第28話 夫婦というもの。そして忠告
叔父の娘は、聞き分けが良かった。でも、先ほど可奈子が、「猫を被っている」なんて言っていたから、伊吹の前だから、と頑張っているのかもしれない。それはそれとして、伊吹に素直に懐き、甘えてくる小さな子は純粋に可愛い。
もしかしたら、彼女の父と同じ雰囲気を伊吹から感じ取っているのかもしれない。尊敬する叔父と似ている、と思っているのならば、伊吹も嬉しかった。
先ほど言った、ペンダントをいじる行為も止めてくれた。けれども、やはり気になる様で伊吹の服を掴みながら、じっとペンダントトップを見つめている。
昨夜、娘の部屋に招待された時の内装は、女の子の部屋らしく、ピンクを中心としたカラフルな色合いが多かった。見せてくれた子供向けアクセサリーだってビーズがキラキラしていて、色とりどりだった。でも、今伊吹の首にかかるシンプルなデザインのアクセサリーはそれとは対照的な色合いをしている。白金のチェーンとプレートに、黒い石と、せいぜい2色しか使っていないのに。
「お兄ちゃん」
どこか、幼子らしかぬ、警戒した様な声だった。
それに、伊吹は腕の中の少女を見下ろす。
「ん?」
「この黒いの、ちょっと怖い」
少女は、プレートの中央の黒い石を指差した。
「取れないの?」
じっと、腕の中から、少女は伊吹の顔を見上げていた。
子供の大きな瞳に、伊吹の戸惑った顔が、写っている。
「とれ、ないな。そういう、デザインだから」
伊吹は、なんとか微笑んでそう言った。けれども、叔父の娘の目の中の自分の笑みは、引き攣っていた。怖がらせたか、と思ったが、叔父の娘は「へえ」とだけ言って、また外の方を向いてしまった。
「伊吹君、ありがとう、娘を見てくれて」
可奈子の声に、伊吹は振り向いた。
そこには、ひとまず怒りを発散させてスッキリした顔の可奈子と、すっかり妻に叱られて落ち込んだ叔父の姿があった。
しかし、叔父からは、どこか嬉しそうな、安心したような雰囲気も叔父から出ている。
伊吹は、「夫婦」というものを、あまり知らない。
育ててくれた祖母の夫である祖父は、早くに死んでしまって写真しか見た事がない。父母はなんとか生きているが、2人は夫婦ではなかった。テレビドラマや同級生から聞く、両親の話も伊吹にとっては遠い世界の事だった。
正直いうと、あまりいいイメージはない。
母は、ただただ贅沢をしようと思って父と結婚しようとしただけだった。父の本妻は、何も知らず何もせず何も責任を取らない人でしかなかった。父は、伊吹の生母には冷たく現実を突き付けてその甘い見積もりを折り、父の本妻とは、たまに本家に伊吹が行っても、2人で話しているのを見たことがないくらい、夫婦関係は伊吹から見ても冷え込んでいた。父が鬱陶しそうな目で、本妻を見つめていたのを、伊吹は見た事がある。
伊吹にとって、夫婦というものは、崩れやすく脆く、そのくせ、縛るものだけが多い関係性としか思えなかったのだ。
けれども、今目の前にいる叔父と彼の妻は、伊吹が内心抱いていたイメージから、どこか外れていた。その姿は、どこか眩しくて、遠くに感じられていて、羨ましくて。でも、伊吹の前で見せる叔父のしっかり者の姿とは違く、そして父とも似ていない姿に、伊吹もどこか、安心していたのだ。
腕の中の夫妻の娘も、そんな両親の姿を見て笑っていた。
「ほら、伊吹君そろそろ時間でしょ?」
可奈子は、伊吹の腕の中の娘に向かって、腕を伸ばした。来なさい、という母の声に、今度は娘も素直に頷いて、あっさりと母の腕の中に収まった。
「じゃあな、伊吹。何かあったら、いつでも連絡をしてくれ」
叔父は持っていたスーツケースと封筒を手渡してくれた。
それらを受け取って、しっかりと握る。
「兄さんの事は、俺がちゃんと見ていてやる」
引き締めた叔父の顔に、隣の叔父の妻の顔が一瞬、曇る。けれども、可奈子もその顔に笑みを浮かべて、伊吹を見送ってくれた。
「またね」
叔父の娘は、母の腕の中、手を振ってくれた。
「気をつけてね」
そんなに心配そうに見えるだろうか。
少女のその言葉に、伊吹も苦笑しながら手を上げた。胸元のペンダントは、ゆらゆらと揺れる。
そうして、伊吹は空港の中を、真っ直ぐに歩いて行った。
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