連絡するから、遊ぼ」
「わかった。またな」
「うん、バイバイ」
通話を終えて携帯をしまう。
「どうだった? あの子は?」
いつの間にか戻って来ていた彼女が訊ねる。
「そのうち遊ぶ約束をしたよ」
「そう、良かったわね」
そう言った彼女が赤い粒子になって溶けていく。
「なあ、ありがとな」
彼女が軽くお辞儀をしてから完全に消えた。
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