第24話:安価な羽ペン

「私は別にあなたのことは好きでもなんでもないんですからね!」

「えっ……そうなんですか」


 そう言われた瞬間、悲しみとともにある種の納得感を感じた。

 やっぱり、アン先生は私のことは好きではなかったのだ。

 わかってはいたけれど、改めて言われると気持ちが沈む。

 アン先生も無理していたのかな。

 しょんぼりしていたら、アン先生が慌てて言ってきた。

 見たこともないほど慌てた様子だ。


「ちょ、ちょっと! そんなに気落ちすることないでしょうに!」

「え? い、いや、だって今さっき私のことは嫌いだと……」

「嫌いとは言ってないでしょうが!」


 そう聞いて、ハッとアン先生の顔を見る。


「……嫌いってわけではないんですか?」

「そうですわよ! ただ恥ずかしかっただけで……というか、こんなことは言わせないでくださいまし!」


 アン先生は必死に訴えかけてくる。

 そのお顔を見ていると、少し落ち込んだ心が明るくなってきた。


「……心配してしまいました」

「まったく、あなたは気にしすぎですわよっ」


 アン先生はぷんっ! としていたけど、次の瞬間にはやんわりと笑っていた。

 

「じゃあ、日も暮れてきたことですし、もう帰りましょうかしらね」

「そうですね、遅くなる前に帰った方がいいと思います」


 太陽は地平線に近くなり、街は黄金色になってきた。

 お店の灯りも着き始めて、辺りは昼間より幻想的な光景となる。


「皇太子様のお屋敷は帰り道なので送って差し上げますわ」

「いいんですか? ありがとうございます!」

「それくらいお安い御用ですことよ」

 

 ありがたいことに、帰りもアン先生が送ってくれることになった。

 街からお屋敷までは少し遠いので大変嬉しい。

 馬車を止めてある場所まで歩いていると、通りの角に小さな文具店が見えた。

 アン先生の行きつけのお洋服屋さんとは違い、庶民向けのこじんまりとした店構えだ。

 窓ガラスから覗いているそれを見ると、懐かしさに駆られたのだ。


「あっ、すみません、あそこの文具店に行ってもいいですか?」

「文具店? 別に構いませんが」


 アン先生と一緒にお店に入る。

 古い物特有の落ち着いた匂いがして安心する。


「すみませーん、失礼しまーす」


 挨拶してみたけど返事はなかった。

 奥の方に木でできたカウンターがあるけど誰もいない。


「もう店じまいなんじゃないかしら?」

「そうですねぇ……でも、入り口は開いてましたし、『OPEN』のプレートがかかっていたから開店中だと思うんです」


 少しばかりの不安を感じつつ歩を進める。

 外観通り、中は狭くて商品が雑多に陳列されていた。

 オシャレなガラスペンに、黒や青といったインク、紙も羊皮紙や亜麻リネンなどいくらかの種類があるようだ。

 壁の棚には背表紙が日に焼けた古そうな本も収まっているので、古書店も兼ねているのかもしれない。

 私はもうこのお店を気に入り始めていたけど、アン先生は顔をしかめながら中を見渡している。


「……ずいぶんと古ぼけていますわ。よくもまぁ、このようなショップに入れますね」

「昔、よくこんなお店に来ていたんです……懐かしいなぁ」

「もう廃業しているのではなくて?」


 どうやら、アン先生はこういうお店があまり好きではないようだ。

 さっさと用を済ませて帰ろうかな。

 そう思ったとき、アン先生の後ろに人影が現れた。


「廃業はしていないよ」

「ひぇぇあっ!」


 アン先生は悲鳴を上げて私の後ろに隠れる。

 声の主はお年を召した淑女だった。

 薄紫のシックで長い髪は緩くカーブがかかっていて、同じく薄紫の瞳は猫のように大きい。

 おばあさんと呼ばれそうな年齢ではあるけれど、背筋は真っ直ぐ伸びていて目力も強かった。

 不思議と立派な魔法使いみたいなオーラを感じる。

 きっと、この人が店主さんだろう。


「ごめんなさい、勝手に入ってしまいまして。一応、挨拶はしたのですが返事がなくて……」

「なに、気にしなくていいよ。ちょうどあたしも地下の倉庫にいたからね。聞こえなかったのさ」


 アン先生はプルプル震えているけど、ご婦人は全然怖くない。

 むしろ、優しいおばあちゃんみたいに柔らかな笑顔だった。


「それで、何をお探しだい? こんな古い店にお嬢ちゃんのお眼鏡に適う品があるといいんだけどねぇ」

「この羽ペンを買おうと思ったんです」


 街に面したガラスのところに置いてあった羽ペンを取る。

 鷲の羽を使った一般的なペンだ。

 でも、羽は先っぽが尖っていてチクチクするし、試し書きしなくても書き心地の悪さは想像つく。

 それを見て、アン先生が渋い顔のままコッソリと聞いてきた。


「ベル先生、そんな安っぽい羽ペンを買うのですか? もっと高級な物を使っているはずでしょうに」

「これは……お屋敷に来る前使っていた羽ペンに似ているんです」

「へぇ……」


 そうなのだ。

 私がまだストーリー家にいたときは、このような安い羽ペンを使っていた。

 もちろん、フィアード様が用意してくれた道具の方が何十倍も使い心地が良いのだけど、それでもある種の懐かしさがある。


「この羽ペンは安いですが、見ていると初心に帰れそうな気がするんです。だから、お守り代わりに買おうかなと」

「そういうことなら良いんじゃないかしら? とても素敵なお買い物だと思いますわよ」


 素敵なお買い物、と言われ嬉しくなった。

 アン先生に言われると、より大事な羽ペンになりそうだ。


「では、こちらの羽ペンをください」

「せっかくなので、私も同じ物を買いますわ」

「はいよ、毎度あり~。今包むから待っててね」


 アン先生も私と一緒に羽ペンを買った。

 お屋敷に帰ったらさっそく使ってみよう。

 古くてオシャレな文具店での買い物も終わり馬車に乗り込む。

 二人でガタゴト揺られていると、アン先生がポツリと呟いた。


「今日は楽しかったですわね、ベル先生。おかげさまで、ずいぶんとリフレッシュできた気がします。付き合ってくれて、お礼を言われていただきますわ」

「あ、いえ! こちらこそありがとうございました。すごく楽しかったです。もし良かったらまたお買い物に誘ってください」

「……よろしいですの? ぜひ、私からもお願いしますわ」


 どちらからともなく、アン先生と笑い合う。

 素敵で大事な友達ができて、私はとても嬉しく誇らしかった。

 お屋敷の前で降ろしてもらい、アン先生たちは帰って行った。


「またお買い物に行きましょう、ベル先生ー!」

「はい! 今日はありがとうございましたー!」


 みんなを見送りお部屋に戻る。

 さっそく羽ペンを取り出し、インクを付けて文字を書き始めるとすぐに引っかかった。

 このガガッ! という引っかかり

 久しぶりの安くて懐かしい書き心地を味わっていたら、廊下からフィアード様とヴァリアントさんの声が聞こえてきた。


「ベルはどこにいるんだー! 買い物から帰って来ないではないか!」

「おそらく、アン先生とお楽しみなんでしょう」

「どうして君は一緒について行かなかったんだ!」

「いえ、アン先生の使用人方がいらっしゃったので問題ないかと」


 ヴァリアントさんはまったく動じない様子で語っている。

 いつものことながら、フィアード様相手でも落ち着いていてすごい。

 

「ベルが戻って来なかったら私は死んでしまうぞ!」

「大丈夫でございます、皇太子様。街は治安もいいですし、衛兵たちもたくさん配置されております」

「そうは言っても心配なのは心配だろう! もし悪漢に襲われ手を怪我でもしたら……!」


 フィアード様は本当に私のことを心配してくださるなぁ……。

 しみじみしていたら、ドアの向こう側から二人とは別の声も聞こえてきた。

 たくさんの使用人さんたちの声だ。


「街へ買い物に行っただけであんなに取り乱されるなんて……皇太子様は本当にベル様を大事にされてらっしゃいますね!」

「皇太子様がこんなに大切にされるなんて、長い歴史の中でベル先生が始めてですわよ!」

「いつ正式に結ばれるか、今から楽しみで楽しみで仕方ありません!」


 だ、だから、違うって~。

 どうすればこの誤解は解けるのだろう。

 出るべきか出ないべきか、いつまでも答えが導きだせないままでいた。

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