【番外編含め完結済】お前の側にはいられない〜再会した弟分が立派に育ち過ぎてて辛いので逃げてやる〜

くぅちょ

プロローグ もう、絶対に逃がさない

 ダン、と記憶の中よりも随分と痩せた体が、助手席の窓ガラスに叩きつけられた。


 犀陵刹那さいりょうせつなは、ただただ驚いて、助手席を凝視する。一瞬確認した交差点の信号は赤だ。だから、刹那は背後の車を気にせず、ブレーキに乗せる足に、ぐ、と力を入れて、助手席の、世界で一番大好きな人を見つめる。


 助手席のその人の手は、助手席側のインサイドドアハンドルを、しっかりと握っていた。交差点なのに。車道なのに。まだ、車は目的地についていないのに。


「なんで、開かな……」

「……シフトレバーをパーキングにしないと、ドアロックが解除されないんだ」


 助手席に座る、ずっとずっと追い求めてきて、ようやく今日見つけた愛しくて大切な人の言葉に、刹那は半ば無意識で答える。その人は――籤浜伊吹くじはまいぶきは、瞬時に顔を真っ青にした。


 「嘘」、とか、「なんで」、とか、「逃げられない」、とか、そんな譫言が伊吹から聞こえる。刹那は、後ろからの車の控えめなクラクションに、ゆっくりと前の向いて、信号が青なのを確認してから、車を発進させた。


 嘘? 何が嘘なのか。

 なんで? こちらこそ聞きたい。

 逃げられない? 誰から? ようやくまた会えたんだぞ、俺たち。もう父親から逃げる必要はないんだぞ、伊吹。


 そんな言葉がぐるぐると頭の中をめぐる。ハンドルを握ったまま、そっと伺った伊吹の顔は変わらず真っ青だ。かすかに体が震えている。


 記憶の中よりもずっと痩せた体にそれだから、随分と哀れな様子だった。昔、伊吹が自分にしてくれたように、今すぐ抱きしめて、体中をさすって、安心させてやりたい、と思うのだけれど。


 まさか、と変わらずインサイドドアハンドルに置かれたままの伊吹の手を見て、刹那は、自分の頭に一気に血の気が湧いてくるのが分かった。


「……伊吹」

 

 我ながら、伊吹の名前を呼ぶ声が低い。その声に、伊吹の体がはねて、恐々と――5年前なら、ありえない、刹那に対して怯えた瞳を向けた。それに、刹那は歯ぎしりをした。


 伊吹は、逃げようとしたのだ。


 刹那は、ようやく見つけた伊吹を迎えに来たのに。父親からずっと逃げていた伊吹に、もう逃げる必要はないと伝えて、これからずっと共に居るために、迎えに来たのに。刹那は、伊吹のクソ父とは、違うのに。


 ——刹那は、伊吹が側にずっといてもらうために、今まで頑張ってきたのに。


「もう、逃げられると思うな」


 刹那が今運転している車は、先ほど伊吹に教えた通り、エンジンが動いている間、シフトレバーをパーキングにしないと、自動でドアロックがかかるようになっている。それを素早く停止中も、車のエンジンが止まっていても、ちゃんとドアロックが掛かるように操作をする。震える伊吹の黒い目を横目でしっかりと睨む。


 伊吹は、怯えていた。そんな様子に、5歳も年上で、兄と同い年の男に、刹那は、かわいいな、と思った。哀れで、逃げ場がなくて、仮に抵抗しようとも、きっと刹那が簡単に抑え込めるくらい痩せていて。——もう逃げられない伊吹に、刹那は嗜虐心交じりの優越感を抱く。ぐちゃぐちゃになった恋心が、刹那に「いいよ」って囁いた。


 マンションについたら、抱こう、と思った。


 兄の千秋ちあきは、以前「伊吹を捕まえたら、甘えまくって押せるだけ押して、そのままキスでもしてやれ」と言っていた。もちろん、そのつもりだった。伊吹は年下に弱いから、キスくらい許してくれると思っていた。でも、セックスまでは考えていなかった。


 でも、しよう、と思った。

 

 手錠をつけて、拘束して、もう刹那の側から逃げられないようにして。

 そのまま、伊吹を屈服させるように、体を繋げる。


 ——伊吹。


 刹那は、助手席で哀れにうつむいて震える伊吹に、笑いかける。きっと、刹那の笑みには、伊吹は気が付いていないけれど、でも、刹那は伊吹に誓う。


 もう、絶対に逃がさないよ、伊吹。


 車は、刹那の住むマンションの、暗い駐車場に、入っていった。



 


 

 

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