33.あやね、さんが……うらやましくて。


「それでどっちが牛乳を買いに行くかで十五分も言い争って?」

「……二人で近くのコンビニに買いに行った」


 その日の昼。俺は秋山とテーブルを挟んで昼食を取っていた。

 場所は昼休みの喧騒渦巻く学食である。ウチの学食は安い上に量が多いと評判だ。かく言う俺も少し前までは世話になっていた。

 秋山の本日の昼食は、そんな人気の学食でも特に女子から圧倒的な支持を集めているクリームパスタとグリーンサラダと杏仁豆腐のセット。

 本日は、というよりも割と頻繁か。彼女とここで昼食を取る時は大抵食べている印象だ。

 そう、いつもとても美味しそうに──。


「ふーん」


 ──しているのだが、今日はそうでもない。縁無しの眼鏡の向こうでは胡乱な眼が揺れていた。

 どうやら彼女は呆れているらしい。

 無論、その態度には心当たりがある。

 俺は居住まいを正すと、すっと彼女に頭を下げた。


「今日は二十分も待たせてすまなかった」


 彩姉とどちらが牛乳を買いに行くかで議論を白熱させてしまい、いつもより二十分以上も遅れて家を出たのだ。

 結果、秋山を学校の最寄り駅で待たせてしまった。

 ラインで先に行くように伝えたのだが、待っているの一点張りで、結局俺達は揃って遅刻しかけた。その事を怒っているのだろう。

 ところが。


「別に待たされた事は怒ってません。というか、それはどうでもいい」


 ピシャリと冷たく硬い声で否定された。

 では、一体何でそんなに怒っているのか?


「秋山。君も知っていると思うが、俺は察しが悪い」

「……すまし顔で言う事じゃないと思うんだけど」

「すまない、生まれつきだ」


 最近、彩姉からは『仏頂面』と言われてぺしぺし額を叩かれている。


「怒っている理由を教えてくれないか? 改善したい」

「……無理だと思う」


 秋山がフォークをくるくる回して、クリームパスタを絡め取ってゆく。

 しかし、彼女の眼は手元のパスタに注がれていない。

 俺と、何も無いテーブルの間で彷徨っている。そして時々、俺の様子を窺うようにチラリと見てくる。


「伝える前から諦めないでくれ。君らしくない」

「な、なによ、それ」

「君のガッツは知っているつもりだ。中学の時から競泳に打ち込んできた君の飽くなき挑戦心を、俺は心から尊敬している」

「そ……そんな、大した事じゃ、ない……ってば」


 秋山が顔を横に向けて横髪に触れる。赤くなっていた耳が見えなくなった。


「だから諦めずに言ってくれ。改善できるよう努力する」

「……────」


 秋山の口が動く。しかし、その声は驚くほどか細く、学食の雑音に飲み込まれてしまった。


「秋山、すまない。もう少し大きな声で頼む」

「えっ、と……だ、だから……」

「だから?」


 聞き逃さないように少し腰を浮かせて耳を澄ませた。意識を秋山に集中させる。

 俺が見つめるその先で、秋山は横髪に触れ続けて。チラリチラリを盗み見てくる。


「あやね、さんが……うらやましくて。ちょっと……ずるいなぁって……」


 今度はちゃんと聞こえたが、緊張してガチガチの声だった。


「……羨ましい? ずるい?」

「あんたに……かまって、もらってて。ごはんも、あんたの、つくったので……」


 秋山が俺の手元を見る。そこにあったのは弁当箱だ。

 彩姉と半共同生活をはじめてから、俺は学校での昼食を自作の弁当に切り替えていた。


「それ……あやねさんのためにつくったの、だよね……?」

「まぁ、そう言われればそうなるが……最近、料理自体が楽しくてな。つい作りすぎてしまっている」


 節約を意識した訳ではない。夕食の献立を増やす為に色々な料理に挑戦した結果、冷蔵庫がおかずで圧迫される事態に直面し、これを改善する為に弁当を作る事にしたのだ。言わば苦肉の策である。

 ちなみに今日の弁当は、ほぐした鶏の蒸しササミを冷しゃぶドレッシングであえたものと、ダシ巻き卵、カボチャの煮物ときんぴらゴボウだ。主食は梅干とふりかけを添えた雑穀米を用意。そしてグリーンサラダ。こちらは学食で買ったものである。


「それ、ぜんぶでんしれんじで?」

「きんぴらゴボウはスーパーの惣菜コーナーのだ。作れるが、色々と面倒でな」


 そこで不意に気付く。

 ──彩姉が羨ましい。

 ──ちょっとズルい。

 ──ゴハンも俺が作ったもの。


「秋山。君は俺の弁当を食べたいのか?」


 秋山は何も答えない。ずっと横を向いたまま、左手で横髪をいじりつつ、右手で器用にクリームパスタを食べてゆく。

 でも、垣間見えるその表情は、さっきよりも少し柔らかい。

 やがて。


「……………ちょっと、だけ」


 掠れた声で、そう答えてくれた。


「そうか……光栄だ。ありがとう」

「ど、どうしてそんな仰々しい反応するの……?」

「いや。実は弁当を持ってくるようになってから、君の分も作ろうかどうか迷っていたんだ。だが突然そんな事をしたら気味悪がられるに決まって──」

「思わない思わないぜっっっっっったいに思わないっ!!!」


 ばぁんっ、と机に両手を突き立てて、ずいっと顔を近づけてくる秋山。

 予期せぬ反応に思わず身体が仰け反ってしまう。周りにいた学生達も何事かと眼を白黒させた。


「た、高浪が作ってくれたの、気味悪がるとかする訳ないじゃん……!」

「……男子高校生が手作りした弁当だぞ? 常識的に考えて気持ち悪くないか?」

「あんたの常識がズレてるだけだから安心して」

「まったく安心できない」

「そ、それ……で? 作ってくれる、の? くれない……の? も、もし作ってくれる、なら、お弁当箱は、用意、するから、さ……だから、あ、あの」

「是非作らせてもらおう。弁当箱は助かる。ちなみに好き嫌いはあるか?」

「な、無い。無い無い。あんたが作ってくれるものなら、な、なんでも……たべられると、おもいま、す」

「承知した。では、この鶏の蒸しササミとダシ巻き卵を食べてくれ。味が濃かったら、弁当のおかずは薄めにする」

「ふふぇふぉっ!?」

「何故そんな彩姉のような悲鳴を? あ……だが、箸をつけてしまったな……これは──」

「食べるぅ! 食べる食べる食べる食べる食べりゅっ!」

「今度こそ気持ち悪いだろ?」

「ぜっっっっっっっぜんっ!!!!!」

「……そうか。ではどうぞ」

「もぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐ」

「そんなに噛まなくてもササミはしっかりとほぐしてあるから大丈夫だ」


 そう言いながら、俺は頭の中で新たな弁当の献立を考えていた。

 以前から秋山の昼食の栄養の偏り具合が気になっていたのだ。クリームパスタのサラダセットは炭水化物や脂質やビタミンは摂取できるものの、肝心のタンパク質がまったく無い。

 競泳は体力勝負の競技だ。秋山の今後の飛躍の為にも栄養満点の弁当を作らねばな。

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