第18話:三大公爵家令嬢VS皇太子様

「フィ、フィアード様……どうしてこちらに……」

「なに、トップ層の作家たちはどんなことを話すのかと気になってしまってな。ヴァリアントから奪い取ってきたのだ。ははははは」


 フィアード様は上機嫌に笑っている。

 こっそりアン先生を見たけど、まだこちらには気づいていないようで虚空に向かって話していた。

 よくわからないけど、二人が鉢合わせするとまずい気がする。

 よし、ここは……。

 フィアード様からむんずとトレーを受け取り、ドアを閉めていく。


「では、お菓子は私が渡しますので、フィアード様はどうぞお帰りくださいませ」

「ま、待ちなさい、ベルっ! 追い出そうとするんじゃないっ……って、いつの間にそんな力を身に着けたんだっ」

「すみません、フィアード様……! お引き取りを……!」


 ぐぐぐ……とドアを押し込もうとするけど、フィアード様に押し返される。

 申し訳ないけど私は必死だった。

 ア、アン先生に見つかる前に扉を閉めないと!

 これまたよくわからないけど、この二人の相性はすこぶる悪い気配がするのだ。

 本当に申し訳なくて仕方がないけど、できればこのままお引き取りいただいたい。


「わ、私も作家の会話に加わりたい……! ベルとアン・ヴィーナスの会話なんて、この先いつ聞けるかわかったもんじゃない……!」

「……ベル先生、あなたはさっきから何をやってらっしゃるの?」

「あ、いやぁ、ちょっと……」


 フィアード様と押し合い圧し合いしていると、アン先生に気づかれてしまった。

 ど、どうしよう。


「そちらにどなたかいらっしゃるのかしら?」

「え、ええ~っと……」


 背中でドアを押し込みながらしどろもどろに答える。

 フィアード様の力は強く、もう抑えられそうにない。

 ダ、ダメ!

 そう思った瞬間、フィアード様がお部屋に入ってきてしまった。


「まったく、君も強情だな。ただほんのちょっとだけ話を聞こうというだけなのに……。もちろん、他言はしないから安心してくれ。私もそれくらいのことは心得て……」


 フィアード様は私の後ろの方を見て固まる。

 徐々に険しい表情になっていくような……。

 怖くて後ろを振り返れない。

 その視線の先に誰がいらっしゃるのかと思うと頭が痛くなってくる。


「アートレイス・ハイエスト? なぜ貴様がここにいるのだ。私の屋敷だと知らないはずはないだろう」

「ごきげんよう、フィアード殿下。もちろん、こちらが皇太子様の大変に素晴らしいお屋敷であることは百も承知でございますわ」


 互いの言葉になんとなく棘があるのはどうしてだろう。

 アン先生もフィアード様も静かに睨み合っている。

 その間に挟まれた私は、前と後ろからジリジリ焼かれているようで居心地が悪くて仕方がない。


「まさか、ハイエスト家の傲慢令嬢が来ているとは思わなかった。ベルの執筆の邪魔をしないでもらおうか」

「さすがは帝国一の頭脳を持つとされる恐怖の皇太子様ですわね。この私がそんなことをしに、わざわざただ広いだけで調和も何もない屋敷に来るわけないでしょう」


 アン先生はフィアード様相手でもまったく物怖じしない。

 それどころか、ほとんど対等の立場のように話していた。 

 フィアード様も不敬を責めたりしない。

 ハイエスト家は王族との繋がりも深いと聞いたことがある。

 こ、これが三大公爵家トップのご令嬢……。

 私が圧倒されている間にも二人は会話を続ける。

 ドキドキしながら見ていたら、急にアン先生がこちらを向いた。

 心臓が飛び上がる。

 

「さて、ベル先生。私のことをこのやたらと図体と態度がでかい皇太子殿下に教えていただきましょうか」

「ベル……この傲慢娘と知り合いだったのか?」


 フィアード様が不機嫌とも威嚇とも言えるような表情で私を見てきた。

 心臓が凍りそうになりながら答える。


「ア、アートレイスさんはアン・ヴィーナス先生でいらっしゃいます」

「……なに?」


 ギロッとした目が怖くてしょうがなかったけど、消え入りそうな声でもう一度お伝えする。


「アートレイスさんはアン先生なのです。ヴァールハイトの作者の……」

「こ、この金髪派手派手娘があのアン・ヴィーナス……!?」


 フィアード様はまるで信じられないと言った様子で驚いていた。

 この国の皇太子でさえ、アン先生の正体は知らなかったのだ。


「は、はい。本当でございます。私もついさっき知ったのですが……」

「まさか、そんなことが……」


 アン先生は勝ち誇った表情だ。

 フィアード様はぐぬぬ……と唸っていた。


「おほほ、まるで獣のようなお顔ですこと。さすがはベル先生の素晴らしい支援者でいらっしゃいますわね」

「……支援者だと?」


 アン先生の言葉を聞くと、フィアード様はひときわ怪訝な顔になった。

 ひいいい。

 

「ええ、ちょうどそのようなことを話しておりましたの。ベル先生は素晴らしい住まいを提供されて、悠々自適に暮らしていればいいなんて羨ましいですわ」

「ベルのことを馬鹿にするのは許さんぞ」


 突然、フィアード様の体をとんでもない魔力のオーラが包んだ。

 虫が侵入してきたときよりすごい威圧感で、顔にビシビシ波動が当たる。

 アン先生は微動だにしないどころか、真正面から睨み返していた。

 私はもうどうすればいいのかわからない。


「別ン、私はベル先生を馬鹿にしているわけではありませんわ。クロシェットは素晴らしい作品ですもの」

「……どういうことだ?」


 その言葉を聞くと、フィアード様のオーラは徐々に収まってきた。

 お部屋の中も落ち着いていく。

 アン先生は静かに話を続ける。


「一読者として、クロシェットは大変に面白いと思っていますわ。特に、流行に媚びずご自身の作風を貫いた上で高順位をキープしているのは、相当の実力でしょう。私は流行に乗っかってようやく1位ですのに……」

 

 さっきまでの力強さは消え、アン先生は伏し目がちに呟いていた。

 それこそ小鳥が鳴くような小さな声だ。

 その姿は1位の作者でも公爵令嬢でもなく、私と同い年くらいの少女だった。

 フィアード様もジッと彼女を見ているだけだ。

 私はそっとアン先生の手を握る。


「アン先生……私は毎週ヴァールハイトを読むのが一番の楽しみです」

「……え? ほ、ほんとに……?」


 アン先生は少女の瞳で私を見る。

 その真っ赤な目を見つめたまま深くうなずいた。


「クロシェットとは作風が異なりますが、それこそ一読者として私もヴァールハイトのファンなんです」

「ベル先生……」

「実際に小説を書いていれば、アン先生の努力や読者を楽しませようという気概が痛いほど伝わってきます」

「そう……なの。まさか、あなたからそんな言葉が聞けるなんて……」


 にこりと笑いかけると、アン先生も「来て良かったかも……」とほんのり笑みを浮かべてくれた。


「ふん、クロシェットのファンならばもっと早くに言えば良かったものを。無駄な争いをしてしまったではないか」


 フィアード様も決まり悪そうに笑っている。

 お部屋の中は温かい空気に満たされていく。

 ああ、良かった……と思っていたら、アン先生がウウン! と咳払いして大きな声で話し出した。


「ま、まぁ、というわけですわ。それにしても、クロシェットで一番の見どころは極悪伯爵との最初の決闘でしょうね」


 そうアン先生が言った瞬間、フィアード様がギロリ顔になった。

 ま、まずい。


「聞き捨てならないな。クロシェットでは戦闘シーンよりも彼女を取り巻く人間の内情を書いた緻密な描写だろう。君は本当にクロシェットを読んでいるのか?」

「ですから、どうしてそう短絡的な思考回路になってしまうのでしょう。あなたこそクロシェットを隅から隅まで読んでらっしゃるのでしょうか。では、問題を出しましょう。彼女が初めて豪傑騎士団長と出会った場所は……?」


 いきなりクロシェット談義が始まってしまった。

 何はともあれ、作者としては大変喜ばしいことだ。

 しかし、こんなに作品を好きになってくれて嬉しいなぁとしみじみしていたら、だんだん雲行きが怪しくなってきた。

 アン先生もフィアード様もどんどんヒートアップしているよ……?

 二人はしばらく言い争っていたかと思うと、ゼェゼェしながら相談していた。


「こ、このままではらちが明かん……ベルに判定してもらおう」

「ええ……そうですわね。やはり、ここは作者の判断に委ねるべきですわ」


 ずるずると私の方に来たかと思うと、ガバッと抱き着いてきた。


「ベル! 私とこの傲慢娘ではどちらがよりクロシェットについて詳しいか判定してくれ!」

「ベル先生! 私の方がクロシェットを愛しておりますよね!」

「あ、いや、ちょっ……」


 右からはアン先生が左からはフィアード様が迫ってくる。

 あっという間に壁まで追い詰められた。


「さあ、ベル! 作者目線で公平な判断を頼む! もちろん、私の勝利に決まっているがな」

「私と皇太子殿下のどちらが真のファンか宣言してくださいまし。まぁ、勝つのは私に決まっておりますけどね」

「え、え~っと、ですね……何と申し上げたらいいのか……」


 アン先生もフィアード様も絶対に自分が勝つと確信しきった顔で私を見ている。

 とにかく角の立たなそうな文言を必死に考えるも何も思い浮かばない。

 なるほど……これが絶体絶命というヤツか。

 胃痛で気絶しそうになりながら、今後はコミュニケーション能力を磨いていくことを心の底から決意した。

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