第15話 邪魔者はどっち
突如聞こえてきた上っ面なその声に、伊吹は反射的に刹那の手を振り払った。
振り向くと、部下らしき人間を引き連れた、スーツ姿の恰幅のいい男がいた。男は部下達を置いて伊吹と刹那の元まで歩み寄ってくる。
ちょうど歩く先には伊吹がいるのに、男は真っ直ぐ歩いてくるから、慌てて伊吹はそこをどいた。男の為に、というよりは、見知らぬ男が伊吹のパーソナルスペースに入ってきたからだった。男は伊吹がどいた事を当たり前の様に刹那の前まで行く。伊吹には一瞥もしなかった。
「…………」
一瞬だけ、刹那の目が険しくなった。けれども刹那はゆっくりと立ち上がる。作った笑みを男に浮かべて頭を下げた。
「お久しぶりです、社長。お変わりないようで」
「お陰様で。いやあ偶然だね」
社長。
言われてみれば、男は確かにそんな、人の上に立つのが当たり前、という雰囲気がする。視線を彷徨わせて男が引き連れていた部下らしき人間達の方を向くが、伊吹のその視線に反応を返した者は多くはなく、マネキンの方がまだにこやかなくらいほとんどが真顔で佇んでいた。
男は、機嫌が良さそうに刹那の肩を強い力で叩いているが、対する刹那は不気味なほど笑顔が変わらなかった。叩かれる度に揺れる刹那の体とその顔に浮かぶ一切変わらない愛想笑いのアンバランスさに目が離せない。
「お兄さんは元気かな。最近会っていなくてね。誘っても忙しそうだ」
「ええ、おかげさまで変わりはありません」
「それならいいんだよ。いやあ2人ともまだ若いのに優秀で凄いね。前社長の
男は、あっはっはっ、と笑っている。けれども、刹那は愛想笑いを崩さない。一周回って怖いくらいの笑みを浮かべたままだった。
「申し訳ありませんが、社長。今私はプライベートで、」
「そうだ、これから昼食なんだ。君も一緒にどうかな」
男は、刹那の肩を抱いた。そして無理矢理歩かせる。連れて行かれそうになる刹那は、慌てた様に場を見守るしかない伊吹に目線をやった。
「この近くにいい店があってね。君1人なら追加しても構わないだろう」
なあ、と、男は刹那の様子を見ずに、彼の部下達に声をかける。
「店に連絡してくれ。犀陵の弟くんも追加で、と!」
「社長!」
刹那は、笑みを消して叫ぶ様に言った。
「申し訳ありません。今私はプライベートで、友人といるんです。昼食もお気遣いなく。お気持ちだけ受け取ります」
「友人?」
自分の腕を振り払った刹那に怪訝な顔をしたが、刹那の視線の先の伊吹にようやく気が付いた、という様子で伊吹の事を上から下まで見定めた。明らかな値踏みの視線に、落ち着かなくなった。
「名前を聞いてもいいかい?」
「そ、その」
名前を聞かれて、たじろぐ。
下の名前はまだいい。けれども、籤浜、という名前は明らかにこの男に勘ぐられてしまいそうだ。メディアに籤浜の会社の話はもう流れている。だから、本名を名乗るのは、決して得策じゃない。
「サトウといいます」
伊吹のその言葉に、刹那が目を見開いた。
「ふむ、下の名前は?」
「コウイチです」
「そうかい。聞いた事ないなぁ。本当に犀陵の弟くんの友人かい?」
あまりに露骨過ぎて、逆に笑えてきた。その笑みのまま、明らかに笑みを消した刹那が男に食ってかかる前に、伊吹は口を開いた。
「刹那くんとは、大学の同期なんです」
「なら、君も優秀な訳だ。お勤めはどこかな?」
「俺は地元に帰ってますから。そこで、地方公務員をしています」
「……ああ、そう」
男は、瞬時に伊吹への興味を無くした。
「申し訳ないが、これから刹那くんとビジネスの話をしたいんだ。君は、席を外してもらえるかな」
一周回ってすごいなこの男、と伊吹は場違いに感心してしまった。刹那の方を向けば、動揺した様に小刻みに体が震えている。
「刹那くん、今日は誘ってくれてありがとう。俺はもう行くから、仕事頑張って」
「ま、」
「じゃあ行こう刹那くん! 昼食後もいい店も知っているんだ、いい娘が沢山いるぞ」
男は、刹那を引っ張って連れて行く。部下達は、まるで伊吹と刹那を隔てるみたいに間に入り込み、歩いて行く。だから、伊吹は刹那の姿が見えなくなる。
伊吹は、その姿が見えなくなるまで、見送っていた。
夜、千秋に連れられ自宅に帰ってきた刹那は、ひどく不機嫌だった。おかえり、と声をかけても伊吹を睨んだきりで、すぐ部屋に篭ってしまう。それを見送っていると、千秋に「おい」と声をかけられた。
「流石に、擁護はしないぞ」
「……」
千秋も、伊吹をじっと睨んでいる。
「あいつが、立場とか生まれとかそういう上っ面な物でしか人を判断しない奴が嫌いなの、君も知っているだろう」
「……忘れていた」
「嘘つけ」
千秋はソファーに座ると、伊吹が持って行ったコーヒーを受け取る。それに口を付けて、息をついた。
「しかも、偽名名乗ったんだって? サトウコウイチ? ……ふん」
千秋は、ぐいとコーヒーを一気に飲み干した。
「君、俺達から逃げた時も偽名使って逃げたじゃないか。あいつの前でよく偽名使おうなんて気になるね」
なかなかに皮肉の才能があるよ、と、千秋は吐き捨てた。それに、何も言えなくなってしまう。黙ったままの伊吹を、千秋はまた鼻で笑った。
「俺達は、君が本名を名乗っても気にしないってわからないか?」
「……そちらが気にしなくても、俺が気にする」
「そうかい。もしかしてそれは、また自分が逃げやすくする為じゃないだろうな?」
千秋の色素の薄い瞳が、ごうごうと燃えている。空のマグカップを音を立ててテーブルに置くと、キッチンの伊吹の元まで歩み寄ってくる。それに、伊吹は動けなかった。
「覚えておけよ」
がし、と、胸ぐらを掴まれて、冷蔵庫に押し付けられる。千秋に胸ぐらを掴まれるのは、これで3度目だった。
「俺たちはしつこいんだ。君がどこに逃げても、また必ず見つけ出す。……それを、絶対に忘れるな」
千秋は、燃える瞳で、強く強く、伊吹を睨んでいた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます