第10話:編集のエディさん

 それから少しして、打ち合わせの日がやってきた。

 お屋敷で会うのは初めてなので、朝から緊張しっぱなしだ。

 今か今かと待っていると、お部屋のドアが叩かれた。

 ヴァリアントさんの声が聞こえる。


「ベル様、リブロール出版のエディ様がいらっしゃいました」

「あっ、今行きます!」

 

 急いでドアを開けたら、ヴァリアントさんだけ立っていた。

 あれ? エディさんは?

 と思ったら、メイド服の後ろで誰かが震えていた。


「こここ、こんにちは、ベル先生。ままま、まさか皇太子様のお屋敷で打ち合わせをすることになるとは、私もまったく予想していませんでした」


 編集のエディさんだ。

 ボブカットの茶髪に、黒縁メガネがよく似合っているかわいい女性。

 食べても太らない体質らしく、ヴァリアントさんの服に隠れてしまうほど細いのだ。

 いやぁ、羨ましい。

 そうだ、早くお部屋に入れてあげないと。


「さあ、どうぞ、エディさん。お入りください」

「おおお、お邪魔します」

「それでは、私めはこれにて失礼いたします。後ほど、お菓子とお茶をお持ちいたしますので」

「ありがとうございます、ヴァリアントさん」


 エディさんはびくびくしながらお部屋に入る。

 どうしたんだろう。

 そんなに怯えて。

 

「エディさん。さっきから震えていますが、どうされたんですか? あっ、もしかして、寒いんですかね。夜はまだ冷えますもんねぇ。ヴァリアントさんに温かい飲み物持ってきてもらいましょうか」

「ち、違います。寒くはないです。ただ、皇太子殿下のお屋敷なんてそうそう入ることはありませんから。壺を割ったらどうしよう、絵を傷つけたらどうしよう……なんて考えていたら、さっきから、冷や汗が止まらなくて……」


 エディさんはびくびくしながらお部屋を見渡している。

 ああ、そうだ。

 彼女も怖がりだったんだ。

 私と同じように。

 忘れてた。


「大丈夫ですよ、エディさん。お屋敷はみんな良い人ばかりなんです。私だって最初はすごく緊張してましたけど、今ではだいぶリラックスできてます」

「あっ、そうなんですか。たしかに、さっきのメイドさんも優しそうな方でした」

「ヴァリアントさんはお料理もマッサージもすごくお上手なんですよ。今日のおやつだって、絶品に違いありません。食べたら絶対ビックリしますから」

「へぇ~、さすがは皇太子殿下メイドさんですね。楽しみになってきました」


 良かった。

 エディさんも落ち着いたみたいだ。

 私も安心したので口が軽くなる。


「フィアード様はおっかないですけどね」

「メイドさんは優しい代わりに、皇太子殿下は怖いんですね!? あああ、手土産持って来るの忘れちゃった! ひえええ、どうしよ、どうしよ!」


 エディさんは頭を抱えて叫んでいる。

 しまった、最後の一言は余計だったか。

 「やっぱり、そこまで怖くないです」と必死になだめていたら落ち着いてくれた。


「……ゴホン、失礼しました。それはそうと、ベル先生。いったい何があったんですか? お手紙をいただいたときは編集部一同ビックリしましたよ。ご実家から出なくちゃいけなくて、皇太子殿下のお屋敷に来たそうじゃないですか」

「ええ、そのことですが……」


 婚約破棄の件を伝える。

 エディさんは涙ながらに聞いてくれていた。


「うっうっ……私の知らないところでそのような辛いことが起きていたなんて……私は知る由もありませんでした」

「いえ、もう大丈夫ですよ。むしろ、そんなに悲しんでくれてありがとうございます」

「何かお困りなことがあったら、なんでも仰ってくださいね。ベル先生のためならなんでもしますから」

 

 そう言いながら、エディさんはギュッと私の手を握りしめてくれた。

 尊敬できる素晴らしい人なのだ。


「エディさんはお優しいですね。でも、本当に不自由していないんです。というか、もう最高の生活なんです。お部屋も広いし、羽ペンとかも使いやすいし」

「たしかに、このお部屋はすごいですね。皇太子妃のお部屋かと思いましたよ」


 エディさんは唖然とした様子でお部屋を見回している。

 その途方もない広さと、とんでもなく高価な調度品の数々に圧倒されているようだった。

 そうだ、あのカレンダーを見せてあげよう。

 きっと、さらに驚くぞ。


「このカレンダーなんかすごいんですよ。日付が金……あっ、打ち合わせ」

「私もたった今、ベル先生の言葉で思い出しました。うっかりしていました。打ち合わせしましょう」

「あと、今後の予定ももう一度確認させてください」

「もちろんです」


 ということで、さっそくエディさんと打ち合わせを始める。

 

「ベル先生に今日ご相談したいのは、最新刊の改稿とクロシェットの今後の展開です。まずは改稿のことでいいですか?」

「はい、お願いします」


 クロシェットの最新刊は数ヶ月後に出る予定で、今は諸々の修正をしているのだった。

 一言に修正といっても、その内容は幅広い。

 簡単な表現の修正から始まり、話の展開をガラッと変えることもあった。

 直すのが大変なこともあるけど、読者さんのことを考えれば全然苦じゃなかった。


「まず、豪傑騎士団長の出番を少し削りたいと思います。特に、クロシェットと共闘するシーンを短くするのはどうでしょうか?」

「ああ~、やっぱり長すぎましたか。どうしても、バトルのところは長くなりがちでして」

「ベル先生のバトルシーンは迫力ありますからね。ただ、最近の読者層を考えると戦闘場面は控えめでもいいかと」

「なるほど……」


 エディさんのお話しを聞きながらしっかりメモを取る。

 書いておかないと忘れちゃうからね。

 大きく直すところはそれほどなさそうだった。

 改稿の方も進めていかないとな。


「そして、クロシェットの今後の展開ですが」

「はい」


 と、そこで、お部屋のドアがノックされた。

 たぶん、ヴァリアントさんだ。

 おやつを持ってきてくれたんだろう。


「私が出るのでエディさんは待っててくださいね。……はぁ~い、今開けまっ!」

「差し入れを持ってきたぞ」


 扉を開けたら、まさかのフィアード様。

 お菓子を持って、ズゥゥゥン……と立っていた。

 ヴァ、ヴァリアントさんじゃないの!?


「な、なぜ、フィアード様が……」

「どうしても、クロシェットの打ち合わせをしている瞬間に立ち会いたくてな。ヴァリアントから奪い取ってきたのだ」

「そ、そうだったのですか……」


 フィアード様はお菓子を乗せたお盆を掲げる。

 怖いお顔に似合わない可愛いケーキやクッキーが見えていた。

 

「クロシェットの編集氏にぜひ紹介してくれ」

「わ、わかりました……」


 嬉しそうなフィアード様をお部屋の中に案内する。

 そして、私たちを見た瞬間エディさんは固まった。

 目を見開き、口をパクパクと動かしている。


「フィアード様、こちらはリブロール出版編集部のエディさんです。クロシェットの初期から大変お世話になっている方でして、本当に優秀な編集者さんです」

「私はレジェンディール帝国皇太子、フィアードだ。よろしく」

「よっ……! よろしくお願いしますっ……!」


 エディさんは気絶しそうになりながら、フィアード様と握手を交わす。

 声が裏返っているけど、とりあえず紹介できてよかった。

 

「このケーキやクッキーはヴァリアントが作ってくれた。いくらでもあるから好きなだけ食べなさい」

「は……はぃっ! ありがたき幸せ!」

「では、私はこれにて失礼する。存分に打ち合わせしなさい」

「「あ、ありがとうございました」」 


 フィアード様がお部屋から出た瞬間、私たちはぶはぁっと大きく息を吐いた。

 緊張した~。

 エディさんもしきりに汗を拭いている。


「まさか、皇太子殿下が直接差し入れを持ってきていただけるとは思いもしませんでした」

「私だってビックリしましたよ。てっきり、ヴァリアントさんだと思っていましたので。ああ、そうだ。フィアード様はクロシェットがすごい好きらしくて……」

「えっ!?」


 せっかくなので教えてあげたら、エディさんはまたもや固まってしまった。


「あ、あの~、どうしたんですか?」

「皇太子殿下はクロシェットが好き……ということは、クロシェットを読まれているということ……でしょうか?」

「え、ええ、もちろんそうですが」


 どうしてそんなことを聞くのだろう? と、思ったときだ。

 エディさんは悲鳴に近い声を上げた。 


「こ、これはとんでもないプレッシャーですよ! しかも顔までバレてしまいましたし!」


 ……そうじゃん。

 フィアード様が読んでいると知ったら、エディさんの言うようにとんでもないプレッシャーだよ。

 言わない方がよかったか。

 「つまらないと思われたら殺されますよ~!」とか騒いでいるエディさんを落ち着かせるのはなかなかに大変だった。


「じゃ、じゃあ、エディさん。打ち合わせを再開しましょうか」

「ええ! もう最大限頑張りましょう! 命のために!」


 その日の打ち合わせはいつもよりずっと長かった。

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