九話 整流1/2
玄関の前でポケットに手を入れて携帯等を忘れていないか確認する。
なんとなく空を見上げて周囲に視線を巡らせているとドアが開き、奏が出てきた。流れていく白い雲から視線を下ろした。今日はシンプルにTシャツにジーンズ姿か。
「おう」
軽く右手を上げて見せる。奏も少し手をヒラヒラさせて応えた。
「ごめん、待った?」
ブランドロゴをあしらったメタルバッジが3つ付いた帽子の位置を少し直しながら、奏が小首を傾げた。銀色の小さなバッジが太陽をキラリと反射した。
「いや、全然」
「ん、じゃあ良かった」
「行くか」
頷いた奏と連れ立って歩き出す。
「それで、何買うんだ?」
「服とか色々」
「服って、結構持ってないか?」
別に奏のクローゼットを見たわけではないが、ラフな服装が多いとはいえ、Tシャツだけでもあまり同じのを見なかったりと結構持っていそうだ。
「タケル。服買ったりしない?」
若干睨むような視線を送られ、目線をそらす。これは地雷を踏んだか? やばい!
「いや、買うけど」
「流行りだからとかで買ったりしない?」
「まあ、あるかな」
「そういう事」
「お、おう」
分かったような分からないような。そんな感じになりながら返答した。まあ、確かに友達がいい服持ってたら似たやつ買ったりもするし、そういう感じだろう。
「ん、じゃ、行こう」
歩き出した奏の横に並ぶ。
「おう、で、どこ行くんだ?」
買い物付き合えと言われたが特にどこに行くか等は聞いていない。
「よく行く服屋があるから」
「どの辺?」
ちょっと眉をひそめながら考えた後に奏が口を開く。
「路地裏」
「いや、どこのだよ」
「新宿」
このまま聞いても徐々に位置を絞りこむ羽目になるのでやめておく。とりあえず、大まかな目的地はわかったから良いか。
夏前だが十分暑い陽射しを浴びながら駅に向かう。アスファルトから上がってくる熱気で更に暑い。
「くそ暑いな」
「うん、それ以上言うと、もっと熱くなるからやめて」
「あっ、すまん」
横目でちらりと見られて思わず謝る。
「いや、怒ってないよ? タケル、何? PTSD?」
「いや、そんな事ないから」
「本当? 脊髄反射レベルだったけど」
「そんな事はない。ない」
奏の疑惑を完全に否定しておく。別に過去に何かあったわけではない。そもそも、さっきの会話がトラウマになるってどんな人生だよ。ハードモードとか言ってられるレベルじゃねえぞ。
「実はショックで記憶が…」
「ないから。多分、そうなら今頃俺はフラッシュバックしてきた記憶にうなされてっから」
「ん、確かに、そうだね」
「とりあえず、俺の過去に暗い部分はない。ないんだ。絶対にない」
「ないを3回も言わなくても」
眉を下げた奏が唇を尖らせる。徐々に声をデカくしたのが良くなかったらしい。
「まあそういうことだ。ところで、服ってどんなの買うんだ?」
うまい具合に話題を切り替えていく。
「特に決めてない。見て、決めようかな?」
「ああ、そういうね」
確かに実際に見て触らないとわからない部分が服は多いか。通販で買えるとはいえ、こだわっている人間は実物に拘るもんな。
そうこう話していると駅について電車が出る数分前に乗り込む。あいもかわらず東京の電車は人が多かった。どこかの路線は人がいないのに。なんとかならないものか。
「タケル、もうちょっと右」
「おう」
手すりのある右に寄ると奏のいるスペースが増えた。俺の右肩を犠牲にして。地味に食い込んだ手すりが痛い。
まあ、それで奏が楽なら良いか。元々人混みに飲まれるのは苦手なやつだし。
「あと何駅?」
「えっ? 気にしてなかった」
「あっ、じゃ、いい」
妙に切羽詰まった感じの俺を不思議そうに奏が眺る中、十分程電車に揺られた。
右肩をさすりながら電車を下りて奏の後ろをついていく。一番大きい道からそれて二車線道路に入って程なくすると奏が灰色のコンクリート剥き出しの店を示した。
「あそこ」
入り口のある面がガラス張りになって店内が透けて見える。ストリートファッションとかいう感じの服が並んでいた。
「こんなとこあったんだな」
大通りから外れて地味な場所にあるので正直見つけにくい。
「うん、ワタシもたまたま見つけたから」
「へー」
自動ドアを通って中に入る。冷房が効いてて心地いい。外から見るとストリートファッションが目立ていたが、店内にはスーツに近いシックな服も多い。
そして、ある事に気づく。
「ここってさ、メンズ系?」
「まあ、そうかも。メンズが中心かな」
奏はメンズファッション着てる時も多いから別にイメージ通りといえばその通りだった。
「色々あるな」
キョロキョロと目移りしながら奏の後ろをついていく。時々立ち止まって奏が服を手に取ったりする。
「良いのあったか?」
「どう?」
薄手の黒地アウターを手に取った奏が訊ねてくる。胴の丈が長めでヒラヒラした感じだ。
「チャラい」
「だよね」
速攻で服を戻した奏が別の服を探す。
「いらっしゃいませ」
店員が横から声をかけてくる。軽く頭を下げておいた。
「彼氏さんの服でしょうか?」
そういう言われて俺は少し驚くが、奏は一瞬何を言われたか意味がわからない様子でいた後に、どこをどう見たらそう見えるんだろう。という困惑と戸惑いを少し覗かせた表情で、
「いえ、違いますけど。ワタシの服です」
あっさりとそう言ってのけた。なんか悲しくなった。奏は時々俺の扱いが雑いというか、なんだろう。別に俺は奏の彼氏じゃないけど、ドライ過ぎるというか、なんだろう。
俺が精神的ショックを僅かに受けている間に奏は店員と話してどこかへ案内されるところであった。
「タケル?」
小首を傾げた奏が下を向いた俺の顔を覗き込んだ。
「あっ、おう。今行く」
一瞬、奏の顔にドキリとしながら二人で店員についていった。
「こちらはどうでしょうか?」
ポケットの複数ついたベストを店員が示す。
「良いですね」
奏が店員といくらかやり取りを交わす。
「では、ごゆっくり」
そう言い残して店員が去っていった。
「これ買うのか?」
「んー、まだ。他のも見てからにする」
「そうか」
気に入ったのか手にとってよく見ている。丈の長い薄手のベストだが、肩の部分に革が使われて背中には肩甲骨と腰の部分にリングがあって上のを通った帯が腰のリングを通って体の前で結ばれている。
下にはスリットが入って歩きやすい感じになっている。ついでに背中側の方が長い。
「ん、高い」
小さく奏がそう言って服を戻した。値札は確かに学生には高い値段だった。
「いいのか?」
「うん、ほかも見たい」
チラッと先程の服を見てから奏が他の服へ視線を移した。やっぱり欲しいのか。
店内をぐるりと一周して色々と見てから最終的に何も買わないで店を出てしまった。
「買わなくて良かったのか?」
「うん、組み合わせとかあるし」
「そっか」
「それより、タケルは欲しいの、なかった?」
「いや、俺は。ああいうのはな」
奏に似合うメンズファッションとか細身のイケメンじゃねえと似合わねえよ。俺が着たら多分自意識過剰だと思われる。
「そうかな?」
「それにあんまりゴチャゴチャした感じのはうっとおしいからな」
「強がり?」
いや、待て。確かに、似合わないからやめといたのをそれっぽく誤魔化しているように聞こえるが、断じてそんなことはない。てか強がりって何だよ。強がってねえし。
「違うから。高いしよ」
「あっ、それもそうだね」
奏もやはり高いと思っていたらしく俺の言葉に納得した。
「それで、こっからどうする?」
「ん、ファンデとか、買いたい」
ちょっと考えてから奏が言う。何を言ってるか解らなかったので数秒固まってからファンデーションと理解した。化粧品か。
実際、奏は少し化粧をしていた。遠目だとしていないように見える程度だが。
「男だから解かんねえけど、そういうのってどこで買うんだ?」
ブランドの高そうなのからドラッグストアに置いてあるのとか、女子なら結構選ぶんじゃないか?
「適当」
意外な回答だった。服同様に拘りがあるのかと思っていた。
「適当でいいのかよ」
「んっ、まあ、それなりのは選ぶけど、そんなに色々やらない方が合ってるから」
あー、肌荒れとかなんかがあるって聞いたことあるぞ。それか。
「肌とか荒れるのか?」
「別に、そういうのじゃないけど。メイクやりすぎても可愛くないから」
それもそうか、厚化粧はな。それに奏は元が良いからメイクとかも少しで良いのだろう。
「色々あるんだな」
「男子もしないの?」
「そういう趣味のやつはするかもしんねえけど」
「そうじゃなくて、髪とか」
ああ、そういう。セットしてるのは友達にいるな。だが、俺は髪が短いしそんな事するのは面倒なのでやらない。
「やる奴はやるだろ」
「タケルは?」
「面倒いからやらねえ。てか、メイクって面倒とか思わねえか?」
なんとなく思ったので聞く。
「思う時は思うけど、寝癖ついたまま外でないでしょ? そんな感じ」
なんとなく分かったような分からないような。
「なるほどな」
「とは言っても、そんなにメイクしないから手間はかからないけど」
「さっとやっちまうのか?」
「うん、まあ。待って、それって適当って意味?」
急に悪い方に勘ぐり始めた奏が俺を見た。
「いや、そんな事は思ってないから。メイクとかよく分かんねえからそういっただけだよ」
「それもそっか。ワタシは、ファンデとルージュくらい?」
「ルージュ?」
意味が分からずに首を傾げる。
「口紅」
人差し指を下唇に当てた奏が言葉を発する。小さな口の動きに合わせて指を添えられた唇が柔らかに形を変えた。思いがけない仕草に心臓が跳ね上がるのを感じた。
指が離れるのに合わせて豊かな弾力と共に元の綺麗な形に戻った。
自然と吸い込まれた奏の唇から視線を引き剥がして前を向いた。
「ああ、口紅ね。なるほど。それで、これってどこ行ってんだ?」
変に意識しそうだったので話を切り替えておく。そうすると奏が複合商業施設の名前を口に出した。
「あそこね。そういや、あそこになんか新しい店出来たらしいな」
「食べ物系、だったよね。美味しいらしいよ」
「へー、美味いなら行こうぜ」
奏が頷いてそのまま目的地まで他愛もない話をしながら歩いた。
商業施設に着くとまずは奏と化粧品のあるコーナーへ行った。ブランドロゴが電光板に表示されている。絶対高いやつだ。
「なあ、高くね」
「見るだけ」
そうだよな。高級ブランドとか俺たち庶民は見るだけだよな。
奏が見ているショーケースを見てみるが、微妙に色が違っているようにしか見えない。何が違うんだこれ? 完全に同じ色もあるし。
「あっ、ごめん。一人で見てた」
少し申し訳無さそうに眉を下げて奏は、面白くないよね。と表情で語った。
「いや、見てていいぞ」
「ん、別に気にしなくても、買い物付き合ってもらってるのこっちだし」
買い物と言っているが今のところ何も買っていない。買い物という名の街ブラだ。
「気にすんなって。奏の好きにしてくれ」
「うん。でも、他に色々見たいし行こう」
「おう」
ショーケースから離れて別のフロアに移動し、日用品を売っている場所で奏はいくつかの化粧品を買った。いつも使っている物なのかすぐに手にとって会計を済ませてしまった。
「それでいいのか?」
「うん。行きしに言ってた、お店いかない?」
「ああ、そうだったな」
少し携帯で店の情報を調べてからそこに向かう。そこはいわゆる喫茶店で中はシンプルな木目調の内装だった。
空いた席に案内されて木製の椅子に座る。
「何にする?」
メニューを広げてみる。
「甘いの。ケーキ食べたい」
「あー、いいね。俺も」
ケーキの一覧を見るといちごのショートケーキ等のメジャーな部類から、聞いたこともないようなのもあった。
「わたしは、これ、にしようかな?」
アップルパイの文字に奏が指を添えるが、少し下になぞって止まる。
「やっぱりこっち」
よくわからないケーキだった。
「なにこれ」
「ナッツとかドライフルーツをのせたケーキ。のせる物は作る人次第だけど」
「ほう?」
「見れば、わかる」
それはそうだ。
「じゃ、俺はアップルパイにするわ」
見たことないのにしようとしたが、無難なのにしておいた。もし苦手なのがきたら困るし。
「飲み物どうする?」
「何があるんだ?」
奏がドリンクのところまでメニューを捲った。
「ケーキだし、コーヒーか紅茶かな?」
「これもなんか色々あるな」
コーヒーもブレンドやアメリカンとかがある。そういや、コーヒーのアメリカンってどういう意味だろうな?
紅茶も色々あったが、フレーバーティーというのに目が止まった。前に赤い粒子が注文していたのな。
だが、赤い粒子がどのフレーバーティーを頼んだのかは覚えていない。そもそもこの店にはないかもしれない。
「フレーバーティーってのどう?」
「フレーバーティー?」
「ああ、嫌いか?」
「んーん、嫌いじゃないけど、タケルってそういうイメージないから」
顔をしげしげと見つめられる。変なもの食ったと言いたいのだろう。まあ、別に俺も前飲んで悪くなかったなってだけで深い意味はないけど。あと、奏はこういうの好きそう。
「前に友達とな」
「そういう友達いたっけ? 牛丼屋行ってばっかりじゃないの?」
「いやいや、そんな事ねえから。運動部じゃねえんだぞ。いや、誘われて何度か行ったけど。別にそういう店ばっか行ってねえから」
「そうなんだ。誰と行ったの?」
口を開きかけて止まる。赤い粒子と行った。なんて言えるわけない。
話すにしても正体不明、神出鬼没のあいつをどう説明すりゃいいんだ。それに二人であちこち行ったとか言えないわな。
「色々な」
「複数?」
「そうそう」
奏の自己解釈でなんとかなりそうだ。
「本当は?」
あっ、だめだ。普通に疑われてる。
「本当だって」
「ふーん」
腑に落ちないといった表情で数秒見つめられたが、すぐにいつもの表情に戻ってくれた。助かった。
「それで、どうする?」
「んっ、んー、これ」
迷ってから奏がこれまたよくわからないのを示した。何入り紅茶だよ。
「これって何?」
「いちごみたいなのと、その他にも数種類のブレンドだって」
いちごか。うまそうな感じがするな。
「じゃあ、俺もこれにするわ」
「ん、注文するね」
「おう、頼む」
奏が注文を済ませて水を一口飲んだ。しばらくお互い無言で流れてくる音楽を聞いていたが、奏が少し前かがみになって机に肘を置いた。
「ねえ、タケル。最近気を使ってくれてるよね。ありがとう」
突然そんな事を言われて驚く。
「急に何だよ。奏とは子供の頃からの付き合いだし、気にして当然だろ?」
「ありがと」
奏が笑った。自然に笑うその姿を見て頬が緩む。ちょっとがむしゃらだったが自分なりに色々思ってやった行動がいい方に転がったのは素直に嬉しかった。
これからもこうして普通に過ごしていきたい。そう願った。
照れくさくなって視線を少し泳がせていたところに、ケーキと飲み物が運ばれてくる。
「来たな。おっ、美味そうじゃん」
気恥ずかしくなって話題を変える。
「ん、食べよ」
アップルパイを一口頬張る。りんごがゴロゴロしたタイプで美味い。奏はドライフルーツやナッツがのったパウンドケーキっぽい物にフォークを入れて一口サイズにし、口に運んだ。
「うまい?」
「美味しくなかったらそもそも、頼まない」
至極当然な事を言われる。
「いや、あの、どんな味かなって」
「素朴な感じ。タケルのは?」
「めっちゃりんご」
「そうなんだ」
少し間を置き、若干眉間にシワを寄せてなんとも言えない表情をした奏がそう言った。食レポ下手で悪かったな。
食べ終えると店を出て少し奏が気になった店を見てから帰路についた。
「じゃあな」
「ん、またね」
奏に手を振って姿が見えなくなると鍵を使って家に入った。
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