第22話 お姫様の涙

「…………」


 返事はない。

 スマホを手に取り、通話ボタンを押す。

 何度も鳴るコール音。

 大丈夫、コール音にも、もう慣れた。


「…………なに?」


 およそ十日ぶりの、作っていないあかねの声。またいやにひっくいな。


「殺すぞ、と言わないってことは、起きてたな」

「…………なんでもないなら、切るよ」

「なんでもあるんだよ。玄関、開けてくれ」

「なんで? 何しに来るの?」

「夕飯、作りに来た。それだけだ」

「だから、そういうのやめようって。私たちは、他人でいようって――」


 ――あーダメだ! じれったい!


「知るかバカ!」


 自ずと、叫んでいた。


「他人とか家族とか、どーでもいいよ! 


 俺の一番近くにいる人間はお前で、そのお前が暗い顔してんのが耐えられねーんだ!

 それだけだ文句あるか! 

 消化にいいもん作ってやるから開けろ!

 俺に、世話をさせやがれバカヤロウ!」

 ありったけを聞かせてやった。不思議と、すらすらと言葉が出てくる。

 なんだか最後はずいぶん変な台詞になっていた気もするが、変なだけでウソは何一つない。


「…………」

「あと始業式の日のお金、まだ返してもらってねーからな」

「…………そっか」


 ガチャリ、と玄関のカギが開く音がした。


「――なんじゃこりゃ!」


 キッチンに向かうやいなや、呆れ声。

 ダイニングテーブルの上が、『ジャガリコーン』の空き容器で占領されていた。


「いや、あのね……『ジャガアリゴ』にハマってて」


 ダウト。

 あかねは制服のままベッドに横たわっていたようで、ワイシャツに皺ができ、髪が乱れている。血色も悪いまま。目元にもクマが目立つ。


「ハマッてるからじゃなくて、サボってこればっかり食べてたんだろ」


 ジャガリコーンにさけるチーズを裂いて入れ、熱湯を半分程度まで入れ二分ほど待つ。ふやけたジャガリコーンと溶けたチーズをよくかき回したら『ジャガアリゴ』のでき上がり。マッシュポテトにチーズを練り込んだフランスの郷土料理『アリゴ』になぞらえて名付けられた料理だ。とある料理研究家がSNSで紹介したことで、一気に広まった。

 手軽だしうまいし、チーズは確かに体にいい。案外腹持ちもいいんだよな。けど、そればっかり食うのはスナック菓子を主食にするようなモンだ。そりゃ胃腸炎にもなるわね。


「俺片付けとくから、お前は寝てろ」


 あかねを部屋に帰し、まずゴミ捨てから始まった。ジャガリコーンの空き容器を片っ端から捨て、カピカピに乾いたふきんを濡らしてテーブルを拭く。

 久しぶりに、檜の立派なまな板を寝かせた。


「さーて、始めますか!」


 二本一パックのニンジンから。一本まるまる使っちまおう。胃の粘膜に効く成分があるからな、ニンジンは。

 ピーラーで皮を剥いた後、一本すべていちょう切りにする。一本のままだと大した量に見えないが、実際切ってみると想像以上に量が多い。

 しめじはまず石づきを切除。石づきのラインに合わせてへの字に包丁を入れたら、手で一本一本ほぐしておく。ニンジンもしめじも通年で手に入るが、本来は秋が旬だ。やっぱり旬の食材を摂るのがいい。

 鶏のモモ肉の細切れは全体に一回熱湯をかけて、すぐそのお湯を捨てる。こうすることでアクと余分な脂を取っておくのだ。鶏肉は硬いわりに味が染み込んでない場合があるから、ここで火を通しすぎないこと。

 そこまで終わったら、丼に水とめんつゆを入れてあらかじめつゆを作ってしまう。俺と合わせて二杯分のつゆを作ったら、具材と一緒に鍋にあけて煮込んでいく。頃合いを見てチューブ入りしょうがを多めに投入。しょうがは健胃作用があり、熱が通ると体を温める効果も発揮する。病人の強い味方だ。

 本来は一度火を止めて冷ますとより具材に味が染み込むのだが、今回は時間ないからノンストップで。ニンジンが柔らかくなったら、冷凍うどんを凍ったまま突っこんでさらに煮込む。お湯で解凍することで全体に少しとろみがつき、熱が体の中に留まりやすくなる。

 仕上げにネギを小口切りにして散らす。しっかり加熱しないと、生のネギは胃腸を荒らすから要注意だ。せっかく胃腸にいい具材で固めたんだしな。

 味見してみる。OK、文句なし!

 すぐできて、栄養面でも工夫できて、消化にいい。俺も親父も胃腸は強い方じゃない上、お粥は二人とも好きじゃなかったら、病人食といえばうどんが定番だった。


「あーっと」


 そうだ、デザートも作っておかないと。



「ご飯、できたぞ」


 あかねを呼びに行くと、やはり制服のまま、ぐったり横になっていた。


「……頭痛い」


 渋い顔をして、頭を押さえる。わかる、胃腸が悪いと頭痛になることもあるんだよな。


「つっても、お前昼も食べてないだろ? 空腹なのも頭痛によくないからな。お椀一杯でも食べておいた方がいい。残してもいいから」


 ゆっくり起き上がると、力ない足取りでテーブルに座った。


「はいよ、ニンジンとしめじと鶏肉の具沢山うどん」

「……いただきます」


 お椀に静かに箸を付ける。ニンジンから一口。ゆっくりだが、手が止まることはなかった。


「ニンジン硬くないか? あとつゆもちょっとお前にはしょっぱかったかも」

「ううん、このくらいでいい」

「そうか、よかった」


 こうやってあかねの食事シーンを見るのも、久しぶりだ。

 ゆっくり、もぐもぐと動く、小動物のような口。

 あかねは時間をかけて、お椀を空にした。


「……ごちそうさま。ありがと」


 と、ここで終わりじゃあ、ないんだな。


「ちょい待ち。コレ、デザート」


 冷蔵庫からラップをかけた皿を取り出す。お姫様の好物と言えば――


「バナナヨーグルトのハチミツがけ。砂糖よりハチミツの方が胃腸にいいからな。お前、コレ好きだって言ってたよな」


 あかねの前に置いて、ラップを取る。


「…………」


 くりんと円い瞳が、より円く開いていた。


「ホラ」


 スプーンを渡すと、無言で口に運ぶ。


「……おいしい」


 ポロリと、あかねの頬を伝う雫。

 ……おいおい。マジか。お前――


「……泣いてんのか?」


 一つだった雫が、二つ三つと増えていく。口に運ばれるデザートと連動するように。


「別に、なんでもない」


 声まで涙声。健気に必死に、涙をワイシャツの袖で拭っている。

 ……そうか。

 涙まで見せられたら、俺だってさすがにわかるさ。


「……ごめんな、今まで気付かなくて」


 俺は呟くように切り出した。


「なんでもないったら!」


 また、ダウト。

 泣いておいて、なんでもないわけ、ない。

 いいんだ、ムリに意地なんか張らなくたって。俺は、受け止めるから。


「ホントに、違うもん、私はあんたのことなんて――」



「……そんなに栄養に飢えてたのか」



「………………は?」


 間の抜けた声。うんうん、図星を突かれるとこういう声が出てしまうものだ。


「そうだよな。『ジャガアリゴ』ばっかじゃ栄養偏るよな。さあ、存分に不足していた栄養を摂るがいい! ビタミンも乳酸菌もあるぞ! おかわりもあるからな!」

「………………う、うん、そう、うん」


 もともと俺の分だったけど、お前の涙にゃ代えられん。

 お前がこんなに苦しんでるなんてな、もっと早くに気付いてやるべきだった。ごめんな、あかね。



 俺も食事を終え、早々と洗い物を済ませる。


「明日の朝も行くから、玄関開けろよ」


 食後のコーヒーで一服するついでに、言っておく。まあどうせ寝起きは最悪だろうけど。

 あかねの顔は、血色は戻ってきたもののどうも冴えない。


「けど……」

「お前を起こしてから学校行かないと、遅刻しないか心配で逆にストレスなるんだよ」

「ハァ? どんな理屈よ」

「お、やっと笑ったな。外向け用じゃなくて、半開き姫の時の笑い方」

「何よそれ。変な言い回し作らないでよ。キモイし。……気持ちは、ありがたいけどさ……」

「お前やっぱり変だぞ」


 意識してピシャリ、と言い放つ。

 実際、そうだ。妙に頑なだ。意固地に、前の日常に戻りたがらないのはなんなんだ。


「急に態度翻して、何があったんだよ」


 今度は視線を送る。じーっと、不信感を伝えるように、ね~っとりした視線。


「……普段は素直に流されるくせに……」


 小さな声で呟きつつ、顔を逸らした。やっぱり何か隠してやがるな。

 しばしねっとり視線ビームを浴びせ続ける。


「……言えよ、気持ち悪いからさ」


 視線を止めて、一言。あかねはやっと、おずおずと口を開いた。



★次回『母さんの写真立て』につづく。

面白かった!という方は★・コメント・フォローよろしくお願いいたします。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る