第32話:大事な話
「いやぁ~、疲れたぁ~」
このところ根を詰めていたおかげか、〆切よりだいぶ早く原稿を送れた。
身体を動かすとゴキゴキ音がする。
ずっと机に向かっていたからね。
肩も腰も凝り固まっているようだ。
これはベル体操しないと。
ふっ……! とブリッジの態勢を取ったとき、ドアがノックされた。
「ベル、フィアードだが」
「どうぞお入りください」
すかさず元に戻る。
良かった、まだこれくらいの反射神経は残っていた。
「今日は君に大事な話がある。少し時間をくれないか?」
「わかりました、大丈夫です」
なんだかフィアード様はいつもと違うご様子だ。
すっかり怖いと思うことはなくなっていたけど、普段よりさらに真剣さが増しているというか……。
大事な話ってなんだろう。
フィアード様のことだから、またクロシェットの感想かな。
いや、他国進出の話かもしれない。
もしくは……。
「ベル、落ち着いて聞いてほしい。レジェンディール帝国は今、クーデターの危険がある」
「…………えっ」
お部屋の空気が張り詰めた。
心臓がドキリとして、体がひんやりする。
ク、クーデターの危険って……そんな……。
帝国は平和ははずなのに。
取り乱している私とは正反対に、フィアードは冷静過ぎるほど落ち着いていた。
「君はクルーエル公爵を知っているか?」
「は、はい、名前だけは聞いたことがあります」
国内有数の大貴族であり、三大公爵家の一角を担う。
悪いウワサもあるらしいけど、ただのしがない男爵令嬢の私には真実かどうかわかるはずもなかった。
「調査の結果、クルーエル公爵がクーデター立案の首謀者で間違いないとわかった。我らと敵対関係にある国と内通しているのだ」
「そ、そうなのですか。聞いているだけで緊張するようなお話です」
クーデターなど空想の出来事だと思っていた。
それこそ小説のお話のように。
まさか、現実世界で起こるなんて。
「そして、ここから君にも関係のある話なんだ」
「は、はい」
そう答えるも、心の中に疑念が渦巻いていた。
私に関係ある話……?
クーデターの心当たりなど微塵もない。
胸の内で懸命に考えていたら、静かな言葉が降ってきた。
「ワズレスとイーズを覚えているか?」
「え……それはもちろんですが……」
どうして、ワズレス様とイーズの名前が?
フィアード様は淡々と説明を続けてくれる。
「どうやら、あの二人もクーデターの計画に関わっているらしい。監獄から脱獄して、クルーエル公爵の元で動いていることが確認された」
「だ、脱獄……」
「彼らもクーデターには乗り気でm私の部屋に保管している国防の機密書類を盗むつもりらしい」
あの二人まで関わっているなんて……。
あまりにも予想外過ぎることばかりで頭が混乱する。
気のせいか、小さな頭痛までしてきた。
「ベル、次々と重い話を伝えてしまい申し訳ない。大丈夫か?」
「え、ええ、平気です。すみません、混乱してしまいして……」
「いや、無理もない。少し空気を入れ替えよう」
フィアード様が後ろの窓を開ける。
新鮮で爽やかな空気が入り、徐々に頭痛も収まっていった。
「……ありがとうございます、フィアード様。だいぶ気分が良くなりました」
「そうか、それなら良かった。また気分が悪くなったら教えてくれ」
さて、とフィアード様は座り直す。
「元々、私はクルーエル公爵の動向を注意していたんだが、どうにも尻尾が掴めなくてな。ほとんど黒なのだが、上手く証拠を隠されていたのだ」
「向こうも大きな貴族ですからね。もしかしたら、その辺りのノウハウも整っているのかもしれませんね」
「ああ、まったくその通りだ。そこで、私は偽の情報を流すことにした」
「偽の情報……」
私だったらどうすればいいのかさえわからないのに、フィアード様はきちんと対応策を用意されていた。
フィアード様は本当に冷静で、国のためを考えていてくださる。
これが皇太子なのだと改めて実感するようだった。
「一週間後、私は王国騎士団の演習の視察ということで屋敷を離れる……という情報だ。無論、機密書類も偽の物を用意しておく」
「……クルーエル公爵たちを誘い込むわけですね」
「うむ、君の言う通りだ。そして、この件はヴァリアントにも協力してもらっているんだ。ヴァリアント、来てくれ」
フィアード様が言うと、お部屋にヴァリアントさんが入ってきた。
私たちを見ると軽く会釈する。
「あの、ヴァリアントさんが何か……?」
「彼女は二重密偵として、クルーエル公爵の元に派遣している」
「え……!?」
ヴァリアントさんが密偵?
まさか、そんな。
「クルーエル公爵の動向を探りたかった私は、王室付き侍女だったヴァリアントを送ることにしたのだ。彼女らは王室以外の人前には出ない。無論、記録を探ることもできない。クルーエル公爵に怪しまれることもなかったというわけだ」
ヴァリアントさんは静かにうなずいている。
どんな状況でも冷静沈着なのはさすがだった。
きっと、そういうところも評価されてこの大役を任されたのだろう。
「彼らが忍び込む予定の夜に、私めがこれまた偽の火を森に放ちます。激しい火事のように燃え盛りますが、実際に燃えることはありません」
「クルーエル公爵たちは、ヴァリアントが味方だと思っている。この機を上手く活かして、怪しまれる前に勝負をつけたいところだ」
私の知らないところでそんな駆け引きがあったなんて……。
フィアード様から言われるまでまったく知らなかった。
国の安全を守るため、みんなは必死に動いてくれている。
その平和を享受しているからこそ、私はクロシェットを書いていけるのだ。
いつの間にか当たり前になっていたけど、これは本当に幸せなことだ。
それを忘れないようにしないといけない。
「そこで、君には安全のためしばらく屋敷を離れてほしいのだ。執筆のペースを乱すようで申し訳ないが」
「いえ、そんなことはありません! 執筆の方は全然大丈夫です! 順調が過ぎるほど進んでおりますので!」
「そうか、それなら良かった。ついでにリフレッシュしてくるといい。私の管理している湖がいいだろう。今資料を用意する」
フィアード様は執務室から、薄めのカラフルな本を持ってきた。
表紙には山の中にある美しい湖が描かれている。
淡いブルーの水が印象的だった。
ペラペラめくると地理の情報とかも書いてある。
馬車で半日ほどの距離らしい。
「フィアード様はこんな素敵な湖を持ってらっしゃるんですね。なんだか、見ただけで気持ちがリフレッシュします」
「先祖代々、王室に受け継がれてきた特別な湖だ。もちろん、警備も厳重なので安心してくれ」
「ありがとうございます……私のためにここまでしてくださって……」
自然と感謝の言葉が出てきた。
いつもこんなに気遣ってくださるなんて、私はどこまで幸せなのだろう。
「いや、そんなことは当たり前だ。君は私にとって、何よりも大切な存在なのだから」
「フィアード様……」
私たちはしばしの間見つめ合う。
目の前にいる大きくて頼りになる優しい男性は、ファンの方という域から出て、何よりも大切な人になっていた。
「念のため、衛兵の他にもヴァンを護衛につかせる。そうだな……あとはエディ氏と一緒に行くといい。編集業務は忙しいだろうから、良い気分転換になるかもしれない」
「エディさんもすごく喜ぶと思います。前からバカンスに行きたいと言っていましたので」
「よし、彼女とリブロール出版には私の方から連絡しておこう」
「ベル様、お気を付けて行ってらっしゃいませ」
二人はお部屋から出ていく。
クーデターの危機があると言われ驚いたけど、私の気持ちはもう落ち着いていた。
みんながいれば……フィアード様がいれば何があっても大丈夫。
荷物をまとめ、翌日にはお屋敷を後にした。
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