26.引っ越し日2


「よし。まぁこんなものか?」

「そうねー。後は彩音さんがご自分で片付けた方がいいモノっぽいかな?」

「ええ、そうだと思う。ホントありがとうね、二人とも。まさか引越し当日にこんなに片付くとは思ってなかったわ」


 室内を見渡しながら、彩姉は満足そうに肯く。

 二十八インチのテレビに一人用のソファ。シンプルなテーブルとベッド。窓にはレースと藍色のカーテン。その他、新たに買い足した本棚や彩姉が前の部屋で使っていた調度品やらが理路整然と配置されている。


「楓ちゃんにはホントに助けられた。特に家具選びのセンス、素敵だった。今度何かお礼しないと」

「い、いえいえ、とんでもないです。お役に立てて光栄です」

「彩姉、今度秋山に旨いメシでも奢ってやってくれ」

「いいってば、そんなの。そういう事してもらいたくて手伝った訳じゃないんだから」


 引越し荷物の搬入も終わって片付けが佳境を迎えた頃、家具の一部を新調する為に近場のホームセンターに出向いた。しかし秋山曰く、彩姉はなかなか独特なセンスのものを買おうとしたらしい。

 その結果、秋山がその辣腕を振るって、彩姉の趣味に合う家具を選んでくれたのだ。


「律に言われるまでもなくお礼はちゃんとするわ。ね、楓ちゃん?」

「そんな。どうぞお構いなく」

「楓ちゃんは私を恩知らずの女にしたいのかな~?」

「い、いや、そういう訳じゃないですけど……」


 秋山が困った様子で俺に視線を向ける。謙虚というかなんというか。

 一日中労働に付き合ったのだから、食事の一回や二回は世話になってもいいのに。


「君さえよければ礼は受け取ってくれ。彩姉も喜ぶ」


 隣の彩姉が同意するように笑顔でコクコクと肯く。

 その反応に、秋山は観念したのか。上目遣いで彩姉を見た。


「じ、じゃあ……お言葉に甘えて」

「ん、よろしい。次の土日どっちか空いてる? いいお店知ってるの」

「すいません、土日はしばらく部活が続いてちょっと難しいです……」

「あらら。じゃあ空いたら教えてくれる? その時に行きましょう」

「はい! よろしくお願いします! 彩音さんは土曜と日曜、どちらがご希望ですか?

「土曜がいいかな? 日曜の方が混んでるのよね、あのお店。律、あんたは土曜で大丈夫?」

「……何故俺に聞く?」


 思わず眼を眇めてしまった。

 すると、彩姉からは睨まれて、秋山からは露骨に呆れ顔をされた。


「あんたも朝からずっと手伝ってくれたんだから。一緒に行くに決まってるでしょ?」

「だが、俺は秋山とは違う。俺はなんというか、家族を助けるようなつもりで──」

「それでも。私の気が治まらないの。だから、ね? いいでしょ……?」


 そう言った彩姉の、なんと自信の無さか。

 どこからか聞こえてくる生活音や車の走る音に掻き消されてしまいそうなほど、その声は小さくて。

 昔ならこういう時、有無を言わさずに強引にでも連れていったのに──などと、遠い日を思い出すように思ってしまった。


「律?」

「……分かった、俺も奢られるとしよう。だが、男でも行きやすい場所にしてくれよ?」

「分かった。下着売場並みに男子が居辛いお店を選んでおく」

「是非是非お願いしま~す。高浪、今更断るのは無しだよ?」

「……早まったか」


 渋面を作ると、彩姉は楽しそうに破顔してくれた。

 こうやって彼女が笑ってくれるのなら、ケーキバイキングだろうが女子インスタグラマー御用達のカフェだろうが、いくらでも付き合うとしよう。


「あ、そうだ。彩音さん、さっき雑貨品を片付けてた時に写真のアルバムを見つけたんですけど」 


 楓が言った。なんだか妙に含みがあるというか、意地の悪そうな笑顔で。

 彩姉は何度か瞬きをして。ハリウッドのアクション映画に出てくる狡猾な黒幕みたいに口元を歪ませた。


「見た?」

「すいません、好奇心に負けてチラッと」

「どうだった?」

「高浪に可愛い時があったんだなぁって……」

「でしょでしょっ!? ちなみにどのアルバム見たの!?」

「青色のです」

「お。私がお世話し始めて一年くらい経った頃のかな。いやーその頃はさ、『俺もジョシコーセーになったら、彩姉と同じくらいの身長になる』とか言っててさ、ちっちゃい時はホンッッッッッッットに可愛かったのよマジで!」


 鈍感だの何だの言われている俺だが、件の写真のアルバムとやらの内容は予想できた。


「待て。どうしてあの頃の写真が残っている?」

「そ、そりゃ残ってるでしょ。あ……あんたとの、思い出だし。権三郎さんも大切にしてたんだから、捨てられるはずないわ。ただ、最近はちょっと痛んでたから、そろそろPCに取り込もうかと──」

「そういう思い出は色褪せてゆくからこそ味がある。秋山、君もそう思わないか?」

「いや、全然」

「……形あるものはいつかは壊れる。その儚さを思う事が風流で雅なのだ」

「高浪、あんたいきなり何言い出すの?」

「俺は冷静だ」

「誰も混乱してるとは言ってない」

「楓ちゃーん。アルバム一緒に見ましょー」

「見ましょう見ましょう!」


 彩姉と秋山がきゃっきゃしながらクローゼットに向かい、中からやたらと分厚い大判サイズの書籍を引っ張り出した。

 その形には見覚えがある。間違いない。俺がじいさんの田舎で過ごしていた時の写真がこれでもかと押し込まれている恐怖のアルバムだ。


「待て。秋山、今日は手を貸してくれてありがとう。後はもう大丈夫だ。時間も遅くなってきたし、駅まで送ろう」

「えーまだ日が高いじゃん。彩音さん、アルバムって何冊あるんですか?」

「全八冊よ! 権三郎さん、カメラが趣味だったからそれはもういっぱい撮っててね!」

「じいさんはたまにしか撮っていなかった。そのアルバムの写真、絶対に九割以上彩姉の手によるものだ。じいさんのお下がりのカメラを持って俺を追い回していただろう!?」

「安心しなさい。あのカメラ、今も大切に保管してあるから。ちなみに時々メンテにも出してて、今も現役で使えるわよ?」

「俺の抗議に対する返事になっていないぞ!? 俺の子供の時の写真を見て何が面白いんだ!?」

「ふああああああああああ彩音さん彩音さんこの子この子! このちっちゃい子が高浪ですか!?」

「うへへ。うへへへへへへへへへへへへへへへへへへ」

「この反応は間違いないうへへへへへへへへへへへへ」


 アルバムを食い入るように覗く二人の顔は──言葉にできなかった。

 いや、すべきものではない、と確信した。

 というか、なんでそんな顔になるんだ──!?


「ち、ちなみにね? ここから先のページは律のお、お風呂上がりの写真がね」

「んぐぅ──!? そ、それは今法律的にアウトなのでは!?」

「だ、だだだ、大丈夫よ。だって私、権三郎さんからお墨付きをも、貰ってたんだから。た、例え律の素っ裸の写真があ、あっても──なんのもんだいもないもんっ!!!」

「あるっ!!! 没収だっ!!!」

「やぁぁぁぁめぇぇぇぇぇてぇぇぇぇぇぇ~~~~~~!!!」

「高浪! それがあんたのする事なの!? あんた彩音さん大好きなんでしょ!?」

「好きだから犯罪者にならないようにするんだろう!? 君まで変な理屈を振りかざすのはやめてくれないか、秋山!」


 秋山楓の知らなかった一面を前に、俺は錯乱するしかなかった。

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