第31話 兄弟の電話

 その異国のホテルの部屋は、ぐちゃぐちゃだった。


 スーツケースの中身は全て出され小分けにした袋すらも全て空にされ、部屋中に荷物が散らばっている。片付けが面倒そうだ、と半ば現実逃避した頭で、ベッドの上の伊吹はそう思った。


『確認が取れたよ』 


 ベッド脇のサイドテーブルに置かれた黒いスマホ。そこから、中高から、よく知った声が聞こえる。


『瀬川彰は確かに伊吹の叔父だ。そこは本当。でも、母方じゃない。婿養子に入っているから名字は変わっているが、奴も籤浜だ。なんでも、伊吹の父の末の弟なんだってさ』


 へえ、興味あるのかないのか分からないような声を出して、刹那は伊吹の荷物全てをぶち撒けて見分している。


『伊吹の父、面白かったよ。あいつは籤浜じゃない、そもそも愛人の子だし、会社も結婚相手も自分達とは関係ないから見逃してくれってさ。あはは。一体俺達をなんだと思ってるんだろうね、ヤクザかな?』

「確かに、千秋はヤクザになっても生きていけそうだ」

『お前の発想力には及ばないよ』


 左手が、痛い。

 縛られた上、両手を手錠でベッドの柱と繋がる様に拘束されていて、引っ張っても取れない。逃げ出せない。


『あの叔父、どうにも頭に血が昇りやすい。ちょっと籤浜と伊吹についてつっついたら、直ぐに顔を真っ赤にさせて。悪役ごっこも楽しいなんて知らなかった』

「それはよかったな。俺は子供の頃から千秋は悪役の方が生き生きするだろうなって思ってた」

『おい』


 それに関しては、伊吹も内心そう思っていた。


『ま、とはいえ伊吹の叔父だ。アレが伊吹に協力して籤浜の情報を伊吹に流さなければ伊吹はさっさと籤浜に捕まっていたのかもしれないと思えば感謝はするさ。……今回の事は、許さないがね』


 声が、低い。奥底が燃えているかの様に、低い。


『何か面白いもの、見つかったか?』

「ああ。なんでも伊吹はこっちで大学に通おうとしたらしい」

『大学? 留学か。それは想定していなかったな。資金源は?』

「今、伊吹のスマホで通帳アプリを見ているが、4月に300万ほど入金されている。他にも定期的に、同じ会社から入金されているよ。ちょっとこの会社の名前を言うから調べてくれ」

『4月に300万? まあとりあえずその会社の名前を教えてくれ』


 そうして刹那は叔父が勤める会社の名前を口に出す。電話の向こうの千秋は、直ぐに「ああ」と、声を出した。


『そこ、瀬川彰の勤め先だよ。なるほどね、伊吹が昼間いなかったのはそこで働いていたからなんだ。俺達とは何度誘っても断っていたのに』


 ねえ伊吹? と、電話の向こうの、上っ面な声の千秋が、伊吹に呼びかける。怖い。怖くて、唇が震える。


『4月に300万、というのもどういう事かな。まだ刹那と同居して一月も経っていない頃だけど。まさか、その時から俺達から逃げようと計画していた訳かい?』

 

 本当に油断も隙もないな、と千秋は飄々とした口調だが、その奥にある怒りは、収まっていなかった。


『君は、俺達の助けなんかいらず、ずっと逃げていた方が良かったと? あはは。随分とタフだね。そこまで、俺達から逃げたいか?』

「……」

『なんとか言ってみろよ、伊吹』


 今まで聞いたことのない、千秋の怒りに滲んだ声。この男が本気で怒ると、こんな声を出すのだと、初めて知った。


「叔父、に」

『は?』

「叔父に、なにか、したのか」


 部屋に連れ込まれて、こうして拘束されて。恐怖と、訳がわからなくて頭が真っ白だ。だから話しにくいが、叔父の事を思うと、聞かずにはいられなかった。別れ際の叔父の姿が脳裏に浮かぶ。

 飛行機の中も、現地の空港に着いてからも、叔父の事は散々脅された。飛行機の中では、もし伊吹がまた逃げ出す様な事があれば、叔父とその家族に何をするか、延々と刹那に囁かれた。


『……それ、必要?』


 ぎし、と、電話の向こうで何かが軋む音がした。


『もうそいつと会う事もないんだし、いちいち君に言ってやる必要ある?』

「千秋、」

『ないよね? 君はこれから行方不明になるんだし、もう逃げる必要はないんだし、もうそいつ、いらないよね?』

「千秋、何を」


 くす、と笑う声が聞こえる。

 何か青い塊が降ってくる。慌てて顔を背けると、頭の横に伊吹の青いスマホが落ちた。


「千秋は、覚悟が決まるとそこからが早いから」


 刹那だった。

 伊吹が拘束されているベッドの上、刹那がやってくる。ぎしり、と音を立てて、刹那はベッドの端に腰を下ろした。


「頼りになる兄だろう?」


 刹那のひんやりとした手が、伊吹の頬に伸びる。刹那のその言葉に、サイドテーブルのスマホから、くす、とまた笑い声がした。


『へえ、お前もたまには素直になるんだ』

「まあな。でも、覚悟が決まるまでが遅い。俺はてっきり、伊吹にGPSを付けたいって相談した時から、もう覚悟なんて決まってると思ってたのに」

『生意気だな、本当に。誰がGPS付きのネックレスの手配してやったと思ってるんだよ』

「感謝してるよ、お兄ちゃん」

『白々しくて可愛い弟め』


 なにを。

 なにを、言っているんだ、2人は。


 伊吹の胸元には、変わらず白銀のネックレスがある。黒い石もそのままだ。これが、GPS発信機だったのか。なんで、誕生日によりにもよってなものをくれるのだ。この2人は。働いているのだろう。伊吹よりもずっと、しっかりと、常識的に、働いているのだろうに。なのに、なんて常識はずれな事を。


『ああ、そろそろ時間だ。そうだ、ちゃんと伊吹にこんな事しでかした理由を聞いておいてくれよ』

「珍しいな、そんなこと言うなんて。許す気か?」

『だって、どんな笑える言い訳をするか、気になるじゃないか。なあ?』

「……はは。それは、そうだな」


 じゃあ、また。

 そんな事を言って、千秋は電話を切った。

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