第44話 ずっと側にいて

 千秋は、眉間に皺を寄せた。


『瀬川彰』

『なんだ』

『これ、連帯保証人が君の名前になっているんだけど。伊吹がもしまた俺達から逃げ出して俺が伊吹に貸し付けた金を持って逃げたら、代わりに君がその債務を背負う事になっているんだけど』


 契約書の、叔父の名前の部分を千秋はとんとん、と指で叩いた。本気か、と、その目が語っている。


『そうだな』

『君の家族はなんと?』

『伊吹がもし俺を裏切ったら、俺は離婚だ。共有資産は全て養育費と慰謝料として妻に渡して、俺は身一つで、ただ金を返すだけの生活になる』


 だから家庭は壊れるな、と叔父は重々しく語った。妻に伝えたかどうかは、叔父は言わなかった。


「さっきも言ったけど、俺は叔父が大切だ。ずっと、子供の頃から俺を支えてくれて、祖母亡き今、唯一頼りになる身内だ。叔父の家族にも会った。優しい人達だった」


 伊吹は、浮かびそうになる涙を、ぐ、と、堪えて語る。


「その家庭と幸せを、俺は絶対に壊したくない。それが、俺の一番の弱みだ。……逆にいうと、それしか弱みがないから。巻き込んでしまったおじさんには、本当に申し訳なく、思ってる」


 叔父は、気にするな、とは言わなかった。連帯保証人という重さを、叔父はよく分かっているのだ。


「叔父が巻き込まれているのなら、俺は絶対2人を裏切らないし裏切れない。何をされても耐える。これが、俺自身の信用の他に2人に捧げられるものだ」


 千秋は、眉間に皺を寄せたまま、暫く考え込んだ。


『はー』


 そして、息を吐いて、天井を仰いだ。


『いくつか条件』

「ああ」

『利子はいらない。君が大学卒業後、速やかにうちの会社に就職する事。ビジネススクールは日本国内。確か、夜間のビジネススクールがあったから、そこに働きながら通う事。大学の成績は必ず俺に送れ。1日の終わりに、毎日の勉強の進捗を俺にメールでも電話でもいいから必ず報告する事』

「うん」

『もし君がまた逃げたら、俺は容赦なく君の叔父から金を取り立てるから。叔父の事が大事なら、もう2度と俺を裏切るな。俺から逃げるな。俺の下にずっといろ』

「分かってる」

『……ふん。加賀美さん。俺がさっき言った条件を盛り込んだ借用書作って』

『かしこまりました』


 加賀美は、一礼をしながら言った。


『クソ、思い出すな……。高等部の時、生徒会で予算会議が紛糾した時、何故か一晩経ったら関係者達全員、人が変わった様に纏まった事。理由を聞いても、みんな伊吹の名前しか出さないんだから、俺は狐に化かされた気分だった』


 千秋は、何かを振り払うかのように首を振った。


『絶対。ゼーったい、俺は君を逃さない。俺の下で、俺の右腕になってもらうからね。絶対だから』

「分かってるよ、千秋」

『……おい刹那』


 伊吹の顔を神妙な顔で見ていた刹那は、兄から名前を呼ばれてモニターを見つめた。


『借用書にサインをさせるまで、伊吹を絶対に逃すな。サインさせてしまえば、とりあえずはこっちのものだから』

「……分かった。でも、納得がいかない……」


 皆、伊吹の手の平の上だ、と溢す刹那に、伊吹は苦笑した。


「うかうかしていると、どこかに逃げ出してしまうかもしれない俺が、自分から弱みを曝け出して首輪を自分からはめたんだぞ。……これでも、満足できないか」


 伊吹の手首を掴んでいた刹那の手を、伊吹が上から手を置く。それに、刹那は顔を赤くした後、うー、と唸り、ゆっくりと、伊吹に抱きついてきた。抱きついた刹那の背中をぽんぽん、と叩くと、伊吹の肩に頭を擦り付けてくる。


「俺の側に、いてくれるか」

「……お前がちゃんとフォローしてくれるならな」

「頑張るから。伊吹が不安にならない様、俺、頑張るから」


 だから、ずっと側にいて。


 刹那は、腕の力を強くした。

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