第35話:侵入(Side:ワズレス④)
「あそこが皇太子の館だな。まったく、良い家に住んでいやがるぜ」
「まったく、不愉快極まりないですわ」
俺たちは皇太子の館近くの森で待機していた。
うっそうと木々が生えており、<すり抜けローブ>を着ていなくても見つかることはなさそうだ。
幸いなことに、今夜は雲が出ていて月明りもない。
まさしく、絶好の侵入日和だな。
天も俺たちに味方しているということだ。
一旦ローブを脱ぐと、夜風がやけに涼しかった。
「イーズ、侵入する前に計画を確認しておこう」
「ええ、念には念を入れ……ですわね」
ポケットから一枚の紙を取り出す。
クルーエル公爵から預かった屋敷の見取り図だ。
部屋の配置や衛兵の待機場所などが詳細に記されている。
今の時間は、ちょうど衛兵たちが交代する時間だった。
「皇太子の部屋は1階の角だな。金庫は壁に埋め込まれるよう置かれている」
「無事盗めるでしょうか。特殊な防御魔法がかかっていたりしたら……」
「大丈夫、問題ないさ。<万能解錠の鍵>はあらゆる金庫を破ったじゃないか」
俺は首から下げた小さな鍵を見せる。
クルーエル公爵から授けられた二つ目のアイテムだ。
どんなに難解な金庫でも、どんなに強固な結界だろうが、わずか数秒で開けてしまう。
これさえあれば機密書類を盗み出すことなど造作もないだろう。
「そうでしたわね。私たちには特別なアイテムがあるのでした」
「ああ、何も心配することはないよ。さて、そろそろ密偵と落ち合う時間のはずだが……」
事前の打ち合わせでは、この森でクルーエル公爵の内通者と会うことになっていた。
だが、辺りを見回しても誰もいない。
おかしいな、時間を間違えたか?
そんなはずはないのだが……。
「お待たせいたしました」
「「っ!?」」
突然、俺たちの後ろから女の声が聞こえた。
心臓が止まりそうになりながら振り向く。
メイドのような服を着た女が立っていた。
さっきまで人っ子一人いなかったというのに。
け、気配も何も感じなかったぞ。
俺たちがおじけづいていると、女は静かに口を開いた。
「ワズレス様とイーズ様でいらっしゃいますね。お初にお目にかかります、ヴァリアントでございます」
「な、なんだ、あんたが密偵だったのか。驚かすんじゃねえよ」
「いきなり後ろに来られてはビックリしてしまいますわ」
ヴァリアントと名乗った密偵は不気味なほど静かだ。
皇太子の屋敷に侵入するという重要な仕事でも、まったく怖気ついていない。
さすがは、クルーエル公爵から皇太子の密偵という大役を受けている女だ。
ふと、雲が避けて月明りが差し込んだ。
密偵の顔がぼんやりと浮かび上がる。
透き通るような白い肌、天使のように整った顔立ち……。
イーズなど霞んでしまうほど大変な美人だ。
思わず見とれていると、脇腹に激しい痛みを感じた。
イーズの指が食い込んでいる。
「ワズレス様……?」
「はははっ、よろしく頼むぞ。ほらっ、握手しよう」
すかさず女に右手を出したが、ヴァリアントが握手することはなかった。
「手筈通り、私めがこれから森に火を放ちます。それを合図に、ワズレス様たちは屋敷へ侵入くださいませ」
「あ、ああ、わかった。上手くやってくれ」
「それでは、計画の成功をお祈りしております」
そう言うと、ヴァリアントはフッ……と闇へ溶け込むように消えてしまった。
もう少し美しさを堪能したかったが仕方がない。
仕事の時間だ。
ここへ来たときより、幾分か明るい気持ちでイーズに話しかける。
「俺たちには力強い味方がいるみたいだな」
「……ええ、そうですわね」
イーズはギロリと俺を睨み付ける。
ま、まずい、機嫌を損ねてしまった。
へそを曲げて帰られでもしたら、俺の最後のワンチャンスが無くなってしまう。
いざとなったらこいつを囮にして逃げようと思っていたのに。
「ほ、ほらっ! ローブを着なさい!」
「わかっておりますわ! そんなにベタベタくっつかないでくださいまし!」
<すり抜けローブ>を身につけ急いで森から離れる。
屋敷の前には大きな花壇があったので、その後ろに隠れた。
しかし、しばらく待っても森に火が放たれる様子はない。
俺たちのすぐ近くを衛兵が歩き回る。
いくら姿を消していてもさすがに不安になるぞ。
イーズが小声で話してくる。
「ワ、ワズレス様……合図が来ませんよ……? どうしたんでしょうか?」
「しっ……! 静かにしろって……! 衛兵に気づかれるだろ……!」
すると、森の奥が赤く光り出した。
黒い煙がモクモクと湧き上がる。
よし!
ヴァリアントが火を放ったんだ。
衛兵ども早く気づきやがれ、森が火事だぞ!
一呼吸遅れて屋敷が騒がしくなった。
「……おい、火事じゃねえか?」
「はぁ? 火事?」
「ほら、あそこの森だよ! ……大変だ!」
そこら中に鐘の音が鳴り響き、衛兵たちの叫び声がこだまする。
深夜だというのに、屋敷はたちまち祭りのような騒ぎに包まれた。
息を凝らして花壇の陰に潜む。
衛兵たちが慌ただしく森へ向かう。
誰一人として俺たちに気づかなかった。
「ワズレス様、合図ですわ! 早く屋敷へ行きましょう!」
「待てっ! 衛兵たちがいなくなってから行くんだ!」
はやるイーズを窘め、俺たちは息を殺す。
徐々にドタドタッ! という音が消えていき、屋敷には夜の静けさが戻ってきた。
「よし、行くぞ、イーズ」
「ええ、わかりましたわ」
花壇から出て駆け足で屋敷へ向かう。
地図の通り、角部屋の壁をすり抜けると、やたらと広い部屋に入った。
月明りは出ていないが、森の火事のおかげで全体の様相がぼんやりとわかる。
部屋の間取りもそうだし、壁には皇太子の紋章が飾られている。
間違いなくここが皇太子の部屋だ。
ここまで考えられているとは……さすがはクルーエル公爵だな。
すいすいと皇太子の部屋に侵入できたのだ。
まったく、チョロいもんだな。
「よし、あとは金庫から書類を盗むだけだ」
「地図には右手の壁にあると書いてありますわね」
壁をまさぐると、ちょうど俺の胸の辺りに小さな金庫が埋め込まれていた。
これがそうだな。
<万能解錠の鍵>を差し込むと、すぐにカチャリ……と開いた。
中には数冊の重厚な文書が入っている。
誰がどう見ても、国防の機密書類だ。
「やった! 機密書類がありましたわ。ずいぶん楽な仕事でしたわね」
「よし、さっさとずらかるぞ」
意気揚々と外に出ようとした、そのとき、突然明かりが灯された。
煌々と部屋の全体が照らされる。
「な、なんですの、ワズレス様!?」
「僕にもわからないよ。いったい何が……」
動揺する俺たちの耳に、以前一度だけ聞いたことがある低い声が聞こえてきた。
威厳にあふれ、かと思うと、罪人を地獄の底に突き落とすような恐ろしい声だ。
ウ、ウソだ……どうして……ありえないだろうがよ。
だって、お前は……。
「そこまでだ。ワズレス、イーズ」
部屋の中には、いるはずのない皇太子が立っていた。
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