第7話 手錠を掛けられた後に部屋にて。<R-15> ※近況ノートにて、SSあり

 案内された部屋で、ほら、と見せられたパソコンの画面に、伊吹は言葉も無かった。なぜか、伊吹の両手に嵌められた手錠の事も吹っ飛ぶくらい、言葉がなかった。

 

「交渉はまとまったよ。籤浜の会社はもう無くなる」


 ニコニコと、刹那は伊吹の両手にかかる手錠にきちんとロックがかかっているか確認してから、そう言った。

  

「……え?」

「うちで引き取れそうな手頃な黒字事業があったから引き取った。その他の事業だと殆ど赤字事業しか残らないから程なく倒産。籤浜は潰れる。粉飾もしてたから、経営陣の責任追求は免れないな。もちろん、その中には伊吹の父も含まれる」

「……………え?」

「世間に公表する前だからって、黙りすぎたな。その、久々に会うのが嬉しくて、つい言いそびれた。悪かった」

「………………………………」


 照れ臭そうにはにかみながら、自分の隣、ソファーに座りパソコンの画面を見せてくる刹那。対して、自分はもう何も考えられなかった。呆然と、気の抜けた顔をしていた。


「ちょ、ちょっと、まて」

「うん?」


 刹那は、柔らかく笑いながら、自分に向かって首を傾げている。


「あ、あいつは?」

「あいつ?」

「千秋は?」

「……気になるのか? 普通に元気だぞ」

「そうじゃない!!!!」


 やっとの思いで伊吹は刹那につっこんだ。

 

「千秋は何をしている!? お前らの家の会社は、親父の会社とは全く関係ないだろう! 千秋は止めなかったのか⁉︎ 社長なんだろあいつ!!」

「千秋の許可なら、とうに降りている」

「なんで!?」


 もう唖然とするしかなかった。


 パンクしそうな頭を抱え込む。じゃらり、と手錠の鎖が耳元で鳴る。

 ちょっと色々分からなすぎて衝撃すぎて喜ばしい事のはずなのにちっともその感情が湧いてこない。刹那は、落ち着かせようというのか、座らせられたやたらと座り心地のいいソファーで前屈みになり頭を抱える伊吹の背中を優しく撫ぜていた。


「少し休め、伊吹。明日になれば、情報がマスコミに流れるから、その時に色々実感するだろう」


 刹那の声は優しい。優しいが、その優しさに乗るには色々と不可解が多すぎて怖いし不安だ。大体、千秋もあっさり許可を出すとかなんなのだ。どうせ籤浜の会社なんて不祥事だらけで一部事業とはいえ犀陵の物とするメリットがどこにあるというのだろうか。そんな事、あの犀陵千秋が分からないわけがない。しかも、赤字事業しか残らないのに、黒字事業を渡すって、二人が父に対して詐欺のような手法を使ったとしか伊吹は思えてならなかった。


 そんな強引な手段を使って、上場企業だから多くの株主の目があるのに、不合理的なことをして。何か、悪影響が出てらどうするつもりか。


「兄弟揃って、乱心したか……⁉︎」


 我ながら酷い事を言ったと思うのだが、刹那は少し目を丸くした後、目尻を緩めてくすくすと笑い出した。


「乱心って言葉、時代劇の中でしか聞いた事ないぞ。そっか、おばあちゃんっ子だったもんな、伊吹は」


 確かに祖母には大切に育てられたが、育てられる身内が祖母だけだった、という状況を『おばあちゃんっ子』という表現は少しカチンとくる。少しだけ刹那を睨むが、全く効いた様子もなく、刹那はクスクスと笑っているだけだった。


「変わらず優しいな、伊吹は」


 刹那は、笑いがおさまった後、何か考えるように目を伏せた。


「俺たちに何か悪い影響が出ないか心配しているんだろう。俺も千秋も大丈夫。決して乱心なんてしてないし、仮に悪影響があったとしても全部織り込み済みだから、伊吹が気にする必要はない」

「いや気にするだろう!」

「本当に気にする事ないんだ。本当に、伊吹がもうどこにも行かないというのなら、もう俺は満足なんだ」


 静かな声に、つい息を呑む。その様子は深みがあって、何も考えず行動した、なんて、流石の伊吹だって思えなかった。


「なんで、そんなこと……」


 途方に暮れたような伊吹の様子に、刹那は笑みを浮かべた。しかし、どこかその笑みが無理しているかのように、強張っている。


「伊吹は、籤浜の事があるから、俺から離れたんだろう?」

「それは……」

「伊吹は本当にすごいよ。ずっと1人で父親から逃げていた。誰の助けも借りようとしなかった」

「それは言い過ぎだ。助けになる奴はいた。千秋もそうだ。お前だって……」

「でも、最後まで付き合わせてはくれなかった。確かに、あの時の俺はいつも人の視線を怖がっていて、頼りなかっただろう。千秋も会社での基盤作りに忙しかった。だから伊吹は、俺たち2人を頼りもせず、1人で逃げた。あっという間に、ただ一言だけ残して。俺の側にいるって、言ってたのに」


 じっと、刹那は伊吹を見つめている。その瞳には、手錠を掛けられた、見窄らしい伊吹自身が写っていた。


「それに、俺がどんな思いをしたか、伊吹には分からないだろうな」


 途端に、手錠の鎖を引かれた。刹那の深い瞳に飲まれたかのように動けなかった伊吹は、あっさりと刹那の腕の中に仕舞い込まれた。


「伊吹、もう逃げなくていい」

 

 吐息と共に、そんな密やかで熱い言葉が耳に注ぎ込まれる。


「ここにいてくれ。どこにも行かないでくれ。俺が全部、伊吹の為にやってやるから」

「なに……?」


 伊吹の体は緊張と不可解さから強張っている。その硬さをほぐすかのように、刹那は伊吹の昔よりも痩せた身体を包み込んで、身体中をさすってくる。


「や、やめろ」


 伊吹は、震える声で刹那の胸に手を当てて離れようと押す。けれども、刹那は全く動いてくれなかった。それどころか、くすり、と笑い声が溢れていた。


「大丈夫。俺がいる。千秋も伊吹をずっと心配していた。だから、安心しろ」

「意図が全く分からないのに、安心なんてできる訳ない! 俺の為って、じゃあお前になんの得があるというんだ!」

「何度も言っているだろう」


 ひっ、と声が出た。慌てて、守るように両耳を押さえる。じゃらり、と手錠の鎖の音がした。


「おま、おまおまおまおまおま……!!」


 自分でも分かる程、顔に熱が集まっていた。なぜ、男同士で、兄みたいな男の耳に口付けをする! と頭が真っ白になり、顔は変わらず真っ赤だった。


「……安心した」


 腕の力は強いままだ。また、刹那は伊吹の両手で押さえた耳元でそっと囁いた。


「随分と初心な反応をする。どんな伊吹も受け入れるが、でも、あまり慣れていては複雑だな、と思っていた」

「何を言っている刹那⁉︎」

「ようやく、俺の名前を読んでくれた」


 刹那は、とろりと笑った。


「本当は千秋の名前よりも先に呼んで欲しかったが、まあ、これからこの部屋で2人きり、一緒に住むんだから、この際小さなことは言わない」

「いっ、一緒にって、」

「伊吹はずっとこの部屋にいるんだ。逃げなくていい。ずっとずっとここにいて、俺を待っていて。俺の帰る場所になって、伊吹」

「やめ、やめろ刹那……!」


 刹那の手付きが、どんどん不穏になっていく。服の上からでも汗ばむような触れ方に、どんどん体温が上がっていく。逃げたい。暴れたい。けれど、両手の手錠のせいで、暴れられない。


 くすり、と耳元でまた声がした。それに、背中が跳ねる。


「伊吹、お願い、誓って。ずっとこの部屋にいて。俺を待っていて。俺の近くにいて。逃げないで、伊吹」


 何度も何度も、まるで呪いのように刹那は伊吹の耳元で同じ言葉を繰り返した。その分、伊吹の思考もまるで洗濯機の水のようにぐちゃぐちゃにかき混ぜられる。汗ばんで、呼吸が荒くなる。力が、入らない。


 力が入らなくなった、両手の手を退かされる。曝け出された耳に、また口付けされる。噛まれる。舌を、入れられる。


「や、やだ、刹那! 汚い! 汚い、から!」


 伊吹は、刹那の胸を叩くが、刹那は全く動かなかった。それどころか、Tシャツの裾から手を入れられる。


 手のひらが、熱い。舌も、熱い。


「せつな、やだ、やだから! 刹那! おねがい、だから!」


 強張る体は、敏感で、普段は触られようが全く感じない場所に触れられて、体が跳ねてしまう。止めたいのに、手錠のせいで、自由じゃない。


「う、ぅぅぅ! 刹那、せつな、たのむ、から! や、だぁ!」


 胸まで、手が入る。尖りに、そ、と触れる。いや、いや、と首を振るが、刹那はそんな伊吹を叱るように、片耳を唇で挟んだ後に、歯で、噛んできた。


 耳に、服の中の手に。どちらを止めるべきか分からない。そして、刹那が伊吹にこんな事をする理由も分からない。刹那は、未経験じゃなかったか、確か。いや、それは昔の話なのか。


 耳を、噛まれたり、吐息を直で注がれたり、低い声で、名前を囁かれたり。


 服の中の手は、体の上半身のあちこちに触れられて、止めたいのに手錠のせいで自由じゃないから、お願い、お願いだから、と、刹那に慈悲を乞うしかできなかった。


 情けなさに視界が滲む。こんなに、刹那と離れていた間、駄目に、なったのか、自分は。刹那も止められず、されるがままに、なるのか。


「伊吹」


 どすん、と、伊吹の強張る身体を、ソファーに押し倒された。舌なめずり、された。昔とは違う男らしい態度に胸がなぜか締め付けられた。


「ずっと、俺の側にいて、伊吹」


 それは、それは、それは―――――‼︎





「家政夫になれ、と言うことか!?」






 涙目のまま、混沌の脳内から導き出された、場違いにも程がある結論。それに、2人の時間は一気に止まり。






「そうだ!!!!」





 我に帰った刹那は、真っ赤な顔で同意した。


 ああ、ヘタレなのは変わってないな、と、変わらず手錠が掛けたれた伊吹は微かに残った冷静な部分で、そんな事を考えていた。

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