第7話:編集者さんへ連絡しないと
「そういえば、そろそろ打ち合わせだな……」
クロシェットを書いていたら、スケジュールを思い出した。
婚約破棄されてから、この先の予定をすっかり忘れてしまっていたのだ。
フィアード様に用意してもらったカレンダーを取り出す。
四隅には毎月の誕生石が埋め込まれ、日付は金の刺繍。
見たこともないほどに豪華極まりないカレンダーだった。
え~っと、次の打ち合わせはたしか……。
記憶を思い出しながら予定を書き込む。
直近は覚えていたけど、それより先は曖昧だった。
無理もない。
人の記憶なんておぼろげな物だ。
打ち合わせのとき確認しないとな……。
と、そこで、重大なことに気づいた。
「あっ、そうだ! 住所が変わったことをエディさんに伝えないと!」
リブロール出版の編集者エディさん。
私の担当さんだ。
デビュー当時からずっとお世話になっている。
エディさんなくしては、クロシェットは書けなかったと言ってもいいだろう。
それくらい、私にとっては大事な存在だ。
今まではストーリー家で打ち合わせしていたけど、私はもう実家にいない。
だとすると、お屋敷へ来てもらうことになるのかな。
リブロール出版には勤めている人しか入れない結界が張ってあるし。
何はともあれ、一度相談してみよう。
紙を取り出しペンを走らす。
〔拝啓 リブロール出版第一編集部、エディ様。いつもお世話になっております、ベル・ストーリーです。この度色々ありまして、ストーリー家から出て行くことになりました。つきましては、次回の打ち合わせの場所を変更したくご連絡いたしました。今の住所はフィアード皇太子殿下の……〕
そこまで書いて、ピタリと羽ペンを止めた。
勝手に編集さんを呼んじゃっていいのだろうか。
ここは皇太子様のお屋敷だし。
うん、お手紙を出す前にフィアード様に確認しよう。
執務室に繋がる扉へ向かう。
コンコンと静かにドアを叩いた。
「あ、あの、ベルで……うわっ!」
「なんだ、どうした。何があった」
ベルですが……と言い終わる前に扉が開いた。
目の前にフィアード様がズゥゥン……と立っている。
執務室の机は少し離れた窓際だ。
座って仕事されていると思っていたけど。
も、もしかして、ずっとそこに立ってらしたんですか?
ビックリして用件がすぐに出てこない。
「え、え~っと……」
「べ、別にずっとここに突っ立っていたわけではないぞ。君の声が聞こえたから、すぐに机からドアまで来ただけだ。私にとっては造作もないことだからな」
「そ、そうだったのですか。失礼しました」
なんだ、私の思い違いだったのね。
……そうだ、用件。
「あの、今度編集さんとクロシェットの打ち合わせをしたいのですが、お屋敷に呼んでも大丈夫でしょうか? もしダメでしたら他の場所でも……」
「なにぃ!? 打・ち・合・わ・せ・だとぉ!?」
フィアード様は激しくのけぞる。
その後ろにガガーン! と雷が走ったように見えたのは、きっと職業病だ。
「は、はい、打ち合わせでございます。予定では今週末の……」
「もちろん、呼んでくれて構わない! ああ、我が屋敷でクロシェットの打ち合わせが開かれるとは! なんたる幸福! よし、大広間を使いなさい! 今週末は全部大臣との会食が入っていたがそんなものは知らん! クロシェットの方が最優先だ!」
「いえ! 私のお部屋で大丈夫です! ありがとうございます!」
大慌てでお断りした。
お願いですから大臣との会食を優先してください。
「まぁ、無理にとは言わないが。ところで、一つ聞いてもいいか?」
「は、はい、何でしょうか」
フィアード様はより真剣な顔になられた。
緊張のあまりゴクリと唾を飲む。
見られているだけで背筋が凍る。
まるで心臓を鷲掴みにされているようだ。
ひいい、何を言われるのおお。
心臓がバクバクして呼吸は乱れ、冷や汗が止めどなく流れる。
恐怖で倒れそう……。
「……打ち合わせに私も同席していいか?」
「あっ、それはダメです」
すぐさま断った。
打ち合わせでは、クロシェットの今後の展開や最新刊について相談する予定だ。
いくら皇太子様と言えど、部外者が話を聞いてはいけない。
「ど、どうしてもダメか……?」
「ダメです」
「そ、そうか……そうだよな。少し甘え過ぎたようだ。すまん、忘れてくれ。ははは……」
フィアード様は机に戻っていく。
その大きな背中がしょんぼりしているように見えたけど、これだけは譲れないのだ。
「失礼します」と言って私もお部屋に戻る。
さて、許可もいただけたことだし、手紙を仕上げなきゃ。
サラサラと続きを書く。
これでよし。
お手紙はまたヴァリアントさんにお願いしようかな……。
部屋から出ると、とてつもなく長い廊下が左右に広がっている。
チラホラと使用人の方が歩いているけど、ヴァリアンさんは見当たらなかった。
「ヴァリアントさんはどこにいるんだろう。他のメイドさんに頼めばいいのかな……うわっ!」
「お呼びですか、ベル様!」
廊下の端から紫髪のメイドさんが猛スピードで走ってきた。
ヴァリアントさんだ。
すごい勢いで来たのに息切れ一つしていないのですが。
「す、すみません、急に呼んでしまいまして……」
「いえ! ベル様のご要望は全てにおいて優先するようにと、皇太子様から仰せつかっておりますので!」
「そ、そうだったんですか」
フィアード様にそこまで気を遣っていただいているなんて。
ますます、これからも頑張らないと。
「それで、ご用件は何でしょうか?」
「この手紙を送ってもらえませんか? 宛先はリブロール出版でお願いします」
「かしこまりました……もしかして、また生原稿でございますか!? ああ、なんと素晴らしい! 何回もベル様の生原稿が触れるなんて!」
ヴァリアントさんは手紙を掲げて喜んでいる。
あまりにも大喜びしているので慌てて止めた。
「あ、いえ、原稿じゃなくて、打ち合わせの日程調整を……」
「打・ち・合・わ・せ!? 私めの勤め先でクロシェットの打ち合わせが開かれるのですね! こんな幸せはそうそうありませんよ!」
ヴァリアントさんはさらにヒートアップする。
落ち着かせるのは大変だったけど、無事編集のエディさんに手紙を出すことができた。
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