第7話 お姫様の優雅な朝……?

 ――ピピピピピ!


 電子音に、パチリと目を覚ます。時計の針は無事、午前七時を指している。

 布団を畳み、顔を洗うと、昨日買った食パンを持って家を出る。家の前の道路に出て、自宅を囲う塀に沿って早足で歩く。途中から、氷室家の敷地の塀になる。

 縦長で二階建ての家。地面は玉砂利で埋められており外壁の白さもあいまって、雑草がだらけのウチよりだいぶ清潔感のある氷室邸。

 その玄関前で、俺はスマホを操作し電話をかける。

 コールが鳴るばかりで、一向に出る気配がない。何十回と繰り返されるコール音。止まったかと思いきや、ブツッと切れた。


「おいおいおい、やめてくれよ」


 もう一度かける。今度は五回ほどで、主は出た。


「こ ろ す ぞ」


 獣の声だ。よくこんな低い声出せるな。とにかく、ビビッてちゃ進まない。


「はいはい死んだ死んだ。いいから起きろ。玄関開けてくれ」


 しばらくして、ガチャリとカギの回る音。開けると、ぬうっと視界を遮る存在。あかねが突っ立っていた。


「おはよう、お邪魔します」


 俺のあいさつが聞こえて……いないな。髪はボサボサで、目は三分の二は閉じていて、唇の色は悪く生気を感じない。起きたてはいつもこうだ。


「早く支度しろよ」


 忠告するが反応はなく、無表情のまま玄関からすぐの左のドアへ、自室へと戻っていく。

 俺は玄関を上がると、食パンをダイニングキッチンのテーブルに置き、風呂前の洗面所で手洗いとうがいを済ませる。

 キッチンに戻って三ツ口コンロの前に立つと、フライパンとやかんを火にかける。刻一刻を争う朝は、チャチャッと済ませるに限るぜ。食パンをトースターにかけたら、冷蔵庫からベーコンと卵を出し、ベーコンエッグをこしらえる。スープはインスタントのコンソメスープ。これでOK。問題は……。


「あかねさん! 入りますよ」


 ドアをノックしても何の反応もないので、仕方なくゆっくりと開ける。フィクションだと、ちょうどヒロインが着替えてる途中で、「このヘンタイ!」とか「無礼者め!」とか言われて追い出されたり決闘を挑まれたりするんだろうけど……。


 ――ちーん。


「…………」


 パジャマのズボンがずれ、パンツが半分まで見えている半ケツのあかねが、ベッドの上で死んでいた。ここまで恥じらいも何もなく見えていたら、色気なんかゼロだ。しかも、部屋は脱いだ服やらお菓子の包装やら読みかけの漫画やらが散乱していて、いつもながら散らかっている。姫の住む王宮のイメージとはかけ離れている汚部屋。いつかゴキブリ出ても知らんぞ。


「あかね! 起きろ! 遅刻するぞ」


 肩を揺すると、呻き声を上げて、半開きの顔で俺を見た。


「死ぬがよい」


「イケイケな時の姫騎士みたいなこと言うなお前な」


 肩を抱きムリヤリ立ち上がらせると、背中を押して部屋から追い出す。さすがにそこまで来ると、寝ぼけながらも次の行動、シャワーを浴びるスイッチが入るらしい。とぼとぼ歩き始める。俺はその隙を縫って、先にキッチンに戻る。ちょうどパンが焼けるので、立派なダイニングテーブルで先に朝食をいただく。

 さっさと食べ終わって皿を洗い、ダイニングキッチンの床をウェットシートで拭いていると、完全に目を覚ましたあかねが制服姿でやってきた。


「やっぱり、制服着るとスイッチ入るのか? 血色がいいな」

「ハァ?」


 コレだよ。目が覚めたとはいえ、機嫌の悪さはそのまま。

 あかねが朝食を食べはじめるのを合図に、ウェットシートを廊下まで延ばす。ついでに、脱ぎ散らかされたパジャマを回収。なぜか寝起きは、洗面所で脱がずその前で脱いでしまうらしい。

 さすがのあかねでも、下着オンリーの体を見てしまうと興奮を抑えられる自信がないから、さっきはわざわざ早足でキッチンに戻ったのだ。

 ちょうどいいので、パジャマを畳んで風呂前のカゴに入れて置く。洗面所もウェットシートで拭いていると。


「トージ、ヒ・ゲ! それと後ろ、寝ぐせある」


 手早く朝食を終えたあかねが鏡を使いに、背後に来ていた。


「あ」


 指摘されてみると、確かにヒゲが濃いな。首筋の上で髪が踊っている。それは自宅で対処するとして、またキッチンに戻ってあかねの分の皿を洗う。


「あれー、なんで前髪左行かないの? 髪のクセに意志持ってんのかコイツ、生意気な!」


 洗面所から聞こえる嘆きの声。さあここから、あかねの大車輪の身支度が始まるぞ。歯磨きから化粧水だの乳液だのクリームだのとお手入れし、髪を整え終わるまであかねは決して家を出ない。


「俺もう行くけど、今日は財布忘れんなよ」

「ちょっと今話しかけないで」


 えーじゃあもっと早く一人で起きてくださいよ……と思うが、俺の方も悠長にしていられない。走って自宅まで戻り、急いで歯磨き・髭剃り・寝ぐせ直しを終わらせるが、やべえ、もう八時十分になるじゃん!

 あかねは電車通学だからまだ多少の余裕があるが、徒歩通学の俺に残された時間はゼロ。

 親父たちが旅立ってから、あかねが友人と遊びに行く日は今朝のように支度していた。だから慣れたつもりになって、昨日に引き続き時間配分ミス! 油断大敵! 


「ああああ!」


 玄関のカギを締めると、最初から猛ダッシュ! とはいえ、運動部でもない俺が、何十メートルも走れるはずもなく、すぐ息が切れる。でも歩いてたら間に合わないから、スピードが落ちても走り続けないといけない。……なんで授業前から体育してんだ俺。昨日の帰りにいい運動になるって言ってた俺、今いい運動どころじゃないんですけど!

 マルスエの前まで来たら、一休みも兼ねて昼食を買いにヘロヘロ状態で入店。朝は、賞味期限の迫ったおにぎりやパンが割引されて売っている。一学期からずっと、昼飯はそこから適当三個選ぶルーチン。今日はホットドッグとタマゴパンとツナマヨおにぎりだな!


「お兄さん、今日はね、夕方からヨーグルトと卵が安いよ!」


 レジに持っていくと、いつもの初老のおばさん。


「マジッスか! ありがたいなぁ~!」


 有益な情報とおばさんの笑顔を得た俺。しかし昼飯を鞄に詰めたらまたダッシュ!

 走って歩いてまた走って――


「オエエエエ……」

「門限まで五分切ってるぞー」


 吐き気をこらえて学校の正門前に着いたのは、登校門限八時四十分の三分前。ギリギリ間に合った。


「砂岡~」


 正門にはいつも生活指導係の体育教師・米田先生が立っている。竹刀を担いでいる女教師だ。ガチで素行不良生徒を叩くのか単に威圧のためか、それは未だに謎。


「息切らして来るくらいなら、もうちょっと早く起きたらどうだ? その方がラクだろ? うん?」


 俺、七時には起きてんすよ! とは、言いたくても言えなかった。

 俺には――『言えない理由』がある。


「ははは、そう、ですよね」


 苦笑で返すと、米田先生は竹刀で早く教室行けと促した。



 上履きに履き替え、とりあえず手洗い場で水を補給した。ふう、やっとゆっくり歩ける。

 存在感を増す足の痛みを堪えつつ、階段を昇って一年A組の教室へ。

 すると戸の前には、一足先にあかねが立っていた。


★次回『隣のあの子は土屋芽依』につづく。

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