第25話:帝国のパーティー

「ベル、私だが」

「はい、どうぞ!」


 アン先生とのお買い物から数日後、あの安い羽ペンを使っているとフィアード様がやってきた。

 もうこの頃になると怯えることは完全になくなり、お声を聞くと安心するような心持ちだった。


「失礼するぞ」


 フィアード様がお部屋に入ってくる。

 ぬらりとした巨大な身体に、泣く子も黙る威圧的なオーラ。

 それを怖いと感じない日が来るなんて……。

 お屋敷に来たときからは想像もつかないなぁ。


「執筆の調子はどうだ? 短編集の執筆もあると聞いているが」

「おかげさまで順調に進んでいます」

「そうか。さすがはベル・ストーリーだ。君はいついかなる時も筆を休めることはないんだな……ん? その羽ペンはどうしたんだ?」


 不意に、フィアード様は私の羽ペンに注目した。


「ああ、これはアン先生と一緒にお買い物に行ったとき買った羽ペンです。昔使っていた物と同じ物が売っていたので、懐かしくて買ってきました」

「ほぅ、そうだったのか。ちょっと触ってみてもいいか?」

「はい、もちろんです」


 安価な羽ペンを渡すと、フィアード様は興味深そうに触っていた。


「へぇ、これがベルの愛用していた羽ペンか」

「もしよろしければ少し書かれてみますか?」

「ぜひとも!」


 フィアード様を私の椅子に案内する。

 お座りになると興奮した様子で書きだした。


「どれ、憧れのベル気分と行こうじゃないか」


 フィアード様は上機嫌でペンを走らす。

 気のせいか、ルンルンした効果音まで聞こえてくる。

 のだけど、少し書いた瞬間引っかかって、紙がビリッと破けてしまった。


「な、なに、こんなに引っかかるなんて……」

「すみません、安い羽ペンだと、どうしてもこうなってしまいまして。たぶん、ペン先の加工が甘いんだと思います」


 フィアード様が用意してくださった羽ペンは先っぽがわずかに丸くなっていて、それこそ滑るように文字が書けるのだ。


「……なるほど、これは書きにくい。屋敷へ来る前は、君はいつもこんな書きにくいペンを使っていたのか?」

「はい、そうです。ですが、紙やインクももっと安物だったので、さらに使いにくかったです」

「こんな羽ペンであの素晴らしいクロシェットを書いていたなんて……君は本当に素晴らしい女性だ」


 まるでフィアード様は、天命を受けたかのように心あらずとなっている。

 そこまですごいことではないような気がしますが。

 ただ書いていただけですし。

 フィアード様はしばらく安い羽ペンをいじっていたかと思うと、ポンっと手を叩いた。


「おっと、そうだ。私としたことが用事を忘れてしまった。今日来たのはベルに話しがあったのだ」

「私に話……ですか?」


 なんだろう。

 フィアード様のことだからクロシェット関連かな。

 もしかして、またモデルの立候補だったりするかも。

 あの短編のときはすごかったなぁ。

 結局、二時間くらいは剣術を披露されていた。

 そんなことを考えていたら、フッと一つの考えが思い浮かんだ。

 ……いや、違う! 

 きっと、早く続きを書けってことだ。

 これはまずい!

 フィアード様がゆるくなるはずがないでしょうに。

 久しく忘れていた緊張感が蘇る。

 冷や汗をかいていたら、フィアード様がヌッと私の前に来た。


「来週末、王宮で帝国晩餐会が開かれる。友好国であるダレンリーフ王国から大臣が何人か来るのだ。新たな親和条約を結びたいと聞いている。まぁ、ちょっとした会議だな」

「あっ、そうなんですか。それはもう……準備が大変そうですね」


 レジェンディール帝国は世界的に見ても大きく、友好条約を結んでいる国がたくさんある。

 私のような下級貴族とは縁もゆかりもなかったけど、関係をより強くするための晩餐会はよく開かれていた。

 そうか、きっと準備を手伝ってほしいということだ。

 王宮での晩餐会だなんて常に人手不足だろう。

 もちろん、私は今まで参加したことはない。

 それでもどれだけ規模が大きくて限られた人しか参列できないことは用意に想像つく。

 幸い原稿の締め切りにも余裕があるので、存分にお手伝いができそうだった。


「話というのは他でもない。その晩餐会に君も来てほしい。というか来なさい」

「ぇえっ!?」


 衝撃の一言。

 わ、私が帝国晩餐会に?

 そんなの参加できるわけがない。

 だって、私はただのしがない男爵令嬢。

 そんな小娘がいたところで、迷惑にはなっても全く有益でない。

 大臣たちだってアン先生のような発言権の強い貴族と知り合いたいはずだ。

 フィアード様は何を仰るんだろう。


「ぜひ、クロシェットの素晴らしさをダレンリーフ王国にも伝えたいのだ」

「ぇえっ!」


 次から次へと衝撃的なセリフが迸る。

 フィアード様も小説の才がおありなようだ。


「何もそんなに驚くことはないと思うのだが」

「あ、いえ……し、しかし、なぜクロシェットを……」

「君の作品を国内に留めておくのは心底忍びない。いよいよ、他国進出のときが来たのだ。このときをどれほど待ち望んだことか」


 フィアード様はグッと力強く拳を握りしめる。

 条約のお話をしているときより楽しそうだった。

 私はとてもじゃないけど楽しめる余裕なんてない。

 条約の締結が目的の大事な晩餐会で、たかが週刊誌の話題などを持ちだしたら大変失礼極まりないだろう。

 大臣たちの怒りを買って条約破棄されたらどうしよう。


「お、お言葉ですが、やはりそのような晩餐会でクロシェットの話をするのはよろしくないかと……。大臣たちも困るのでは……」

「いや、いくらベルの頼みでもこれだけは譲れない。私は絶対にクロシェットを他国へ進出させたいのだ。それに彼らは有能だからな。少し読んだだけでその素晴らしさがわかるだろう」


 そ、そんな。

 フィアード様は断固として考えを改めてくれない。

 どうすればいいの…………ちょっと、待って。

 作家特有の職業病とも言える考えが思い浮かんできた。

 ……上手くいけばネタにできるんじゃない?

 帝国の晩餐会なんて、人生でおいそれと参加できるもんじゃない。

 実際に参加するのと想像で書くのとは大違いだ。

 クロシェットの今後に活かせるかもしれない……。

 そう考えると、むしろやる気があふれてきた気がする。


「では、そういうことで準備を進めといてくれ。諸々の手配はヴァリアントに任せてある」

「あっ、フィアード様」


 言うだけ言うと、フィアード様はさっさとお部屋から出て行ってしまった。

 入れ替わるようにヴァリアントさんがやってくる。


「皇太子様からお聞きしましたよ。帝国の晩餐会にご参列なさるなんて、さすがはベル様でございますね」

「あ、いえ、私はおまけみたいな物ですから」

「なにを仰いますか。ベル様こそ主役でらっしゃいます。ああ、それにしてもとうとうクロシェットが外国に進出するのですね。世界征服に向けた第一歩はすぐそこに……!」


 ヴァリアントさんもお祈りするときみたいに手を組んで、ぽ~っとした恍惚な表情で天を見ている。

 なんだか物騒な言葉が聞こえた気がするけど、たぶん気のせいだろう。


「さあ、ベル様! どのドレスを着るか考えなければ! お屋敷中のあらゆるドレスを持ってきますね!」

「あの、いつも着ている服では……」

「ダメに決まっております。ベル様には国内の誰よりも豪華絢爛なお召し物を着ていただかないとなりません!」


 ヴァリアントさんは大量のお洋服を持って来る。

 宝石まみれのワンピースに、足がつりそうなほど踵の高いハイヒール、まるで雲みたいに軽いシルクのショール……。

 いつの間にか、お屋敷の使用人さんたちも大集合だ。

 着せ替え人形のようにくるくる回されていると夜も更けていった。

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