第20話 ただの冴えない庶民

「あら、今日はずいぶんと早いんですね」


 土日明け、月曜日。俺は普段より三十分も早く、学校にいた。


「ああ、うん。朝の用事が今日はなくてね」


 登校してきた芽依ちゃんに、輪郭のない言葉を返す。

 それと。


「あの……ごめんね、ちょっと土日、あんまり原稿が進まなくて……」


 言いにくいからこそ、今言っておかないといけない。俺は手を合わせて、頭を下げた。


「結構課題もありましたしね。仕方ないですよ」


 ……課題の問題じゃない。別に遊びにも行かなかったし、時間はあった。

 なんだかずっと頭がボンヤリしていた。寝ぼけとボンヤリが合わさって、朝食を二人分作ってしまったりもした。


「あの、寝ぐせありますよ。右のところ。フフッ」

「え、あ、マジ?」


 スマホで確認すると、確かにペローンと右側の横が跳ねている。なんだこれだっせぇ!


「……ハァ」


 トイレに行って濡らして矯正すると、もう時間は八時四十分を過ぎていた。


「まだ来てねーのかよ……」


 周囲に聞こえない声で、呟く。何やってんだ……!

 ガラッと、教室の引き戸が開く。


「姫、マジギリギリじゃーん」

「あ、ごめ、ごめん、寝坊しちゃって……」


 息を切らせて姿を見せるあかね。笑顔こそ作っているが、髪はクシャクシャで血色もいつもと比べるとよくない。


「休みかと思って心配したよ」

「ホントにただの寝坊で。だめよね~」


 そりゃいつもの感覚で眠ってりゃ寝坊もするわ。


「…………」


 机へ移動するあかねを追うのを止め、窓の外へ視線を移した。



 数日が経って、わかった。

 あかねとは、家族であることを抜いたら、本当に生きる世界が違うということ。俺は目立たないその他凡百のクラスメイトで、かたや、みんなの憧れのお姫様。それを思い知らされる。そして、学校での関係が、俺の標準となる。

 体育の卓球の時、不注意で一回だけぶつかってしまったことがあっても。


「あ、ごめ……」

「ごめんなさいね」


 完全にお姫様スマイルでの謝罪。

 ――そうだ、他人だ。家族でもなんでもない、他人。


「……ごめん」


 思わず目を逸らしてしまった。


「おーい、姫!」


 すぐにあかねの元に走ってくるプリンス。カミソリのような鋭い視線で、俺を睨みつけてきた……ような気がした。


「大丈夫? 痛くなかった?」

「うん全然、平気」


 笑顔で言葉を交わしつつ、あかねは戻っていった。

 ……いいじゃないか。あかねがそうしたいと言ってきたことだ。

 もとより、他人だったんだ、俺たちは。


   ◆ ◆ ◆


 放課後、俺はPCルームで、最終校正を終えた原稿からデザインソフトに流し込み、実際に貼り出されるレポートの形にしていた。


「砂岡くん。……砂岡くん?」

「……ああ、ごめん」


 芽依ちゃんに呼ばれ、振り向く。

 俺の原稿をチェックしていた芽依ちゃんが、ゲラをつまんで前に出した。


「このオウサマペンギンの記事なんですが、『オウサマ』と『キング』がごちゃまぜになってますよ」

「え! あ、ホントだ……」


 ペンギンの中には英語表記と日本語表記のどちらも通用する種がある。間違いではないのだが、その種の紹介に際しては、表記を統一しておかないと混乱を招く。芽依ちゃんとの話し合いで、今回はエンペラーペンギンはコウテイペンギンに、キングペンギンはオウサマペンギンと日本語表記で統一すると決めていた。にも関わらず、うっかり本文の途中でキングペンギンと書いてしまっている。


「ごめん、赤入れといて……あ、文字数ギリギリまで書いちゃったからあふれちゃうか……」

「とりあえず、他にも指摘したいところがあるのでそれから考えましょうか」

「……ごめん、うっかりにもほどがあるね」


 デザイン作業にも何か失敗しているところがないかと、戻ってもう一度画面を凝視する。


「……元気ないですね」

「え」


 芽依ちゃんの言葉に、再度振り向く。


「そんなことないよ。元気元気」


 歯を見せて笑う。肩を回して見せても、芽依ちゃんは心配する視線を投げる。


「なんだか氷室さんも元気なさげですよね」

「そ、そうかな?」


 思わず声が上ずる。朝こそ血色の悪い時はあったが、俺にはいつものお姫様スマイルで、何も異常は見当たらない。

 ……いや、そもそも最近は、顔すらロクに見ていない気がする。


「なんとなく、ですけど」


 赤ペンでゲラにチェックを入れ終わると、芽依ちゃんは傍らに置いた鞄に手を伸ばした。


「これ、どうぞ」


 おもむろに手渡される箱。チョコレートだ。


「元気がない時には、甘い物でも食べて、普段より多く寝る。元気が出たら、自分を見つめ直す。それしかないですよ。私はもう少しやっていきますけど、砂岡くんはもう終わりにしましょうか」


 怒っているのではない。むしろ、とても心配してくれているのが伝わってくる。


「……」


 だから、情けない。何やってるんだ俺は。

 もういい加減、グジグジ悩むのは止めにしよう。

 あかねが言い出したんだから、いいじゃないか。


「ごめんね、ありがとう。いただくよ」


 そのために今は、彼女の言葉に甘えよう。封を開け、チョコを一つつまんだ。銀紙を取り、口に放り込む。


「そう、チョコっとつまんでね」

「…………」

「…………続きましてー」

「続くの!?」


 ふふっと、自然に笑みがこぼれた。何日ぶりだろう、気持ちよく笑えたのは。

 別れのあいさつの後、昇降口に向かい、外履きに履き替える。


「あれ、芽依ちゃんと作業してたんじゃないの!?」


 背中に投げかけられる声。マジョだ。お前はまず来てねーだろ、と言えそうなタイミングだが、そんな元気はなかった。

「ちょっと、色々あって。俺だけ早上がりしたんだ」

「……もしかして、芽依ちゃんとケンカした?」


 むしろ気を遣われてしまった方だ。


「え? いやそんなんじゃないけど」


 ホッとした顔を見せたかと思うと、今度は目を鋭くして睨んでくる。な、なんだ?


「あのさ、せっかくお膳立てしたんだからさ、ちゃんとチャンスを活かしてよね」


 声まで鋭い。責め立てモードのトーンだ。


「あ、うん、ごめん……」


 気後れして、思わず謝ってしまった。

「……それじゃ」


 マジョは溜め息を一つこぼして、不機嫌な後ろ姿を見せて立ち去った。

 なんだよ、そこまで怒らなくてもいいじゃないかよ……。


   ◆ ◆ ◆


 でも、マジョの言っていることは間違っていない。というか第一に、誰かに気を遣わせている状況は、好きな人どうこう以前に、ダメだろう。

 そして、俺の目の前にはやらねばならぬことがある。やらねば芽依ちゃんに迷惑をかける。それをまず果たすべきだ。

 俺は原稿と向き合いはじめた。幸い、土日祝があったので、休み中に一気に担当ペンギン分を終わらせる。休み明けを待たず、芽依ちゃんにメール送信。チェックしてもらう。逆に俺も芽依ちゃんの原稿をチェック。


「よし……あとは」


 土日祝が明けると、文化祭は次の土日だ。今日が火曜日で、あさっての木曜日にまた祝日があり、金曜を経て文化祭。学校のあちこちで、看板作りの音や文化部の練習の様子が聞こえてくる。

 目下の問題はまだ手付かずの原稿が二枚残っていること。環境問題についてのレポートだ。ペンギン図鑑のレポートは書くことがハッキリしているが『ペンギンと環境問題』となると、切り口を絞るところから始めなければならない。

 上履きに履き替えながらそのことを考えていると、


「ねえ、姫とプリンスが付き合ってるって噂、マジだと思う?」


 どこからともなく聞こえてきた。見ると、他クラスの女子が二人、話している。



★次回『すなおうじ、立ち上がる』につづく。

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