第10話 Gが出た!

「グェェェェ!」


 ――買い物袋を提げて家に帰ると、異変は玄関ですでに起きていた。

 俺の気配を感じるやいなや、制服のままのあかねが、庭の方から現れた。縁側で待っていたらしい。かと思うと、いきなり謎の鳴き声を発した。困惑っていうか……こ、怖い。


「……ど、どうしたの?」


 俺の問いに、あかねは無表情で手の甲を上に向け、両手首を腰に当てる。ペンギンのジェスチャーだ。そして。


「グェェェェ!」

「……」


 また鳴いた。

 ……こ、壊れた。

 やばい、どうしよう。俺そんな精神を破壊するまでのことした? 美月さんになんて言えばいいのこれ?


「今のはね、オウサマペンギンの鳴き声のマネ。ストレス発散に効くの」


 よかった、頭はちゃんとしてる!


「ま、まあとにかく、入りなよ」


 俺は胸をなで下ろして、いつもより丁寧に、慈愛の目であかねを招き入れた。

 あかねは居間につくなり、「カルピス」と注文をつけてきやがるが、三回もオウサマペンギンをやられたらまた不安になるので、黙って牛乳入りでお出しした。制服のままいつものL字姿勢で戸棚に寄りかかって、ジルジルとストローで飲む。


「家にね、出たの。……Gが」


 ストローから口を離して、ポツリと出た言葉。


「G? ああ、ゴキブリ」

「もう! 聞きたくないからわざわざボカして言ったのに!」

「ごめんごめん。なんだ、何事かと思ったらそんなことかよ。退治すればいいじゃん」

「じゃあ退治してきて」


 さも当然のように返されたので一瞬、ん? と頭をひねる。


「え、俺が? なんでよ」


 すると、それはそれはなじる目で。


「さっき、せっかくお膳立てしてあげたのに」


 ……うわあ、これが〈虚を衝かれる〉ってヤツか。


「ホント、ごめんて。あ、でもね、あの後マジョのおかげで、土屋さんとアカウント交換できたんだよ~ヌフフフ」

「……フーン、よかったね」


 無意識ににやけてしまっていた俺とは対照的に、あかねの目は凍傷になるほど冷ややか。こりゃ氷の国のお姫様ですわ、ええ。

 なんだよ、確かに俺のせいで失敗したからって、そんなに怒らなくてもいいじゃん。


「俺、ダイニングと廊下にウェットシート掛けてるけど、Gはどこに出たんだよ」


 本筋に戻そうとした俺の問いに、あかねはウッと声を詰まらせた。


「……私の部屋……」

「ああ~」

「納得すんなし!」


 カルピスを飲み干して、グラスを勢いよくちゃぶ台に置く。なるほど、あかねの部屋までは掃除してない、てかさすがにできない。

 普段から片付けとかないからだぞ、と言っても火に油だろうから、建設的な意見を。


「殺虫剤で出てきたヤツを倒し続けてもイタチごっこになるだけだからな。ウチはブラックキャッパーってのを置いてて。要は毒の餌で誘って、根絶やしにしていくんだ。そしたら、外から侵入してくる輩だけ気を付けていけばいいだろ?」

「そのブラックキャッパーは今あるの?」

「ウチは例年三月に入れ替えてるから、今買い置きはない」

「そう。じゃあお金出すから買って来て」


 また当然のように返されて、はい、と言いそうになる。


「お前の家だろ。お前が買って来いよ。商店街のドラッグストアに売ってるから」

「だって、今の時間帯はまだ新城学園の生徒がうろうろしてるでしょ。見られたらどうするのよ。みんなから愛されるあかねちゃんが、Gの出るところに住んでるなんて思われたくない」

「ええ~」


 キッパリ。めんどくせえな姫ロールプレイ。


「それにもう『ペンギー』がはじまる時間だし。いつまでたっても制服着替えられないんですけど!」

「……わかったよ。しゃあねえなぁ」


 もうこの強情モードになったら何言ってもムダだ。

 私服に着替えて、スニーカーを履いて小走りで商店街へ。殺虫剤とブラックキャッパーを買い、ポイントカードも忘れずに付けてもらうと、また小走りで戻る。

 しかし、あかねのヤツ、いくらなんでも不機嫌すぎやしないか。


「ご苦労。じゃ、始末してきて」


 いやいやいや。

 戻るやいなや、氷室邸のカギを渡してきたので、ここはたまらず説得モードに。


「待て待て、あかね。わかった、俺が始末するのはいい。女の子は虫大嫌いだもんな。でも、俺がお前の部屋入ってだ、Gを追う内に見られたくないものまで見ちゃうかもしれないぞ。それこそ下着とかな。いいのか?」

「……む」


 しばらく逡巡の表情を見せると、あかねもついて来ることになった。

 ウソはついていないが、癪だったのはある。俺のせいで失敗したが、あかねは俺を手助けしてくれた。だから俺も、あかねが困っていたら助けたいと思う。家族だもの。でも、それはコキ使われることとは違う。

 夕闇の中の道を歩き、氷室邸の玄関に到着。


「さて、お邪魔しまーす」


 玄関を開けると、どうもGを見るやいなや反射的に飛び出してきたらしいことを察した。だってあかねの部屋は、灯りは点けっぱなしにドアは開きっぱなし。

 で、部屋を覗くと、相変わらず汚い。


「どこらへんで見たんだよ。まだその近くにいるとは限らないけど」

「えーと、机の上」


 机の上には無造作にできたプリントの山、散乱するアクセサリーや小物、トドメにチョコ菓子の残骸まであった。こりゃGも出るわ。


「机がこの状態って、お前どこで課題してんだ?」

「ダイニングのテーブルでやってる」


 勉強机あるんだからそれを使えよ……。

 とりあえずチョコ菓子の残骸と、ついでにいらないプリントをレジ袋に入れてまとめて捨てる。当たり前だが、Gが出ようが出まいが一度大掃除した方がいい――


「ギャアアアアーー!」

「うわ! 何!」


 金切り声に思考が止まる。


「べ、ベッド! ベッドの木のところ!」


 指差された地点に視線をやると、チャバネくんがこんにちはしていた。木目調のヘッドボードの、ティッシュと目覚まし時計の間だ。なんだ、まだちっこい子どもじゃねえか。


「しっ」


 人差し指で息を潜めるよう指示。ヤツらとは、いかに殺意を悟られないかの勝負だ。悟られた瞬間、猛ダッシュかけられるからな。

 俺はゆっくりと目覚まし時計を左手でどけると、


「……そぉい!」


 最小の距離で、かつ相応の威力の出るスピードで、右の掌をチャバネくんに向けて振り下ろした。

 手応えがあった。こういうのは迷いが出ると中途半端で殺しきれずイヤな気持ちになる。が今回は、あかねにGのことを聞かされた時から覚悟はできていた。

 成虫はさすがに無理だが、ちっこいヤツなら殺虫剤なんかいらない。素手で十分。確かめると、チャバネくんは俺の掌でしっかり潰れていた。往生してくれや。


「死んだぞ」


 掌をあかねに向ける。

 向けてから気付く。

 ……あ、親父とはやるけど、こういうノリ、多分アウトだわ……。

 あかねは目をギョロっと見開いた後、


「いやああああああーーー!! 信じらんない! 見せないでよ! バカ!」


 すぐに目を背けるばかりか、バネのごとく部屋から飛び出していった。

 大袈裟だなァ。Gだって好きで殺されたくないだろうに、せめて看取ってやるのが礼儀ってもんよ。



 ちゃんと死骸をトイレに流し、手を石鹸で洗う。二階も含め家中にブラックキャッパーを置くと、ダイニングキッチンと洗面所で普段目の配れない隙間を掃除。終わったら、あかねの部屋に殺虫剤を設置するとともに「一回大掃除した方がいいぞ」と口酸っぱく言っておく。あかねは「それはぁ、分かってるけどぉ」と、あからさまに面白くない顔。


「でさ、ブラックキャッパーを置くと具体的にどうなるの?」

「それはね、まずこのキャップの中の毒エサを食べたGが、巣に戻るだろ?」

「巣があるの!?」

「そりゃそうさ。で、そのGのフンや死骸を、他のGが食べて、それを繰り返して巣ごと根絶されるんだよ」

「ええ……うわ、引くわ……ドン引きだわ……」

「あのな、人間の価値観を昆虫に持ち込むなよ」


 そのツッコミを最後に、やっと一連のG事件は終了。


 ――グゥゥ~。


 ここで、今度は腹の虫が存在感をアピールしてくる。


「さっさと戻って夕飯するか」

「そうだよ。私、あんたが買いに行っている間のお菓子しか食べてない」

「俺は何も食ってないんだよ!」


 氷室邸の電灯を全て消し、砂岡邸に帰投。


「お邪魔しまーす」


 居間に入る前で、あかねが一言告げる。

 ん? 普段そんなちゃんとしたあいさつ、わざわざ言わないよね? と、思った時、ふと気付いた――


「あかねさん? 背負っている、大きなものは何?」

「リュックだけど?」

「うん、それは分かるんだけどね? いつ用意したの? そして中には何が入ってるの?」

「え、あんたが掃除してる時。時間あったから。ほら、制服着替えてクーペンTにもなってるでしょ? 中? 中は着替えとか学校の教科書とか筆記用具とか」

「いや、知りたいのはそこじゃなかったわ、ごめん。なぜリュックを背負っているのかな?」

「ブラックキャッパーが効くまでに結構時間かかるんでしょ? しばらくこっちに住む」

「……はい?」

「だから、朝も夜もこっちで過ごすってこと」

「なぜ!」

「それはさっき言ったでしょ? ブラック」

「あーうん、ちょっと待って」


 ループになるわ! お腹空きすぎて頭も回んねえ。


「つまり、氷室家に戻らないから、ほぼ二十四時間、お前と同じ空間にいるってこと?」

「必然的に、そうなるねぇ。大丈夫、陽太さんの部屋を使わせてもらうから」


 使わせてもらうから~って、そっちの台詞にしてはおかしくない?

 あああ~~~もう!


「わかった、お前にゃお膳立ての恩もあるし、その方が朝もラクだ。気が済むまでいりゃいいさ」

「あ、そう? ふふーん♪」


 俺をうまく丸め込んだことが面白いのか、やたら笑顔。機嫌が直りゃなんでもいいや。



★次回『シャッタードン』につづく。

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