第21話 すなおうじ、立ち上がる
「マジじゃない? だってお似合いだもん。あんな美男美女カップル、ドラマでもなかなかないよ。そういや、あんたプリンスのファンクラブ会員じゃなかったっけ? 歓迎してんの?」
「私もだけどファンクラブ全体も、姫が相手なら認めるかってカンジなのよね」
男子が一人、そこに入ってきた。
「それなー。姫のファンもさ、プリンス相手なら認めざるを得ないよなって話してんだよ」
「やっぱそうなんだ」
大して中身のない、ただの下世話な会話だ。無視だ無視。
「……ちっ」
それはわかってるのに、なんだか無性にムカつく。ファンだかなんだか知らないが、この人なら認めるとか認めないとか、へり下ったように見えてずいぶんと上から目線じゃねえか。
教室へ向かう足取りが、少し早足になる。
「――みんな、おはよ……」
そして、俺が席に着く頃、あかねが登校してきた。最近はさすがに慣れてきたのか、ちゃんと門限時間内に姿を見せている。
「……!」
ちらっと見えた顔で、すぐにわかった。
ムリに笑顔を作ってる。
でも、理由を問えるワケがない。『他人である俺』が「ムリに笑顔作ってるね。どうしたの?」なんて、言えるワケない。
「おはよう姫」
「数学の課題なんだけどさ……」
あかねはすぐ、一軍勢に溶けていった。
そのまま、一時限目の数学が始まった。
「ではこの問題を、氷室さんお願いします」
単に五十音順で当てていく数学の女教師。順当に行けば、あかねに当たることは前回でわかっていた。
「…………」
立って黒板に式と答えを書く。問題は教科書に載っていて、前回の授業でここをやりますよと事前に教えてもらってる。分からなくても質問すれば、優しく解説してくれる。相当ナメた態度でなければ、怒る先生じゃない。
それなのに、あかねは座ったままだった。
「氷室さん?」
「……すみません。少し体調が、優れなくて」
絞り出したような声に、空気が一瞬で張り詰める。俺でさえ聞いたことのない、苦しげに満ちた声。
「大丈夫ですか? とりあえず保健室へ行きましょう」
「俺、付き添います」
「いえ、大丈夫です。一人で行けます」
プリンスの申し出を断って一人で立ち上がり、よろよろと歩き始める。その歩き方に、仮病の可能性は百パーセント消えていた。
「…………」
俺の隣に来た時、目が合った。見るからに顔色が悪い。石のように固く無表情で、暗い。
「……だ、大丈夫か……?」
口から漏れ出る。いや、大丈夫ではないだろうけど……。
――ガタン!
その途端、あかねが俺の机に手を付き、しゃがみ込んだ。机が一瞬跳ねる。
「おい!」
椅子から降りて、肩をさする。あかねは「うう」と呻き、ハンカチで口を押さえた。
……バカ! 全然一人じゃダメじゃねえかよ!
「大丈夫ですか!? 私、付き添います!」
「……お願いします」
芽依ちゃんがあかねの傍に寄り添って、肩を抱きゆっくりと立たせる。クラス中の視線を浴びながら、二人の姿は廊下へ消えていった。
あかねの動向が聞こえたのは、昼休みに入ってからだった。
「姫、胃腸炎って診断されて、もう今日は帰るって」
橋本さんがスマホ画面から視線を移し、一軍勢に伝える。みな動向が気になっていたのか、自ずと静かになっていて、誰の耳にも入っているようだった。
どんより澱む空気。まるで花がなくなり、雑草ばかりになった花壇。そんな感想が浮かぶ。
「……胃腸炎、か」
静かに、繰り返す。
おいおい、ちゃんと飯食ってんのか。ジャンクフードばっか食ってるんじゃねえだろうな。
しっかしろよ、自分でできるって言ったんだから。
「……飯にしよ」
一人呟く。俺は俺で飯を食わないと、午後乗り切れないからな。
マルスエで買ったおにぎりとパンを出そうと、鞄のチャックを開ける。
「あれ?」
ふと、鮮やかな銀色が目に入った。身に覚えがない。こんなキラキラした派手なもの、俺の小物にはないはず。
よく目を凝らして、やっとわかった。
「あやっべ!」
チョコだ。芽依ちゃんにもらったチョコの一片が、箱から漏れていたらしい。
「うわぁー、これ溶けてねえだろうな、あーあ……」
俺は慎重にチョコを手に取った。グニョグニョ。やはり溶けている。せっかく芽依ちゃんにもらったのに……。
[元気がない時には、甘い物でも食べて、普段より多く寝る。元気が出たら、自分を見つめ直す。それしかないですよ]
俺は今、元気だ。
だったら、どうすればいい?
「くそが!」
無意識な言葉、無意識な行動。
バチィン! と、皮膚と皮膚がぶつかり合う。
ヒリヒリと頬が痛い。
「ま、また急に、頬を叩いてどうかしたんですか?」
芽依ちゃんはもはやドン引きを超えて、心配の域に達していた。
だが、次の行動は決まっている。
俺は頭を下げた。
「ごめん土屋さん! 文化祭まで時間ないのはわかってる。だけど、今日だけはどうしてもやらなきゃいけないことがあるんだ! だから、放課後になったら帰るね!」
しばらく何も返って来なかった。目に映るのは、俺の足元だけ。おそらく、突然すぎて呆気に取られているか、困惑してることだろう。
でも、きっと芽依ちゃんなら汲み取ってくれるハズだ。
「……そうですか。なら、仕方ないですね」
なんと優しい声だろう。きっと女神はこういう声に違いない。
放課後。
「それじゃ、ホントごめんね!」
芽依ちゃんに謝ると、俺は鞄を強く脇で固定した。机の間を縫い、右京と佐藤にも今日は悪りい、帰るわ、と返事を待たず教室を後にする。
「ちょ、ちょっと、すなおうじ! 芽――」
廊下でマジョに呼び止められる。
「ごめん、今日は行かなきゃいけないところがあるんだ」
それだけ告げて、通り過ぎる。
走らない、けど、早足で昇降口に着き、靴を履き替える。
それからは、ダッシュ。
すぐ息が切れる。足も痛くなる。それでも、早く、一分一秒でも早く。
「オエエエ……」
こみあがってくる吐き気。マルスエに着いて乱暴にカゴを手にする。買う物はもう決まっている。ニンジン・しめじ・鶏のモモ肉の細切れ・冷凍うどん……ほか諸々でレジを通る。
マルスエを出たら、またダッシュ。
ガチで吐きそうなったら少し緩めて、でも歩かない。
一分一秒でも、早く。
俺の家が見えた。そのまま素通りする。
敷地に入り、息を整えて、立つ。
――あかねの部屋、カーテンのしまった窓の前。
「……起きてるか?」
あかねのようにバンバンとは叩かない。コンコンと、丁寧に窓を叩く。
★次回『お姫様の涙』につづく。
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