十一話 座標1/2

 時計を見ると待ち合わせ時間の三十分程前だった。そろそろいくか。

 服は着替えているので鞄を取って家を出た。


「よっ」


 いつもの様に玄関前にいた奏に声をかける。


「ん、おはよ」

「おはよ」


 ノースリーブに腰にはジャケットを巻いている。いつもよりなんだか少しワイルドな印象を受ける。髪も右側頭部の髪は後ろに流し気味で残りは左に流している。


「なんか今日はカッコイイ系だな」

「ん、いつもだけど。今日は特に」

「いいじゃん、似合ってるぜ」

「ありがと」


 髪を何度か撫で付けながら奏が視線を僅かに泳がせてから歩き始めた。


「結構時間早いけどどうするんだ?」


 ちょっとそっぽを向いてから、


「別に、映画館以外もあるから適当に」


 小首を傾げながら言われた。つまり、なんとなくって事か?


「何だよそれ」


 思わず笑う。奏は行き当たりばったりな所がある。まあ、それで楽しい思いもしてるからいいけど。


「映画見るだけってのもあれでしょ?」

「まあな。せっかく出かけてんだからな」

「ん、そういう事」


 駅に着いて電車を待っていると、


『突発出現警報 突発出現警報 16分後に当該区域に害獣出現。最寄りのシェルターへ避難するか身を守って下さい』


 けたたましいサイレン音と共にアナウンスが流れる。辺りが一気に騒がしくなり人が移動していく。

 奏の肩がビクっとして顔から血の気が引いていく、背後にあった柱に背をつけて目だけが電光掲示板を見ていた。


「落ち着け。すぐに避難だ」


 怯えた表情の奏の肩を掴み、しっかりと目を見て伝える。ゆっくりと顔から恐怖の色が抜けた彼女が小さく頷いた。

 すぐに手を引いてシェルターへと向かう。周りの人達はすでにシェルターへ向かう波になっていた。

 はぐれないように奏の手をしっかりと握って手近なシェルターへと向かう。


「タケル」


 喧騒の中で聞こえた声に少し振り返ると奏が俺の顔をじっと見ていた。何か言おうとしたがこの中では聞こえない。代わりに手を少し強く握った。

 電光掲示板の案内に従って駅の外に出て厚い金属製の扉を抜け、緩やかなスロープを駆け足で地下に下りていく。

 一番奥まで来ると広い空間があり、避難者達がすでに大勢いた。


「ここなら大丈夫。とりあえず、座ろう」

「ん」


 小さく頷いた奏の手を引いて奥の空いた場所に移動し、彼女を座らせて隣に自分も座った。


「一緒にいるから、ちゃんと守るよ。約束しただろ?」

「覚えてる。そばにいて」


 奏が小さく身じろぎして自分の方へ寄ってくる。眉間に少し力が入り緊張した横顔が見え、膝の上にあった小さな手にそっと自分の手を添えた。

 どこか遠くを、何か恐ろしいものを見ているような瞳が自分の手に重ねられた手を見つめ、僅かに安堵した。

 奏の強張った表情が緩む。それを見るとどこかほっとした。

 警報音が鳴り、シェルターの各隔壁が閉じられるというアナウンスが流れる。モーターの駆動音と共に入口の分厚い壁が閉じられていく。ガシャンという音がして完全にシェルターは閉じられた。これでひとまずは安心か。

 周囲は黙っている人や連絡を取る人等様々だったが、頭上から重たい音がして一気に静まり返る。害獣が来た。

 見えはしないが無意識にLEDが埋め込まれた白っぽい天井を見上げる。このずっと上に害獣がいると考えると生きた心地がしない。最悪の事を考えそうになる。不意に視線の先に燐光が舞って、いつもの赤い光の群れとなった。

 上ばかり見ていると左手が握られる感触がして視線を落とす。奏が上を見ていた。周囲の人達も同じく上を見ている人が沢山いた。


「気にしすぎない方がいい」


 そう声をかけると最初目だけがこちらを見てから、奏は頭を下げた。


「ん、そうだね」


 しばらくすると周りが騒がしくなる。どうしたのかと思うと、どうやら電波が通じなくなったらしかった。試しに携帯をポケットから取り出すと確かに電波表示が0になっていた。シェルターは内部にいても電波が届く様になっているはずだが?


「害獣が電波を遮断しているの」


 急に赤い粒子の声が聞こえて上を見る。


「それって、どういう事だよ」


 小声でそう聞く。


「えっ?」


 赤い粒子じゃなくて奏がチラと見てきた。


「あっ、いや、電波がな」

「あ、うん、何でだろう。大丈夫かな?」

「連絡が少し取れなくなるだけだ。大丈夫」

「うん」


 変に奏を不安にさせたか?


「声に出さなくても良いから」


 そうなのか?


「そういう感じ」


 わかった。それで、電波を遮断って?


「一定範囲内で外部との通信が出来ない状態なの。ここ一帯を足掛かりに何かしたいみたい」


 それって不味いんじゃ?

 害獣が本格的に侵略をする気なのか。と考えてしまう。


「そうね。ここが欲しいみたい」


 他人事みたいに淡泊な口調で赤い粒子がそういった。

 待てよ。それじゃあ、害獣が本格的に侵略しに来たって事なのか? 他人事みたいに言ってるけどあんた達にも良くないんじゃ?


「落ち着いて。今のところ、軍の戦力でどうにかなるから」


 今のところが引っ掛かったがひとまずは大丈夫か。

 そうなのか。


「ええ、でも」


 赤い粒子が一瞬、黙る。声だけで表情や息づかいも無いので次の言葉までに妙に緊張した気分になった。


「私からの干渉はしづらいの。電波遮断は私への、いわゆる電子的対抗措置の副次的な結果だから」


 でも、こうやって普通に干渉してるよな?


「こうして話す程度なら。でも、より直接な行動は行なえないの。つまり、もしもの時に私は動けないの」


 でも、軍が倒せる程度なんだろ?


「かなりの火力を投入したらの話」


 んなこと聞いてないぞ。それってヤバいんじゃ? そこまで思って前に赤い粒子が話していた人類では対処不能な害獣という存在を思い出す。


「タケル?」


 不安げな声音が耳朶を打つ、奏が心配そうに俺の顔を覗き込んでいた。


「あぁ、ああ」

「思い詰めない方が良いよ」


 奏の手を握っていた手を優しく撫でられる。左手から伝わる感触が気持ちを落ち着かせて冷静にさせた。


「ありがとう」

「ん」


 コクリと頷いた奏の表情は柔らかく優しかった。

 奏に感謝すると赤い粒子との話に戻る。

 それで、どうにかする方法はあるのか?


「ある。あなたの協力があればね」


 わかった。何でもやる。


「そう」


 その言葉と共に赤い粒子は消えてしまった。

 奏に寄り添ってシェルターの壁際でじっとする。周囲も落ち着きを取り戻して静かになっていた。時折、奏を見るが不安そうな表情で膝を抱いていた。顔の前に置かれた手は俺の手をずっと握ったままだ。

 激しい振動がシェルター全体を揺らす。何かが崩れる音がし、驚いた叫び声や甲高い悲鳴も聞こえた。


「な、なに?」


 腕にしがみついた奏がしきりに辺りを見回す。


「わからない。近くのビルが崩れたのかも」


 直上から振動が伝わった感じがしたが、奏が不安になるので少し言い方を気をつける。


「ここ、大丈夫、かな?」


 左腕を強く抱かれ、歯の根の合わない様子の奏が俺を見上げる。


「シェルターだ。ちょっとやそっとじゃ壊れない。もしもの時は軍が救出にくるよ」


 出来るだけ落ち着いた口調で話す。


「ん、学校の時も自衛隊がきた、から。今回も」

「大丈夫」

「ん、大丈夫だね」


 俺の言葉を自分に言い聞かせる様に奏が何度が小さく唇を動かした。

 耳を澄ませると激しい攻撃の音が聞こえる。赤い粒子いわくの強化による影響で耳が良くなっているからそれなりに聞こえる。周りは、聞こえてないっぽいな。

 連続した爆発音が少し止むと、重量物が移動する音がして次の攻撃音がやや遠く聞こえた。害獣が離れたらしい。

 だが、先程の様にいつ害獣がシェルターの方に来るかわからないので、もしもに備えて意識を集中させておく。

 だが、もしもの時にはどうすればよいだろうか? シェルターがやられたら下敷きだ。外は害獣。

 いや、何かあるはずだ。諦めたら全て失う。諦めたら。

 最悪、奏を抱えてダッシュか。上手くやればせめて奏一人だけでも助けられるはずだ。

 どれだけ時間がたっただろうか?

 未だに戦闘は続いて止む気配もない。


「その子を守って」


 突然目の前に赤い粒子が現れ、突然言い放たれる。


「奏!」


 咄嗟に奏に覆いかぶさる。


「えっ? ん、あっ!」


 胸の辺りから奏の困惑する声が聞こえる。


「耳を塞いで」

「耳を塞げ、早く」


 奏が両手で耳を塞いだのを確認すると強く抱きしめる。

 瞬間、爆音、衝撃が響き渡る。

 周囲の悲鳴をかき消す様に続いて更なる轟音。背後で崩れる音と揺れ。


「こっち」


 赤い粒子がシェルターの隅へスルスルと空中を滑る。


「立てるか?」

「あっ、は、へ?」


 完全に混乱した奏の脇に手を回して抱える様に赤い粒子の尻尾を追う。

 ここは安全なのか?


「比較的」


 おい!


「このままだとシェルターは破壊される」


 いきなりの最終宣告。シェルターの破壊、つまり死。

 なんでだよ。軍は?


「撤退した」


 は? 撤退?


「そう」


 待てよ! 俺達は置き去りかよ、見殺しって事か。

 見捨てられたという事実に俺は激昂した。民間人を守る為にいるんじゃないのかよ。やるせなさと怒りが渦巻く。


「黙って」


 今まで聞いたことのない赤い粒子の冷たく鋭い声音。明確に冷えた怒りが鋭く含まれた声。


「彼らは限界まで戦った。これ以上は犠牲が増えるだけ、仕方がないの」


 徐々に声のトーンを落としながら話し、最後は悲しげに漏らした。

 そうだったのか、悪い。

 自分勝手な怒りに恥ずかしくなる。そうだ、ずっとシェルターに入っている間、戦い続けていたんだ。現実を理解して気持ちが静まる。


「いいの、その子は大丈夫?」


 腕の中に抱いたままの奏では俺の胸に顔を押し付けてしがみついている。


「奏、ケガは?」

「ない、大丈夫。タケルは?」


 顔を上げた奏が答える。少し泣いている。


「俺は丈夫だから」

「ん」


 頷いた奏を見て少し安心する。ケガとかはなさそうだな。

 それで、どうするんだ? このままだとマズイんだろ


「ええ、だから。備えて」


 数秒後に1番大きい衝撃、入口部から金属が断裂する高音にコンクリートが砕ける破壊音。周囲に粉塵混じりの風が流れる。

 声を押し殺した声にならない悲鳴が胸に響く。腕の中で震える存在を優しく抱きしめて、そっと頭を撫でる。


「絶対に守るから。今日が終わりになんかさせない」


 震えは収まらない。


「信じて」


 力はもうある。後は意志だけ。


「うん、信じてる。あのときみたいに。タケルを。でも、怖いのは怖いから」


 震えは収まっていなくても、死の恐怖も感じていても、それでも、俺を信じてくれた。

 その信頼に応えたい。

 そして何より、護りたかった。たとえ俺を信じてもらえなくても護りたかった。


「うん、そうだな。怖いのは仕方ないな」


 奏の恐怖を少しでも和らげたくてゆっくりとそういう。それが正解かはわからないが黙るよりかは良いだろう。

 なあ、俺はどうすればいいんだ?

 赤い粒子に訊ねる。


「外に出て特定の場所に移動して欲しいの」


 理由は何にせよ、外に出るのは自殺行為に他ならない。

 何をするんだ?


「あなたの移動座標を元にこちらから干渉するの」


 一応、もし人類が対処できない場合は干渉するといった感じの事は言っていたが、本当にするとは思っていなかった。だが、それで奏や他の人達を守れるなら良い。

 わかった。


「じゃあ、こっちに」


 赤い粒子が少し入口方向へ移動する。


「奏、ここで待っててくれ」


 肩をそっと掴み、体から離して目を見ながら告げる。


「タケル?」


 眉をひそめた奏がまるで祈る様に手指を胸の前で絡めた。


「すぐ戻って来るから」


 手を離して行こうとするが、服を掴まれる。


「待って、タケル。行くってどこ? そっちは崩れてる」


 潤んだ黒い瞳がこちらを映す。目の周りは赤く少し腫れている。


「奏、君を守るために行かなきゃならないんだ。それに、他の人達も」

「わたし? 守るって。なら、側にいてよ」

「それじゃダメなんだ。とにかく行かないと」


 背中に密着感。


「嫌だ。怖いの。ずっと一緒にいて」

「かなで…」


 回された腕を解いて振り返る。


「タケル…」


 ボロボロと涙を流す奏がいた。いつか言われた事を思い出す。俺が奏の心の支えだと。

 俺が思っていた以上に奏にとって俺は重要で、思っていた以上にあの時の心の傷は深かった。


「ねえ、手遅れになるから」


 わかってる。赤い粒子にそう返した。多分、待ってくれているのだろう。


「必ず君の側に戻ってくる。あの時の約束は絶対だ」


 奏は何も言わない。一瞬開きかけた唇を閉じて結び、少し眉を顰めて僅かに見開いた瞳から涙がとめどなく流れている。頬を伝う涙を指で拭う。そちらの方向へ奏が頬を寄せ、表情を緩めて目を細めた。


「行ってくる」

「うん」


 その一言を聞くと踵を返して人を掻き分けて進む。


「あっ、タケ」


 背後から声続けて数歩分の足音、振返りそうになるが前を向いたまま進む。

 赤い燐光を追って壊れた扉の隙間から通路に出る。入口前の光景があの日の光景と重なるが、過去に囚われている時間は今はない。

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