第43話 側にいるためには
その時だ。モニターから扉が開く音がして、女性の咳払いの声が聞こえた。その声に、伊吹を押し倒していた刹那は、勢いよくモニターに振り向いた。
『社長、刹那さん、失礼します』
『加賀美さん? なんだ、今大切な話を、』
『急な海外行きは本当に困ります』
ただでさえ刹那さんの急な空きを社長室メンバーで埋めていますのに、と加賀美の呆れた声に、千秋と刹那は、その琥珀色の瞳を見開いた。
伊吹は、刹那が体の上から退いた事で、ようやくその体を持ち上げた。喉を抑えつつ咳き込む。
『遅くなってすみません、伊吹さん』
「いいえ……。俺が発端ですから……」
『この兄弟の重すぎる感情にまで責任を取らなくてもいいんですよ。世のストーカーに悩まされている女性もそのストーカーに責任を取らねばならなくなります』
耳に入っていたワイヤレスイヤホンを外す加賀美のその言葉に、叔父も深く頷いた。
『加賀美さんと会って、俺は本当に安心しましたよ。この兄弟の近くに、こんなにまともな人がいるなんて』
『……私1人では、制御しきれない事も多いんですが』
加賀美は、はあ、と頭を抱えて、ため息をついた。
『加賀美! 君まで伊吹の味方を!』
『いや止めますからね、社長。社長と刹那さんが悪の道に進むとか勘弁してください。会長と奥様に顔向けできません』
会長と奥様――つまりは、千秋と刹那の両親だ。その言葉に、千秋と刹那は、がちり、とその動きを止めた。
『行方不明だった伊吹さんを探す、という為でしたら不埒な輩と接触するのも目を瞑ってきました。けれど、伊吹さんが見つかった今、もうその必要はないはずです。即刻そういう輩と縁を切ってください』
「……加賀美。残念だが状況が変わった。伊吹は、また俺達から離れようとしている……!」
『そうだ、伊吹を俺の下に屈服させるまでは止められない……!』
『本当にいい加減にしてください。私だって怒っているんですからね』
加賀美の声が、低くなった。
『今回の事は本当に目に余ります。なんですか、あのアイデアの数々。自分達の嫉妬と執着の為に瀬川さんのご家庭を壊そうだなんて言語道断です』
「それに関しては、俺も同感だ、千秋、刹那」
伊吹は、深く頷いた。
「叔父に、手出しをするな。俺を、ずっと支えてくれた、大切な人なんだから」
『伊吹……』
叔父の声に、また伊吹は背を押されて口を開いた。
「俺を、自分達の近くに置きたいなら、まずそれを誓え。そうじゃないとお前らの側に、いられない」
伊吹の言葉に、千秋は椅子に座り直して伊吹を睨んだ。
『それは順序が逆だな、伊吹』
「……どういう事だ」
『君の叔父に手を出さない代わりに、君は何をしてくれるのかな。君の信用、地に落ちているのに気付いているかい。瀬川彰に唆されたとはいえ、ずっと俺達に黙って海外行きの準備をしていたのに』
「……そうだ」
刹那も、伊吹の手首を強く握りながら、睨んでいる。
「瀬川彰と縁を切らない。でも瀬川彰に手出しするな、なんて虫のいい話はないぞ」
伊吹が不安がる姿を可愛いとか言ってずっとそのままにしていた刹那が何か言っている。
伊吹に対してろくなフォローもなかった刹那が何か言ってる。
伊吹の逃亡の一因になった刹那が何か言ってる!
伊吹は、そう、呆れて働かなくなりそうな頭を頑張って動かして口を開いた。
「加賀美さん」
『はい』
加賀美は、持っていた書類を、それぞれに配る。刹那の分は、加賀美が刹那のスマホにPDFファイルを送ってくれた。
『こちらは、伊吹さんの案を元に私が作った契約書の雛方です。皆さんご確認ください』
眉間に皺を寄せた千秋がその目を見開いた。
「ようは、俺に首輪を付けたいんだろう。だから、俺が思う俺の弱みを詰め込んだ」
そして、伊吹は真っ直ぐに千秋を見つめた。
「千秋。俺に投資してくれ」
『……』
「お前はやたらと自分の下、というのに拘るが、残念ながら今の俺には、お前の下で働けるだけの能力がない」
伊吹は、膝の上の両手を握った。
「俺は、ずっと自分の為に、逃げていただけだから。色んなものが足りてない」
伊吹は、頭を下げた。
「だから、勉強させてくれ。お前達の側で支えられるだけの知識を、一先ず付けさせてくれ」
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