episode4 SEPULTURA3/3

 途中で自衛官に、外から現場を見ておきたい。と言って現場の外に出る。

 高台にある街はガイジュウ災害からまだあまり経っていないからか、仕事時間だからか、人通りは少ない。

 閑散とした街を歩いていく。上の方で振り返ると、閑静な住宅街と、そこにポッカリと空いた崩壊した家々が見えた。

 更に登ると小さな公園があって休暇がてらそこに向かう。

 どこかに腰掛けようと思い、ベンチを見ると白い服に身を包んだ先客がいた。首を少し下げて街を見ている。

 何故か気になってその姿を見つめる。

 少し赤みを帯びた長い黒髪を後ろでまとめて、そよ風に揺らしている。うなじは眩しいくらいに白くて夏の日差しによく映える。

 ふと、髪が大きく揺れたと思えば、相手が振り向いた。

 そして、彼女は軽く足を振ってからベンチから立ち上がる。白い服が波打つ様になだらかに揺れた。

 左足の方が長い、間隔的に肉抜きされてくるぶしやふくらはぎが見える灰白色のブーツから、乾いた音を立てながら小走り気味で駆けてくる。

「お久しぶりです。私の事、覚えていますか?」

「ああ、もちろん。あの時以来だね。まさかこんな所で会えるとは思ってなかったよ」

「私もです」

 そう言って彼女が微笑んだ。

「髪型も服も変わってるから最初、わからなかったよ」

「ん、そうですね。あの時は制服でしたし」

 彼女が自分の服を少しつまみ上げて見せた。淡いグラデーションの入った純白の左右非対称のワンピースが少し揺れる。見た事のないデザインで、何枚かの薄い帯状の生地を右鎖骨付近から左腰に向かってといった具合に、斜めに流し繋ぎ合わせている。

 右肩を大胆に露出させているが、左肩は短い袖があり、裾も右が腰のあたりなのに対し、左が長く伸びて膝程度まである。そして、左の布から伸びた透かし模様入りの細長い帯が太腿に緩く結ばれている。

 それにしても胸部は裏地があり薄い布でも透けたりしないが、腹回りはよく見ると透けて見える上、脇腹や左袖には透かし模様が入っている。

 本人は良いと思っているから着ているのだろうが、一応は学生である彼女が着るにはなんとも言えない。大人すぎる感じがある。

 まあ、あまり彼女は学生っぽい見た目ではない、社会人と言っても少なくとも自分なら信じるだろう。

「どうですか、これ? 髪も合わせてみたのですが」

 彼女が長い髪を小さく揺らして訊ねる。その拍子で前髪が柔らかに崩れて垂れ、しなやかな毛先が薄っすらと赤味がかった目尻をなぞった。滑り落ちた前髪を、左手を顔の前まで緩やかに持ち上げてそっと直す。

 薬指の爪だけ、少し緑の混じった薄い透明な水色に塗られ、一瞬、視線を奪っていった。

「似合ってるよ」

 あまり変な事を言わない様に ―本当はファッションに疎いから― それだけ言った。

「そうですか。ありがとうございます」

 彼女が嬉しそうにしたのを見て、つられて自分も少し頬が緩んだ。

「そういえば、どうしてここに?」

 彼女が口を閉じて数センチだけ視線をずらして、また戻す。

「まあ、ちょっと」

 唇を結んだままほんの僅かに頬を緩ませ、ごまかすような表情をした。

 これ以上はプライベートな事だ、聞かないほうが良いだろう。相手も年頃だ。

「そうか」

「えっと、ジョシュさんはどうして?」

 急にファーストネームで呼ばれて驚くが、よく考えたら今は軍服で胸に自分のファーストネームが書かれている。

「あそこに少し用があってな」

 ここからでも見える戦闘跡を顔を動かさないまま、指だけ向けて示す。

「そうですか。お疲れ様です」

 軽く彼女が会釈する。

「大した事はしていない」

 しんみりした雰囲気になったので、

「まあ、座って何か飲まないか。喉が乾いたんだ」

 自販機の前に行って財布を開き、セント硬貨の中から日本円硬貨を取り出してスポーツドリンクを買う。

「君も何かどうだい? おごるよ」

「いえ、お気持ちだけで十分です」

「さっき飲んだばかりとかなら良いんだが、遠慮はいらないぞ。どうせ軍にいると金は貯まる一方だからな」

「では、同じ物を」

 控え目にそう言った彼女に同じドリンクを渡す。華奢な細い両手で彼女がボトルを受け取った。

「ありがとうございます」

 二人でベンチに移動して座る。

 ペットボトルのキャップを開けて口をつけて傾ける。

 それを見た彼女もペットボトルを傾けた。波打つ乳白色に飛び込んだ夏の陽射しが、幾重にも屈折して白い喉を照らす。絶えずうねる光の模様が彼女の首元を包んで美しく彩る。

「ふう、生き返る」

 一気に3割程飲んでボトルを閉める。まだ少しずつ飲んでいる彼女の方を向く。それに気づいた彼女が、少し顔をこちらに向けてた。肩口にかかっていた髪が顔を動かすのに合わせて流れ落ちる。

 まだ日を知らないのかと思うほどに白いうなじが見え、シャープだが鋭すぎない輪郭が浮かぶ。ハイライトを乗せた頬や鼻先、ヨハネス・フェルメールが描いた様に燦爛とする唇。

 視線が流れる。

 鱗粉の様に入射光を煌めかせる朧気に青く映る黒いまつ毛が光を散らし、潤いを湛えた眼がこちらを向いた。

 強い陽射しによって収縮した瞳孔に、微細に跳ね回る赤い幻に似た残像、微かに動いて光にそよぐ虹彩は滲みながら結膜へと繋がっていく。

 視線が合うと、彼女の瞳孔が僅かに開いた。

「暑いね。日本の夏は特に暑いよ」

「そうですね。ちょっと嫌になります」

 彼女が苦笑いに似た表情を浅く浮かべる。

「日本人でもそう思うのか」

「住んでいるからと言って、慣れるわけじゃないですから」

「それもそうだな。人間、どんな環境にも絶対に適応出来る訳でもないからな」

 彼女の言葉に妙に納得してそんな事を言った。

 彼女はほんの僅かに唇を柔らかに噛んだ。なぜ、彼女がわからない程度に緊張した表情を浮かべたのか、その心理を慮る事は自分には出来なかった。

「でも、その為に色々な、何ですかね、道具? がある訳ですから。最終的に人間はどんな環境にも適応出来ますよ」

 やや不安げとも捉えられる声音が聞こえた。

「君の言うとおりだ。エアコンでも何でも使えばクソ暑い日本の夏だって余裕で乗り切れる。ガイジュウ退治だって道具次第さ」

 無意識で最後の言葉を言ってしまう。本心ではあるが、彼女に対してはあまり良くない発言だったかもしれないと思い、彼女を見る。

 少し微笑を浮かべていた。よくわからないが、こういう話をしても良いらしい。

 ちょっと間を空けて仕切り直してから話を続ける。

「自分は兵士だが、素晴らしい兵士と素晴らしい装備があればどんな困難にも打ち勝てる、と信じている。どちらがかけてもダメだ。2つ揃って完全になるんだ」

 自分がそう言っている隣で静かに彼女が耳を傾けていた。

 しばらくの間彼女と話していたがモブが鳴り、少し彼女から離れてから通話状態にする。

「ジョシュ、いい時間だから迎えに来た」

 坂を登る道から迷彩色の車両が走って来るのが見えた。

「ああ、わかった」

 モブをしまい、

「お迎えが来た。今日は会えて良かったよ」

「私もです。では、またお会いできる事を祈ります」

 彼女が軽く会釈して髪と服を揺らして振り返ると去っていった。途中、タップダンスの様に小気味よくこちらに向き直り、あの日と同じ言葉を紡いでから、前よりも大胆に唇にそっと指先で唇に触れてから手を放した。

「君にも幸運を」

 そう言い返して、薄っすらとオレンジ色の白い日差しに照らされた彼女が、消えるまで見つめていた。

 後にはカラメルと何か不思議な香りが残った。

 迷彩色の車が着くとそちらに向かった。

「ちょっとした観光か? 俺はタクシードライバーじゃねえぞ」

 ドライバー席の窓を開けたトッドが早々に悪態をつく。

「いいだろ。なに、自分の使命を再確認してただけさ」

「そうかい。まあ、リフレッシュ出来たなら」

 そこまで言ってトッドが話を切り、周囲の匂いを嗅ぐ。

「どうした?」

 急な奇行に少し困惑しながら訊ねる。

「オゾンの匂いだ」

「わかるのか」

「ああ、この辺に工場とかは無いよな」

 周囲を見渡すが住宅地と緑だけだ。

「無いな」

「ガイジュウ絡みの残留物か何かか?」

 遠く見える廃墟となった街とガイジュウ死骸を、神妙な面持ちでトッドが眺めながら言う。「今日集めた情報を解析すればわかるだろう。もしくはお前の気のせいだ」

「そうだな。ほら、早く乗れよ」

 トッドに急かされながら車に乗り、市街地から廃墟の方へと向かって行った。

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