第17話 好きな人にまた嘘を吐く

 さて、と芽依ちゃんが切り出す。


「私としては、特別なことをする必要はないと思ってまして。オーソドックスに、壁に研究レポート貼って、中央にペンギンの造形物を置くスタイルがいいと思うんです。造形物は、欲を言えば紙粘土でいいからペンギンの自作フィギュア置きたいところですね。手抜きなしで、自分たちの手で作り上げることに挑戦した方が、色々経験にもなると思うんです。時間がなければ、日本の日常生活でペンギンがどれだけ浸透しているかを示す小物をみんなから借りて、置くなんてどうでしょう?」


 さすが芽依ちゃん。もう頭の中ではイメージができ上がっているようだ。


「造形物に関しては、右京と佐藤に頼めばできると思う。あいつらプラモ作りが趣味で手先器用だし。係なにも担当してないから放課後ヒマだろうし」

「そう? じゃあお願いできますか」

「OK! どうせダベってるだろうから、今聞いてみるよ」


 ポケットからスマホを取り出す。と、


「……二人とも、いい感じじゃん」


 マジョがニヤニヤした顔で言う。まーた楽しんでるなコイツ。


「そ、そうかな」


 でも正直言えば、マジョがいてよかった。二人きりだと絶対、緊張するからな。帰るとか言わないでよ。


「んじゃ悪いけど、私、家の都合で四時半までしかいられないから。お先に帰るね」

「エエッ!」

 ちょっ、ちょい待ちよお嬢さん!

「うち片親でさ、お婆ちゃんも持病あるし、色々あんのよ。ゴメンね。家でできることあったらやっとくから」

「え、明日からもそんな感じなの?」


 俺の問いに頷き、片手でゴメンのポーズ。


「じゃあすなおうじ、芽依ちゃんの足引っ張らないでよ」


 芽依ちゃんに向けたか俺に向けたか、ウインク一つ。……暗に、二人きりでも緊張するなってことか。芽依ちゃんは「じゃあね」と疑問一つなく手を振っていた。

 気を遣ってるのかマジなのか……どちらにせよ、俺は今芽依ちゃんと、二人きりになれる大義名分を得たということだ。

 ……緊張してきた……。


「それで、レポートの作成についてなんですけど」


 普段の教室より近い距離。芽依ちゃんの甘い香りが鼻をくすぐる。やばい、恥ずかしくて、顔が見れない。我ながら情けないと思いつつ、視線を下げる。


「文化祭の研究展示って、基本マジックで手書きじゃないですか」

「うん……」


 カーディガン越しにもわかる、大きな膨らみ。

 待て待て、いかん、失礼だぞ! かと言って人が話してるのにそっぽ向くのも失礼だ。何か別のことで中和するんだ。


「学生だから許されるんでしょうけど、私、やるからにはちゃんとしたくて」

「うん……」


 なんで今、下着姿のあかねが浮かんだんだろう。今じゃないでしょ! 中和してないどころか混ぜるな危険じゃん!


「図書室併設のPCルームに、A1サイズまで出せる大判プリンターがあるので、せっかくならそれを使おうかと」

「うん……」


 あかねのブラ、清楚な水色で、芽依ちゃんに似合いそうだな……。

 ――ってバカ! 死ね! 性根を入れ替えろ!


「って感じでどうですか?」

「っしゃオラー!」


 俺は勢いよく両手で頬を叩いた。痛い。が、これくらいの痛みが今の俺にはちょうどいい!


「きゅ、急に気合い入れてどうしたんですか?」

「あっ……」


 軽く身をよじって距離を置かれている。めっちゃドン引きされてんじゃん……と思うと、煩悩は霧散していった。……さようなら、また会う日まで。うん、多分寝る前とか思い出すな。



 貼り出される研究レポートについては、縦A1サイズ、即ち広げた新聞紙と同じ大きさで、大判プリンターにて出力する。バカな夢想をしていた俺はあらためてそれを確認し、実際にプリンターを見にPCルームへ移動した。

 PCルームは何度か授業で使ったが、あの馬鹿でかい金属の箱はプリンターだったのか。


「ついでにちょっと調べてみましょうか」


 PCを起動させ、芽依ちゃんが我らがググル先生の検索窓に『ペンギン 種類』と入力。一瞬でさまざまなサイトが出てくるが、


「えっ、ペンギンって十八種類もいんの?」


 見出しだけでそれがわかり、ちょっとびっくり。


「結構いるんですね……私も多くても十種類くらいかと思ってました」

「一種類でレポート一枚と考えて、それでも十八枚か。まあ、最悪コピペして体裁を整えりゃ……百円ライターじゃないけど」

「百円ライター?」


 俺から不意に出た単語に、芽依ちゃんは首を傾げた。あどけなくてかわいっ!

 っと、そうじゃなくて。


「ああ、親父からの受け売りなんだけどね。いわゆるライター業の中には、安いギャラで大量に仕事を請け負って、その実中身はネットからのほぼコピペを体裁整えただけで納品する人もいて。そういうライターを編集者が『百円ライター』と呼ぶんだって」

「ほう……そんな事情が……」


 ふんふんと興味深そうに頷く。

 けど、資料集めから自分なりの文章にまとめるって、かなり面倒だしな。おまけにDTP作業もあるのか。


「……ま、でも正直、高校のクラス展示だし、コピペでもいいんじゃないかな? 俺はいつも放課後暇だけど、土屋さんは図書委員の仕事もあるでしょ?」

「毎日じゃないから大丈夫ですよ」


 パソコンから体ごと、俺の方へ向けた。


「自分で調べて、自分の言葉で書きましょう。そっちの方が大変ですけど面白そうですし、いい経験にもなりますし」


 なかなかアグレッシブな人だよな、芽依ちゃん。


「砂岡くんのお父さんて、出版社の編集者か何かなんですか?」

「肩書きは、翻訳家兼ライターかな」

「すごい! 専門職じゃないですか。なかなかできることじゃないですよ」

「いやぁ、自由な親父でね、子どもの俺に仕事手伝わすような人でさ」

「プロのお手伝いしてたんですか、それは頼もしいですね! ……あっ! そういえば」


 芽依ちゃんは何かに気付いた様子で、おもむろに立ち上がり図書室の方へ向かった。「こっちこっち」と手招きされるがまま俺もついていく。招く手が小さくてかわいっ!


「これこれ」


 招かれるままついていくと、小説の棚へ。

 芽依ちゃんの手には、『星を繋ぐ者』という一冊の海外小説。

 著者はジェイムズ・C・ボーガン。訳者は――


「これ、大好きな小説の一つなんですけど、私の読んだ新装版の訳者の砂岡陽太って、もしかして……お父さんだったりします?」


 ……親父で間違いない。このタイトルは、親父が珍しく熱を上げていたので覚えている。なんでも中学生の時に読んでいたく感動し、一度小説家を目指したくらいだとか。結局、小説家は向いてないと思い、翻訳家を志したと言っていたが。


 それ親父なんだよ~! と言うのは簡単だ。芽依ちゃんの気も引けるかもしれない。


「…………苗字が一緒なだけだよ」


 けど、それは俺の魅力じゃない。親父の力で近付けたって、意味がないんだ。


「そうですか……すみません、勘違いでしたか。一度お会いしてみたいと思っていて。著者の方はもう亡くなってますし」

「う、うん……」


 ああ……俺ホントウソばっかりついてるな……。あかねのことに加えて親父のことまで。どうして、よりによって好きな人の前でウソをついちゃうんだ……。


「砂岡くんは、この小説読んだことあります?」

「いや……ないかな」


 手伝わない限り、親父の文章を読むことはない。なんてたって、気恥ずかしいから。


「私、これを中二の時に読んで、救われたんです」


 芽依ちゃんは物憂げな顔で、表紙を撫でた。


「この小説はですね、登場人物たちが、科学の常識ではあり得ない一つの謎に直面して、それを追っていくのが本筋なんです。謎が徐々に解き明かされていって、最後にとてもロマンあふれる大胆なアンサーが提示された時、とっても気持ちよくって。

 ……でも一方では、人類が自ら作り出し規定した科学によって、逆にがんじがらめに陥るっていう、スケールの大きい皮肉も描かれていて。もっと突き詰めて言うと」


 普段のクールな顔つきが消え、熱っぽく語る。とても新鮮で、自然に見入っていた。


「物事を自己中心的な見方で決めつけて、それに沿わないものを排除しようとする、そんな人の弱さや愚かしさがテーマの一つだと思うんです。でもね、この小説のエピローグでは、その弱さも愚かしさもいつか人は克服できるんだって、希望あるラストになっていて。終わりの一文に、すごく心が満たされるんです」


 本を抱くその顔は、いつものかわいいではなく『きれい』の言葉が似合う。そしてそれは、どこか表情に陰があるからだと、気付く。


「私、この本を読んでた時、周りのウソや噂に翻弄されている時期で……。ごめんなさい、こんな話、もういいですよね」

「……大丈夫。土屋さんがモヤモヤを吐き出せるなら、言ってスッキリするなら、俺聞くよ」


 ウソをついた贖罪をしたいと、心の隅に引っ掛かっていた。話を聞くぐらい、何時間だってできる。


「……ありがとう、砂岡くん」


 芽依ちゃんの微笑みには、やっぱり陰があった。


「……人間は、自分のためなら平気でウソをつく。他人だけじゃない、自分を騙すために自分自身にウソをつくことさえある。デマまで使って、思い通りに現実を曲げようとする人も、いる……。そういう人の弱さと愚かしさを、思い知らされて。まるで津波に飲まれた気持ちでした。それでも希望を持てたのは、この小説に出会えたおかげなんです」


 彼女の瞳の先には、何もない天井。


 ……聞くよ、なんてカッコつけるんじゃなかった。


 まんま、さっきの俺じゃないか。芽依ちゃんに俺を見てほしい一心で、親父じゃないとウソをついた。それだけじゃない。あかねと夫婦漫才みたいと言われた時も、それを打ち消したいがためだけに、躊躇なくウソを吐いた。あかねに合わせたから悪くないなんてあり得ない、あかねのウソに乗った時点で俺は共犯者だ。


「……そうだよね、自分のためにウソつくなんて最低だよね」


 沈黙に耐えられず、半ば無意識に口が動いていた。こんなことを言って、許されるはずもないのに。

 芽依ちゃんの瞳が、俺へ来る。真剣な眼差しは、文字通り刃で刺してくるようだった。


「ウソは嫌いです。吐かれる方だけじゃない、きっとつく方も……辛いだけだから」


 心臓がキュッと縮まり、痛みが走る。心臓は見られないけれど、少なくとも痛みは確実に、あった。


「……暗い空気にしてごめんなさい。聞いてくれてありがとうございます。過去は過去で、今はもう大丈夫なんです。でも、今日はもう時間ですし、帰りましょうか」


 いつものにこやかな表情で、芽依ちゃんは小説を棚に戻した。



★次回『同じ傷を持つふたり』につづく。

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