第36話:なぜ……?(Side:ワズレス⑤)

「ワ、ワズレス様……! どうして、皇太子がいるんですか!?」

「そんなの僕にわかるはずないだろ……!」


 イーズと同じように、俺も激しく混乱していた。

 なぜこいつが部屋にいる?

 王国騎士団の視察に行っているんじゃないのか?

 見えていないはずなのに、皇太子は俺たちを睨んでいる。

 混乱しつつも迂闊に動けない。

 イーズは震える小さな声で、俺にすがるように話しかけてくる。

 

「ど、どうしましょう、ワズレス様……」

「大丈夫、僕たちの姿は見えないはずだ……。機密書類なんてどうでもいい、逃げるぞ……。」


 小声で相談し、タイミングを合わせて逃げることを決めた。

 いくら相手が歴戦の手練れである皇太子でも、状況は俺たちに有利だ。

 姿は見えないし衛兵たちもいない。

 おまけに外では火事が起きている。

 

「そこにいるのはわかっているぞ、観念しなさい」


 皇太子は俺たちにじりじりと近づいてきた。

 とんでもない威圧感におじけづくがどうにか堪え、隣にいるであろうイーズの手を握る。


「ワズレス様……」

「大丈夫、僕がついているさ」


 よし、これでイーズの正確な位置は確認できた。


「おらぁっ!」

「……きゃあっ!」


 その直後、イーズを思いっきり蹴り飛ばした。

 彼女は勢いよく床に激突しローブがめくれる。

 そのド派手なピンクの髪が露わになった。

 突然のことに皇太子も予想がつかなかっただろう。

 こいつを囮にして逃げるんだ。

 俺さえ助かればそれでいい。

 初めからイーズはただの捨て駒だった。

 こんなこともあろうかと、逃げるプランもしっかり立てていた。

 壁までもう少し、あとはすり抜けるだけで……。


「……ぐぉっ!」


 壁に触れた瞬間、激しい稲妻が迸った。

 重い衝撃を喰らい吹き飛ばされる。

 床に全身を強打したせいか体中が痛く、思考がぼんやりして考えがまとまらない。

 な、何がどうなってやがる。

 

「この部屋には特殊な防御結界が展開されている。部外者が外からは入れても、中から脱出することはできないという魔法だ」

 

 茫然とした頭の中に、皇太子の声が響いてきた。

 と、特殊な防御結界だって……?

 どうしてそんなもんが用意されているんだよ。

 ぐぐ……と体を起こす。

 いつの間にか、イーズは縄で体を縛られ気絶していた。


「貴様らは国家転覆容疑に問われている。これでもう確定だな。今頃、クルーエル公爵の屋敷にも捜査の手が入っているだろう」

「ぅぐっ……!」


 ク、クソ……。

 皇太子は俺たちの計画に気づいていたのか?

 クルーエル公爵はそんなこと微塵も言っていなかったぞ。

 思考回路が戻ってくるにつれ、状況の悪さを実感してくる。

 このままではまずい。

 また監獄行きになってたまるかよ。

 そう思ったとき、一筋の希望が見つかった。

 そ、そうだ、俺にはあいつがいるじゃねえか……!


「ヴァリアントー! おい、早く助けにこい!」


 力の限り、内通者の名前を叫ぶ。

 あの女がどれほどの実力の持ち主かわからないが、今はあいつが頼みの綱だ。

 頼む……来てくれ!

 これ以上ないほど強く念じた。

 一秒が一時間のように長く感じる。

 もうダメか……! と思ったとき、扉が音もなく開き、ヴァリアントが現れた。


「よかった! ヴァリアント、皇太子だ! 皇太子がいるぞ! こいつを殺せ!」

「彼女は私の密偵だ」

「…………は?」


 皇太子が謎のセリフを吐く。

 ヴァリアントは俺の味方じゃないのか?

 それどころか、皇太子側の内通者?

 あ、ありえないだろ。

 だって、クルーエル公爵が……。


「ヴァリアントはクルーエル公爵の元に送った二重密偵だと言っている」

「ふ、ふざけんな! そんなはずないだろ! じゃあ、森の火事はどうなんだよ! あんなに大騒ぎになっているだろうが!」


 火は天にも昇るほど空高く燃えている。

 最初は一か所だけだったが、今では森全体を覆っていた。

 衛兵の緊迫した騒ぎ声だって聞こえるんだぞ。


「あの火は全て偽物の火でございます。ただ赤く光っているだけで木が燃えていることはありません。無論、衛兵たちの騒ぎも演技でございます」


 に、偽物の火?

 なんだよ、それ。

 あんなに激しく燃え盛っているのに……。

 ふと、本当に火事ならば起きるはずの変化がないことに気が付いた。

 そういえば、いつまで経っても焦げ臭くならない。

 あそこまで大きな火事なら、森から離れたこの屋敷まで臭いが届くはずだ。

 ま、まさか、本当に偽物の火……。

 

「ついでに言うと、君が大事に持っている紙束も偽の書類だ」


 皇太子に言われ、慌てて盗んだ書類を見る。

 機密情報っぽい文章や表、地図などがびっしり書かれていた。

 一目見ただけではまさしく国防の機密書類だ。

 しかし、森の火事が偽物だと分かった以上、皇太子の言うようにこれも偽物に違いない。


「ちくしょう!」


 書類をビリビリに破くと、腰に下げたナイフを引き抜いた。

 クルーエル公爵の屋敷から盗んできた武器だ。

 こうなったらもう許さねえ。

 皇太子を、いや、ここにいる全員を殺してやる。

 俺を怒らせやがったな。


「ナイフを仕舞いなさい」

「うるせえ! 俺に近づくんじゃねえ!」


 縦横無尽にナイフを振り回す。

 近づくヤツは皆殺しにしてやるつもりだった。

 だが、皇太子もヴァリアントも微動だにしない。

 その余裕あふれる態度に無性に腹が立った。

 

「皇太子! てめえだけは俺がぶっ殺してやる! お前のせいで俺の人生は滅茶苦茶に……!」


 言い終わる前に、全身が強い衝撃に襲われた。

 立っていることさえできず、ズルズルと崩れ落ちるしかなかった。

 背中には固い何かが当たっている。

 部屋の壁だ。

 な、なんだ?

 いったいどうなっている?

 さっきまで皇太子と向き合っていたじゃないか。

 幻覚でも見ているのか?

 いや、違う。

 俺は皇太子に吹き飛ばされたんだ。

 間合いを詰める動きを見ることさえできなかった。

 こ、これが皇太子フィアード・レジェンディールなのか――。

 

「ワズレス・。貴様を国家転覆罪、住居侵入罪、殺人容疑で逮捕する」


 憎い敵は目の前にいる。

 今なら刺し殺せるぞ。

 絶好の機会だというのに、体を動かそうとするも指一本動かない。

 おい、どうした、俺の体。

 このむかつく野郎と裏切り者の女をぶっ殺せよ。

 気持ちとは裏腹に、俺の腕も足もまったく動いてくれない。

 懸命に動こうとしていると、だんだん眠くなってきた。

 俺は……死ぬのか……?

 そんなの絶対にイヤだぞ。

 まだ復讐が終わっていない。

 皇太子もベルもこの手で殺してやるんだ。

 俺たちはわざと流されていたんだ……。

 その事実を気味が悪いほど静かに実感しながら、俺は気を失った。

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