第10話 叔父との再会
伊吹をエントランスまで送ったのは、今度は刹那の方だった。刹那の立派に成長した背中に、伊吹は黙って着いていく。エントランスに到着した時、先ほどの警備員がいて、明らかに引き攣った愛想笑いで会釈をしてきた。それに、同じ様に返す。
「今日は、なるべく早く帰るから」
刹那の気遣いに、伊吹は首を振った。
「……無理するな。忙しいんだろう」
「優先順位がある」
ビルの入り口で、刹那は真っ直ぐに伊吹を見つめている。社長の弟と、見窄らしい格好をした自分。その不似合いさに、何人もの通りかかった人間からの視線を感じる。はやく、この場から立ち去りたくて仕方がなかった。
「伊吹が気に病むのは分かる。けれど、俺たちも最初からわかっていた事だし、好きでやった事なんだ。だから、あまり、重く考えないでくれ」
無理だ、と思った。
あんな容赦ない現実を前に、軽く考える事が出来るほど、自分は楽観的でない。
「もしも、申し訳ないと思うのなら」
刹那は、伊吹の腕を掴んで、力を込めた。
「ずっと、側にいてくれ。それだけが、望みなんだ」
伊吹は、それに返事ができなかった。
会社のビルも見えなくなるほどの距離まで歩く。たどり着いた、人がいない公園のベンチに座ると、伊吹はすっかりと古くなったスマホを取り出した。昨日刹那に見られた時、「いい加減変えろ。金は出す」なんて言われたほど古いスマホだ。別に画面は割れていないし、まだ使えるのだが。後なんで刹那が伊吹の私物の代金を出そうとするのだろう。ただでさえ、世話になってばかりなのに。伊吹は、これ以上刹那に集りたい訳ではない。
会社を出る時、一瞬見た時のまま、着信が入っていた。いつもの癖で、周囲をチェックしてから、スマホを操作してかけ直す。程なくして、通話が繋がった。
「おじさん、今日、会える?」
電話の向こうは、快く了承してくれた。
電車を乗り継いで、指定されたレストランにたどり着くと、もう相手は着いていてコーヒーを飲んでいた。切れ長の瞳で白い肌。唇は薄い。一見、顔立ちは父と本当にそっくりなのもあって、冷たく、冷徹な雰囲気を持つ人だが、その性根はしっかり者で、優しい人なのは、伊吹はちゃんと知っていた。
案内をしてくれた店員にありがとう、と言ってから、仕事の最中抜け出してくれたのだろう、スーツ姿の叔父の前の席に座る。
「ありがとう、急だったのに時間を作ってくれて」
気にするな、と叔父である
彰は、手をあげて店員を呼ぶと、自分の代わりにコーヒーを注文してくれた。店員が去ると、さて、と自分に向き合う。
「久々だな、伊吹」
「……うん。電話ではちょくちょく話していたけど」
「痩せたな」
「これでも太ったんだ」
伊吹は誤魔化す様に笑うが、彰は誤魔化されてはくれなかった。通りかかった店員をまた呼び止めて、追加でケーキを注文した。
程なくして運ばれてきたショートケーキとコーヒーは、伊吹の前に置かれた。
「前、娘の誕生日に来たんだここ。ケーキ美味しかった」
「もう俺30近いのにケーキなんて」
「何歳でもケーキは美味いだろう」
彰は穏やかに、昔とは違う深みのある笑みを浮かべた。今日あった、加賀美の笑みを思い出す。伊吹の年頃じゃなかなかされない年下扱いが、随分とくすぐったい。今は流石にそんな事はないが、小さな頃は、父とそっくりなのもあって、叔父が笑みを浮かべると、普段、笑みもろくに浮かべない父が――ドラ息子にだけ微笑む父が、伊吹にだけ微笑んでくれたように思えて嬉しかったものだ。
「じゃあ、遠慮なく、いただきます」
伊吹は、三角形のショートケーキの先にフォークを入れた。口に入れると、確かに美味しい。料理はともかく、伊吹はお菓子作りはろくにできないから、本当にプロはすごいと思う。
「可奈子さん、元気?」
「ああ。子育てに追われているが元気だよ。母になってから、随分と逞しくなった。毎日、娘よりも俺が怒られてる」
「おじさんが怒られる? 想像できない」
伊吹は、写真で見せられたきりの彰の妻の姿と、電話で挨拶した時の声を頭の中で合わせて、このしっかり者の叔父が彼の妻に怒られている姿を想像してみる。我ながら不恰好な想像で、笑えてきた。
「元気そうでよかった、本当に」
伊吹は、またケーキにフォークを入れた。倒れない様に気をつけて切り離す。
「こちらの台詞だ伊吹。……本当に、苦労をかけた」
少し混じった涙声に、伊吹は慌てて顔を上げた。
「今日俺に会ったのは、本家の会社について聞きたかったんだろう」
テーブル越しに向き合う彰の目には、涙が滲んでいる。初めて見る叔父の様子に、自分もたじろいでしまった。
「俺はあそことは距離をとっているから全て知っているわけじゃないが、話は入ってくる。知っている限り話すよ」
そうして、叔父――父の末の弟である瀬川彰は、口を開いた。
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