第11話 離れなくちゃ ※近況ノートにてSSあり

 父の弟、といっても、彰の立場は伊吹と同じだ。母が父方の祖父の愛人で、ようは妾の子だった。

 末の子だから、年齢は父よりも今は亡きドラ息子との方が兄弟のように近い。そんなだから、籤浜の会社にも巻き込まれず、半ば籤浜から独立した存在だった。結婚も特に何も言われず、相手の籍に婿養子として入って、妻の方の名字を名乗っている。


 彰は、伊吹をとても良くしてくれた。


 ドラ息子のいじめを庇ってくれたのは、父の兄弟の中では彰だけだった。伊吹が本家の地下の座敷牢に閉じ込められた時には、遅くまで祖母と一緒になって伊吹が見つかるまで探してくれた。祖母も、父方の面々の中でも唯一信頼を寄せて、たまに夕食をもてなして一緒に食べていた。「何かあったらあの人を頼りなさい」と言っていた程だ。


 だから、伊吹が父から逃げ出した時、真っ先に連絡したのが彰だった。


 古い携帯から、今も使っているスマホに買い替えた時も彰の連絡先は残しておいた。彰は、定期的に伊吹に送金してくれたり、父の動向を教えてくれた。彼からの手助けが一体どんなに助かったか。

 本当に、感謝している。









「兄さん――お前の父親は、意外にも大人しい。もう色々諦めている様だ」


 彰は、コーヒーに口をつけて、ふう、と息をついた。


「騒がしいのは、今まで散々甘い汁を啜ってきた他の奴らだ。誰かどうにかできないか、なんて、自分は何もする気も実力もないから、色々押し付けられそうな相手を探し回っている」

「俺の事、は」

「探している奴もいたが、犀陵にいる、という話を聞いて、これは全てお前の仕業に違いない、と手のひら返しだ。まあ、気にする事ない。どうせ奴らには何もできない」

 

 彰は、無情なほどあっさりと言った。


「会社の経済状況がとんでも無いことになっている、という事も暴かれて、我先に逃げ出す奴もいれば、嵐が過ぎるのを待っているつもりなのか、何も言わないししない奴もいるし、さっき言ったみたいにあちこちに助けを求めている奴もいるよ。我が親族たちながら、随分と情けない」


 俺の方まで助けてくれと泣き言がきた、と彰はうんざりとした表情だった。叔父も、父方の親族達にはいい思い出がないのは知っている。そんな叔父にも助けを求めるなんて。


「もう籤浜は終わりだ。後はせいぜい名前しか残らないだろう。全くせいせいするよ」

「そっか……」

 

 伊吹は、最後のケーキのかけらを口に入れた。彰の言う通り、最後まで美味しいケーキだった。


「伊吹」


 声をかけられて顔を上げると、彰がまた真剣な瞳で伊吹を見つめていた。


「お前が今、犀陵にいるというのは本当か」

「……うん」


 伊吹は、フォークを皿に音を立てない様に置いた。店員が片付けしやすい様にテーブルの端に置いておく。


「逃げ始めた時、犀陵の兄弟が助けてくれたよね、2年半ぐらい。その縁で、今、弟の方と同居して、家の事をしている」


 まだ慣れないけど、と付け足した。

 なにせ、今日の朝2人分の弁当が間に合わず伊吹が直接会社に弁当を届けに行ったぐらいだ。同居時代は、お坊ちゃん過ぎて家事が苦手な刹那と忙しい上に家賃を払っている千秋の代わりに、伊吹が中心になって家事をしていた。けれども、1人で逃げている内に、家事の手際を忘れてしまっていたらしい。世話になっているのに、2人には申し訳ない。


「実は、今日、犀陵の会社に行って、あちらから色々話を聞いた」

 

 伊吹のその言葉に、彰は眉間に皺を寄せて、片眉を上げた。


「おじさんは知っていたの? ずっと、親父の会社が大変だったって事は」

「……そうだな。気がついていたよ」


 叔父は、ため息混じりに認めた。


「数年前から噂は流れてきていたし、兄さんが余裕無さそうなのは知ってた」


 レストランには、穏やかで優雅なクラシックのBGMが流れている。時間が中途半端な事もあって、客は少ない。窓際の身なりのいい中年女性が気取ったようにお茶を飲んでいる。

 しかしそんな優雅な雰囲気とは裏腹に、伊吹と叔父が座る奥の席には、硬い雰囲気に包まれていた。


「でも、お前には話さなかった。お前は責任感が強いから、もし知ったら兄さんの所に戻るかもしれない、と思っていたから」


 彰は苦々しく顔を歪める。何か暴言を吐いていないのが逆に不思議なくらいだった。それくらい酷い顔だった。


「言っておくが、あんな会社はとっくの昔に潰れているべきだったんだ。誰かが継ぐ必要もない。犀陵がどんな気でいるのか知らないが、一部事業だけとはいえ、よく引き取ったと思うよ」

「ひどい、負債だった」


 伊吹は、声を潜めて、ぽつりと呟いた。


「……それも、見せられたのか」


 叔父は顔を顰めつつ、飲み終えたコーヒーカップをテーブルに置いた。


「本当に、気にしない方がいい。お前が犀陵を唆していない事ぐらい分かっている。犀陵は犀陵なりの考えがあっての事だろう」


 伊吹は、俯いていた顔を上げた。

 彰は、そんな伊吹とは対照的に真っ直ぐに伊吹を見つめていた。


「お前は苦労をしすぎた。俺が最初に兄さんや周りを止められなかった事、悔やんでも悔やみきれない」

「……気にしないで。親父が、おじさんの言う事を聞くなんて思えない」

「でも、責任は感じるよ。伊吹、お前はいつ、犀陵を離れられそうなんだ?」


 彰の言葉に、伊吹は目を見開いた。

 その反応を見て、叔父はため息をついた。


「伊吹、先ほども言っただろう。犀陵のした事を気にするな。お前はもう、自分の人生を生きていいんだ。犀陵に恩を感じすぎる必要はない。時期を見て離れろ」

「その、」 


 伊吹は、なんて言えばいいかわからず視線を彷徨わせる。しかし叔父も結構興奮しているのか、口は止まらなかった。


「犀陵もビジネスの一環でしたんだ。あちらにも得があるのだから、そんなに気にしなくていい」

「おじさん、」

「大体、俺は一目、写真を見た時から気に入らないんだ、あの兄弟。特に兄のあの腹に一物抱えてそうな感じとか、弟のなんかネチネチしてそうな所とか」

「あの、」

「そうだ、一度、うちに顔を出してくれ。可奈子や娘とも会わせてやりたいんだ。可奈子とは、結婚した時に電話で話したきりだし、娘とは初めてだろう」

「その、ずっと一緒にいてくれって、刹那が言っていて、」

「……は?」


 叔父は、伊吹の言葉にあんぐりとその口を開けた。


「何? 刹那? 犀陵弟か? …………………それが、なんて言っていたって?」


 叔父の様子に、失言だったと気がついた。

 つい腰が引けて顔を背けてしまうが、彰は素早く腕を伸ばして、伊吹の腕を掴んだ。千秋といい刹那といい叔父といい、今日は3人から腕を掴まれている。でも叔父の掴み方が1番優しかった。1番力が強すぎて痛かったのは刹那だった。


「……聞いた事がある。伊吹、お前、中高と、犀陵兄の方との同性愛の噂があったのは知っていたか?」

「へはッ!?」


 彰の低い声で唸る様に発せられた言葉に、思わず変な声が出て叔父を凝視した。通りがかりの店員が驚いた様に振り向き、窓際の席のマダムも優雅な時間を邪魔されて眉間に皺を寄せたが、誤魔化すことも謝罪に頭を下げることもできない。


「俺も眉唾だと聞き流していたんだ。同僚に、親戚がお前と同じ学校に通っていた、という奴がいて。犀陵は珍しい名前だし会社も有名だろう。犀陵の御曹司がやたらとお前に付き纏って他の同級生と関わる間さえ与えないと。これはもう付き合っているに違いないと。男子校だから、そういう事もあると」

「そ、そそそそそそそそんな事はない! 俺が浮きがちだったのを、千秋が助けてくれて!!」

「どうだかな」


 伊吹は慌てて否定する。しかし、叔父は信じた顔をしてくれなかった。


「自分から見た景色と他人から見た景色は違うものだぞ」


 同じことを、昔祖母に言われた気がする。

 伊吹は、いつだったか、と記憶を探る。確か、父について話していた時だったような。あの時の祖母は、なにやら困った様な顔をしていた。


 対して叔父は、伊吹の腕を離したが、その腕はまた憮然と胸の前で組まれてしまう。そして考え込むように下を向いて唸るようにぶつぶつと口を動かした。


「兄の次は、弟? ん? お前、確かさっき、弟の方と同居しているって……」


 彰は、とうとう黙り込む。しかし、その顔はどんどん、鬼の様な形相に変化していく。顔は真っ赤になり目は見開いていく。逆に、頭から角が生えてこないのが不思議なくらいだった。


「伊吹」


 彰は、意を決したように、自分の黒いバックを漁った。そして取り出したのは、厚い封筒だった。


「これを受け取れ」


 静かで真剣な声。初めて聞く声に、否といえず、伊吹は封筒を受け取った。


「300万入っている」


 彰の言葉に、伊吹は封筒を中身ごと床にぶちまけそうになったが、すんでで耐えた。


「念の為に下ろしておいてよかったな」

「い、いやいやいやいやいや……! え? さん……え?」


 混乱し狼狽する伊吹を他所に、彰はぐいと顔を近づけた。


「それは、お前の逃亡資金にと貯めておいた金だ。一気に送るとお前は遠慮するし、税金も掛かるから、少額ずつ今まで送金していたんだ。それはともかく、これで海外に逃げろ」

「か、海外……⁉︎」

「日本国内はもうダメだ。海外しかない」


 彰はもう怖い顔だった。


「つまり、犀陵兄弟は私欲で兄さんの会社に手を出した訳だ」


 頭の回転が速いのも考えものだな、と叔父を見て伊吹は思った。


「狙いはお前だ、伊吹。……そんなの、今までとどう違うと言うんだ?」


 叔父は、憎々しげに顔を歪める。


「お前は自分の人生を生きる事もできず、誰かの思うがままの人生を送るだけ。それで、本当にいいのか?」

「……それは」

「嫌だというのなら、海外へ逃げろ、伊吹。これが最後のチャンスだ」


 叔父は、伊吹の両手ごと、ぐ、と封筒を握る。封筒はとても厚くて、叔父の手は暖かい。


「その金の存在を妻は知らないし、家計には影響のない金だから、気にする必要はない」

「でも、こんな大金、」


「申し訳ない、と言うのなら」


 彰は、まるで子供を見る様な目で、伊吹を見つめた。


「お前が自分の人生を生きる様を見せてくれ」


 伊吹が小さな頃から、ずっと支えてくれた叔父の言葉。

 祖母が唯一頼りにしていた叔父。父そっくりの、真剣な顔。


 思い出す。

 ドラ息子に座敷牢に閉じ込められて、その中で震えていた伊吹を見つけて、抱き上げてくれた時の、叔父の心から安堵した顔。


 思い出す。

 今日行った、千秋と刹那の会社の高いビル。行き交う立派な人達。警備員の訝しげな目。千秋と刹那が着ていたスーツの仕立ての良さ。


 思い出す。

 ずっと側にいてくれと。それが望みだと嘯く、刹那の深い瞳。すっかりと成長した、立派な姿。自分の腕を掴む、強い力。


 思い出す。

 公園のベンチで身を縮こませながら、空腹を抱きながら、過ごした夜。駅の構内。コンビニの駐車場。ボロボロの簡易宿泊所。すっかりと慣れて馴染んだ、あの景色。その一部の様に馴染んだ自分。


 ――ああ、離れなくちゃ。


 伊吹は、両手で封筒を握りしめて、しっかりと頷いた。叔父は、そんな伊吹の姿を見て、昔と変わらない、安心した様な笑みを浮かべていた。

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