第18話 同じ傷を持つふたり

「あー……」


 どんよりした気持ちで、家に帰ると、呻き声をあげて腹をポリポリを掻く生物がいた。

 もちろん、あかねだ。


「あーあ、私も広報じゃなくて展示制作がやりたかったなー。ペンギンオタクぶりなら誰にも負けないし」


 俺は聞き流しながら手洗いとうがいをして、自室で着替えてから居間に来る。


「知ってる? ペンギンは自分たちの住む場所の雪を、うんち使って溶かすんだよ」

「よりによってなぜうんちネタを!? あ、うんちくだけにってか」

「ハァー……」


 クソでか溜め息。

 ひどくない? 結構アドリブとしては悪くなかったと思うんだけどなァ。


「だったら、そう言えばよかったのに」

「だって、みんなに期待されたらしょーがないじゃん」


 声色に怒りは感じられなかった。やりきれない、が正しい。そんな静かな、落ちこんだ声だった。

 あかねはのろのろとちゃぶ台に手を伸ばし、広げていたせんべいを取る。ふと、普段はない異物に気付く。小さな木の枠が、せんべいの隣に立っていた。

 写真立てだ。

 手に取って引き寄せると、柔和な顔の男性が映っている。三十代くらいだろうか。


「……これ、お前のお父さん……学さんか?」

「そ。さっきこれだけ家から持ってきたの。いい年して特撮ヒーロー物が好きな、子どもっぽい人でね。でも、世界一かっこいいでしょ」


 冗談とも本気ともつかない、言葉。微笑んで、自慢げに。

 なんとなく、わかる。自分の大好きな人を、でももう会えない人を、悲しみたくないから大袈裟な表現で形容する気持ち。

 俺も、母さんは世界一の美人だと思っている。


「そうだな」


 俺が丁寧に置き直すと、あかねは写真の中の学さんをじっと見つめた。


「パパね、亡くなる直前に私に言ったんだ」


 柔らかな声が、踊る。



 ――あかね。いつまでも、みんなから愛される子でいてね。



「……そうだったのか」


 理屈の前に感覚で、腑に落ちた。

 今まで深淵を覗くような気がして、理由は考えてこなかった。

 あかねが姫であり続けるのは、お父さんとの約束だったんだ。

 俺にも、覚えがある。無意識によみがえる、病室の光景。


「……俺もそうだよ」

「優さんに?」

「うん」


 母さんは病気で細くなった手で、『世界一かわいい子』と呟きながら、俺の頭を撫でた。



 ――塔司、ずっと素直な子でいてね。



 それが、母さんの最後の言葉だった。


「……それで、いきなり持ってきてどうしたんだ?」


 話を逸らす。

 感傷的になっても、時間は進む。いつまでもそんな気持ちでいるべきじゃない。それは、お盆と命日の、一瞬でいい。亡くなった人より、生きている人に時間を掛ける方が、大切だ。


「うーん……あのね……」


 急に唇を、左右にもにゅもにゅさせた。


「言いにくいのか? なんだよ。いつもらしくないな」

「……今さ、陽太さんの部屋で寝起きしてるじゃない? それで、優さんの写真立て置いてあるじゃない?」

「そうだな」

「いや、全然、悪気はないんだけど……寝る前とかたまに優さんの写真と目が合って……。ちょっと気まずい、みたいな」

「……なるほど」


 逆の立場だったら、俺もそう思う。


「言ってみりゃ、前妻の写真だもんな。死別で仕方ないとはいえ、そりゃ、新しい妻の連れ子は気まずい思いもするだろうさ」

「……う、うん」


 頷いているが、あまり納得している様子ではないな……。ま、とにかく解決策は簡単だ。


「母さんの写真は俺の部屋に引き取るよ。好きなところに学さんの写真を置けばいい」


 早速親父の部屋に行き、母さんの写真立ては俺の机の上に置くことにした。


   ◆ ◆ ◆


 翌日の火曜日から、文化祭に向けて本格始動となった。


 右京と佐藤は、紙粘土代は学校側で持つと言うと、ペンギンフィギュア作りを快諾してくれた。そうなるとペンギンの体型・体長・体色を画像付きで資料提供しなければならない。大急ぎで資料集めからスタートだ。


「レポートの体裁なんだけど、画像はフリー素材を使うとして。画像と身体スペックを上に並べてまとめて、下半分に特徴をまとめる感じでどうだろう?」

「いいですね。文字のQ数も考慮に入れて、本文は四百字くらいですかね」


 これを十八種で十八枚。おまけにペンギンと環境問題を絡めたレポート二枚で、計二十枚も作らねばならない。やっぱり、なかなか骨が折れる。

 でも――


「じゃあ土屋さん、ジェンツーペンギン担当してもらってもいい?」

「わかりました。そうだ、砂岡くん。まずイワトビペンギンから本文を書いてみたんですが、試しに読んでみてもらっていいですか?」

「もちろん!」


 メインで使ってるPCルームに来る人はほとんどおらず、芽依ちゃんと放課後二人きり。これが平日ずっと続く。

 フッフゥー! 真面目な顔の芽依ちゃんはキリっとした上にかわいいし、近くに寄ると本当にイイ匂いがするし、自然と会話が生まれるし、学校の正門までは一緒に帰れるし、ニヤニヤが止まらない。顔に出さないよう細心の注意を払いつつ心の中で、だけど。


 ……もちろん、ウソついていることを忘れられるはずがない。だから、文化祭までだ。終わったら、あかねのことはともかく、親父のことは機を見て正直に打ち明けるつもりだ。



★次回『さらば、お姫様』につづく。

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