第4話:お世話係の方を紹介されました
猛烈にクロシェットの続きを書いていたら、扉がノックされた。
低い声が聞こえてくる。
「ベル。私はフィアードだ。部屋に入ってもいいか?」
「は、はい! もちろんでございます!」
大慌てで返事をした。
ガチャリとドアが開き、フィアード様がゆらりと入ってくる。
佇んでいるだけで魔神が降臨しているかのようだ。
ひいいい、何という恐ろしさ。
「執筆の邪魔をして悪いな」
「い、いえ! 滅相もございません! 何でしょうか!」
椅子から跳ね上がるように立って、直立不動で待機する。
フィアード様のお屋敷へ住めるようになったわけだけど、当然のように相手は皇太子だ。
ほんの少しの無礼も見せられなかった。
「ははは、そんなに礼儀正しくしなくていい。もっと楽にしなさい」
「は、は……ぃ」
楽に、と言われてもやっぱり緊張する。
ちょっとだけ肩の力を抜いた。
そうすると、緊張しつつも気持ちが落ち着いてきた。
「私の用意した机や羽ペンなどの道具はどうだ? これでも国内最高峰の物を揃えたつもりだが……」
「どれも素晴らしい使い心地です。今まで使ったどの道具よりも使いやすいです。本当にありがとうございます」
「そうか、それなら良かった」
フィアード様がご用意くださった道具は、どれも目が覚めるほどに使いやすかった。
机は広くてちっともがたつかないし、羽ペンと紙だってまるで書きづらさを感じない。
インクに至っては、かすれることを知らないのかと思うほどハッキリしている。
それだけで文字を書くのが楽しいほどだった。
と、そこで、重大な状況に気づいた。
お忙しいフィアード様が道具の使い心地を確かめるためだけに、私の部屋を訪ねるわけがない。
きっと、さっきのやり取りには裏がある。
頭を必死に動かして考える。
よく考えるのよ、ベル。
……あ。
「も、申し訳ございません、フィアード様! クロシェットはまだ書き上がっていなくて……!」
「な、なに……!?」
「全力で書いているのですが、間に合わず……! す、すみません、私の実力不足です!」
たぶん、フィアード様はクロシェットの進捗を確認しに来たのだ。
いや、きっとそうだ。
国内最高峰の道具を使ってその程度しか進んでいないのか! ……とか怒られるんだ。
そしたら、私は死罪……。
色々怖い妄想をしていたら、フィアード様がフッと笑った。
凄みのある顔で。
「なんだ、そのことか。別に進捗は気にしなくていい。余計なプレッシャーを感じると書きにくいだろうからな。いつものペースで書いてくれればそれでいい。速さも大事だが、一番大事なのは内容だからな」
「あっ、そ、そうなんですか……」
いつものペースで、と言われ、心の底からホッとした。
はぁ、良かった。
「さて、ベル。君に紹介しておく人がいる。今日から身の回りの世話をするメイドのヴァリアントだ」
「え? メ、メイドの方ですか?」
「ああ、そうだ。君のために一番優秀な人材を選んできた。彼女はこう見えても肝が据わっている。頼りになるだろう」
部屋を見渡したけど他には誰もいない。
ここには私たちしかいないけどな。
と、思ったら、フィアード様の後ろからスッ……と上品な女性が出てきた。
濃い紫色のポニーテールに、髪と同じ紫色の瞳。
モノトーンのメイド服をきちっとこなした着こなした大人の女性。
背も高いし……かっこいい……。
ポンコツの私とは大違いだ。
「お初にお目にかかります。私めはヴァリアントと申します」
「ベ、ベル・ストーリーです。よろしくお願いします」
ヴァリアントさんは私と握手してくれた。
スベスベの陶器みたいな手だ。
一方、私はペンダコだらけ。
同じ人間でこうも違うのか……。
「では、私は一度失礼する。食事だとか洗濯だとか、諸々の説明は彼女から聞いてくれ。じゃあ、ヴァリアント、後はよろしく頼む」
「かしこまりました、皇太子様」
ヴァリアントさんが静々と返事をし、フィアード様が出て行く。
気のせいか、部屋の空気が柔らかくなった気がする。
やっぱり緊張していたんだろう。
ふぅっ……と一息つく。
「さて、ベル様。お洗濯やお食事のことをご説明してもよろしいでしょうか」
「あっ、はい! お願いします」
「お洗濯物はこちらのテーブルに置いてください。着替えは私めが持ってまいりますので、ご希望の衣服があったらおっしゃってください。それからお食事は……」
ヴァリアントさんから諸々説明してもらう。
まとめると、実家にいたときより桁違いの待遇だった。
「……詳しくお話ししていただいてありがとうございます。でも、なるべくご迷惑おかけしないようにしますね」
「いえ、迷惑だなんてとんでもございません。ベル様のためならばどんなことでもしますので。それよりも……」
「は、はい」
と、そこで、ヴァリアントさんは言葉を切った。
ゴソゴソとメイド服から何かを取り出す。
何冊かの本だった。
「サインをくださいませ!」
「えっ!?」
いきなり、ずずいっ! と私の目の前に突き出してきた。
近すぎて何の本かわからない。
「ですから、サインでございます!」
「サ、サイン!?」
「はい!!」
じわじわと表紙が見えてくる。
なんか見たことあるような……。
あっ、本が近すぎて良く見えなかったけど……これは、まさか。
「『悪役令嬢クロシェットはへこたれない』……読んでくれてたんですか?」
「はい、それはもう何十回も! クロシェットは私めのバイブル! 人生の教科書でございます!」
「あ、ありがとうございます。そんなに言っていただけるなんて、作者としても冥利につき……」
「ああ、まさか、作者の方の身の回りの世話ができるとは! 夢でも見ているかのようでございます! 特にクロシェットが極悪伯爵の手下にさらわれたときは、どうなることかと思って夜しか眠れず……!」
ヴァリアントさんはウットリしながらクロシェットの感想を話し出す。
こ、この人もファンだったのか。
フィアード様に負けず劣らずの饒舌具合だ。
そして、彼女も同じ巻を三冊ずつ持っているらしい。
「と、ところで、なぜ同じ本を三冊も持っているんでしょうか?」
「それはもちろん、読む用、保管用、布教用でございます!」
「な、なるほど……」
どうやら、その辺りもフィアード様と同じ思考回路らしかった。
さあ、さあ、さあ! サインを! とクロシェットを押し付けられる。
本の角が頬にめり込むほどの勢いだ。
「ベル様! どうぞ、遠慮なさらずに!」
「ちょっ、待っ」
あまりの勢いにたじろいでいたとき、部屋の扉がノックされた。
返事をする間もなく大きな男性が入ってくる。
もちろん、フィアード様だ。
すぐさまヴァリアントさんを引き剥がす。
が、彼女はぐぐぐ……と抵抗する。
「こらっ、ベルに何をしている! 私の大切なベルを傷つけるな!」
「いえ、サインをいただこうと思いまして。こんな機会はそうそうございませんので」
「ダメだ! 彼女の執筆の邪魔をするんじゃない!」
ヴァリアントさんはフィアード様に引っ張られてもビクともしない。
細身なのにすごい力だ。
というか、恐怖の皇太子に命令されても従わないなんて……。
き、肝が据わりすぎなんじゃ……。
「仕方がない。では、どちらがよりクロシェットのことを詳しいか勝負だ」
「かしこまりました。いくら皇太子様と言えど、負けるわけにはいきませぬ」
「私からいくぞ! まず、第一巻でクロシェットが助けた虹色のシマエナガの飼い主は誰だ!?」
「豪傑騎士団長でございます。それでは、私めからも出題させていただきます。極悪伯爵の娘の趣味は豪傑騎士団長の……」
二人は部屋の中で激しい討論を始めた。
もちろん、議題はクロシェットだ。
こんなに作品を好きでいてくれる人が二人もいて、私は心底幸せだ。
作者冥利につきるだろう。
しかし、幸せとは別に激しい焦燥感で胸がいっぱいだった。
……早く続きを書かなきゃまずいよね。
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