一話 赤の粒子1/5

 食べ終えた食器をシンクに置いて、すでに準備されていた弁当箱を取り上げる。洗濯をしているのか母の姿は見えない。


『自衛隊の発表によりますと、先日神奈川県で発生した突発出現性害獣災害には在日米軍が対応し、同軍の被害は軽微との事です。また、街の被害額は…』


 崩れた建物の上に巨大な害獣の死骸が横たわった姿が画面に写っている。画面の電源を落とすと、害獣も消えた。昨日の夜からニュースは害獣災害に関する事ばかりなのでもう見飽きた。

 弁当箱を持ったまま2階に上がって自分の部屋に入る。忘れない内にカバンに弁当箱と宿題をやる為に出していたノートPCを入れておいた。

 手早く制服に着替えて鏡の前でネクタイを締め、カバンを掴んで玄関へと降りる。

 靴を履くとちょうどチャイムが鳴ったので扉を開けると、自分と同じ学校の制服に身を包んだ少女が立っていた。小学生の頃から変わらい朝の光景だ。


「おう、おはよ」


 ドアの鍵を締めてカバンに、鍵をしまう。


「ん、おはよう」


 自分より背の低い少女が腰に当てていた手を下ろす。低いとはいえ、160は超えているので女子にしては十分高いが。

 少し鋭い印象をもたせるが、よく見ると丸っこい瞳が俺の後ろを見た。


「今日、お母さんいなかったね。いつもいるのに」


 あまり高くない、年の割にハスキーな声が耳朶を打つ。


「ん? ああ、洗濯かなんかだろ。それより、クソ暑いな」


 先程までクーラーの効いた家にいたので余計に外が暑く感じる。


「今日の最高気温、33度だって」

「マジか。真夏じゃん」

「真夏だともっと暑い。まだマシ」

「さっさと学校行って涼もうぜ」


 汗を拭いながら奏の方を見る。


「うん、賛成」


 そう言って小さく頷く。後ろ髪よりやや長く伸ばしてピンで止めた前髪が小さく揺れた。

 昔、前髪も後ろ髪みたいに短くしないのか。と聞いたことがあるが、可愛くないからだめと言われたりもした。女子のその辺の事はよくわからないが、奏と言えばあの髪型なので変えられたら自分もクラスの奴らも驚くだろう。

 他愛もないおしゃべりをしながら、いつもよりも早く学校前の横断歩道前に来る。

 赤信号になって止まる。

 信号の赤。目の前を過ぎ去る車の赤。

 その赤に混じって自分の数メートル先で、妖精の振りまく鱗粉の様な赤い光が浮いていた。信号を見る振りをしてその赤い粒子を見る。

 どうやら赤い粒子は他人には見えないらしく、子供の頃こいつを見ていると親に、空が好きなのね。なんて言われたりもした。高校生にもなって空ばかり見ていたら、変人の烙印を押されるのが確定なので基本的に無視しているが。

 信号が青に変わる。赤い粒子から注意を切り替えて他の生徒の波に乗って学校に向かう。赤い光はいつもみたいに知らぬ間に消えていた。

 自分の机に着席して友達と朝の挨拶を交わして雑談を交わしていると、担任の先生が教室にはいってきたので全員が自分の席に戻った。


「みんな、おはよう」


 教卓に手荷物を置いた先生が開口一番そう言って、おはようございますやうっす等、生徒達が思い思いの挨拶をする。3年間も同じクラスでそういうのに厳しくない先生なので、気にせずに朝のホームルームを始める。


「まず、みんな知ってると思うが昨日害獣災害があった。この中に身内に被害者いる者は?」


 クラスがざわつき、先生がクラスを見渡す。

 今朝のニュースが脳裏をよぎる。遠い自分には関係のない場所で起きている事の様に感じていたが、もしかしたらこの学校に被害者の親族がいるかもしれない。と考えると少し背筋が寒くなった。


「うちのクラスにはいないようだな」


 空気を切り替える様に大きな声を上げた先生がホームルームの続きを始める。先程までの緊張した雰囲気は消えていた。

 今日何度目かのチャイムが鳴り響く。4限目の先生が教室を出ると一気にクラスが開放的な雰囲気に包まれ、ガヤガヤと騒がしくなる。


「おい、武。購買行くか?」


 何人かで固まっていた友達から声をかけられる。


「いや、俺は弁当だしいいわ。それより今日は限定のパンがあるんだろ、さっさと行かねえと無くなるんじゃないか?」

「ああっ、やっべ。行くわ。じゃあな」

「おう。またな」


 お慌てで教室を出ていく友達を見送り、カバンから弁当箱を取り出す。いつもは購買から帰ってきた奴らと一緒に食うが、今日は限定効果で混んで当分帰って来ないだろう。

 一人で食べるのも味気ないので奏を誘うか。


「奏、飯食わねえか?」

「うん、良いよ。あっ、屋上行こうよ」

「そうだな。天気も良いし行くか」


 二人で教室を後にして屋上に向かう。昔は屋上が開放されていなかったらしいが、害獣災害における迅速な避難の為に開放される様になったらしい。避難訓練の際には自衛隊のヘリコプターが屋上に来て乗ったこともある。もちろん飛びはしなかったが。

 屋上のドアを開けて外に出る。強い日差しに自然と目を細めた。雲一つない快晴でクリアブルーの空が広がっている。


「すごく天気いいね」

「だな。雲一つないな」


 開放的な気分になりながら周りを見る。こころなしか他の生徒もいつもより気分良さそうだ。


「あっ、一番いいとこ、空いてるよ」


 奏がテラスの一つを示す。そこからは東京スカイツリーと日本で一番高い東京クラウドステーションの両方が見える所だ。クラウドステーションは電波技術の発展と広域害獣災害警報や政治云々の関係で建てられたらしいが、俺達からしてみれば観光地が一つ増えただけだ。


「今日は両方めちゃくちゃよく見えるな。誰かに取られる前に行こうぜ」


 急いで椅子に座って特等席を占領する。奏も向かいの椅子に座ると弁当箱を開けた。

 今日の弁当は昨日の残り物の煮物と唐揚げ、卵焼きと温野菜だった。まあ、おかずの半分は煮物なので非常に見た目が茶色い。


「タケル、煮物そんなに好きだったんだ」


 奏が始めて知った。という様子で感心したように語る。いや、どう考えても違うだろ。

 物心つく前からの奏と一緒にいるが、未だに何を考えているかよくわからない節がある。


「いや、違うから。煮物嫌いじゃねえけど、これは多いよ」

「そうなんだ。じゃあ、なんで多いの?」


 知るかよ。昨日母さんが煮物作りすぎたんだろ。


「母さんに聞いてくれ」

「ふーん」


 ややシャープに見えるつぶらな瞳をこちらに向けたまま、奏が紅白なます的な物を頬張る。


「何それ? どんな味?」


 奏が知らない料理名を口にする。マイルドな酸味で爽やかな味らしい。

 洋風紅白なますかと思いながら煮物の芋を口に放り込む。二日目の煮物は味が染みててうまい。


「うまいの?」


 芋を飲み込んでから聞く。


「うん、美味しい」


 奏が嬉しそうに笑った。それを見て俺も釣られて笑った。

 弁当を食べ終え、ゆっくりしていると奏が思い出したように顔をこちらに向け、


「ねえ、人も減ってきたし、そろそろ戻らない?」


 周囲を見渡すと確かに人が減っていた。


「そうだな。戻るか」


 二人で戻ろうと席を立った瞬間、アラートが鳴り響く。 


『突発出現警報 突発出現警報 10分後に当該区域に害獣出現。最寄りのシェルター避難するか身を守って下さい』


「あぁ、は?」

「えっ?」


 屋上が静まりかえる。


「害獣が来る!」


 誰かがそう叫んだ途端に生徒達が屋上入り口に殺到する。

 頭が害獣が来るという事実を理解し始めると、今朝のニュースで見た壊れた街を思い出す。徐々に恐怖が現実味を帯びてくる。


「やばい、害獣が来るぞ! 早くシェルターに避難しないと」


 一人でパニックになり、屋上入り口に向かおうとするが生徒達が群がっている。


「おい、俺達も早く!」


 奏の方を見ると、いつもの表情のままだった。

 冷静も見えるが、その実、状況がいまいち理解できていないのだろう。下手にパニックになるより良いかもしれないが、反応が遅れてしまうかもしれない。

 そう思うと多少は頭が冷え、深呼吸をするといくらか頭が回るようになった。


「よ、よし。とにかく、今シェルターに向かおうとしてもあそこで詰まるだけだ。害獣がこの辺りに出現するのなら爆風が来るはずだからここで伏せていよう」


 屋上の塀は突発出現時の爆風から見を守れる様に高く作ってある。


「うん、わかった」


 奏が頷き、次に妙に冷静な声でこう続けた。


「ねえ、アラームからどれくらい経った?」


 全身の血の気が引いたような悪寒が走り、無意識に携帯を取り出して画面を見た。


『突発出現まで残り5秒』


「伏せろ!」


 そう叫んで奏の腕を掴みしゃがんでいく。中腰程度になったところで、数km先の空間が球状に歪むのが見えていきなり世界が真っ暗になった。

 暗闇の中でも体勢を落として伏せる。思い切り目を瞑り、頭を守る。

 完全に伏せた瞬間、爆発の衝撃波と爆音が襲ってきた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る