25.引っ越し日
「その勢いでお父さんに相談して?」
「親父がマンションの大家に連絡をした」
「それでうま~い具合に律の隣の部屋が空いてたから、そこに彩音さんが引っ越す事になりましたと?」
「超要約するとそういう事だ。一緒に暮らせなかった」
「当たり前でしょ。あんた何言ってんの?」
途轍もなく底冷えした声だった。秋山はテキパキとカラになったダンボールを折り畳み、一つのダンボールへ詰め込んでゆく。
「いくら家族ぐるみの付き合いがある人だからって、彩音さんとあんたは他人なんだから。同じ部屋で一緒に暮らすなんて有り得ない。非常識」
「はい」
「素直でよろしい。まぁ、せめてここが2LDKとか大きいマンションで、部屋に鍵がかかるんだったら大丈夫だったかもしれないけど」
溜息をつきながら、秋山が室内を見渡した。
間取りは奥行くのあるシンプルな1DK。風呂トイレ別。
同じマンションなので当然だが、隣にある俺の部屋とまったく同じだ。
彩姉が一緒に暮らすと言ってくれた後。俺は自分でもドン引きする行動力を発揮した。
まずは彩姉を連れて実家に戻って、俺の両親に彩姉とのこれまでの事情を打ち明けた。
彩姉が俺と一緒に暮らすという話には、もちろん反対された。理由は秋山の言う通りである。
だが、彩姉を取り巻く状況はしっかり理解してくれて、俺の実家に居候してはどうかと提案してくれた。
しかし、彩姉はこれを辞退。そのまま甘えてしまいそうだから、という事らしい。
色々議論した末、俺が住んでいるマンションに部屋を借りる、という折衷案に行き着いた。
何かあった時の為に部屋もなるべく近い方がいいだろう、という事で大家さんに相談。タイミング良く俺の隣の部屋が空いていたので、そこに引っ越す事になって今に至る訳だ。
ちなみに、親父達も彩姉の両親の連絡先は知らなかった。
「た、ただいまー」
玄関の方で声がした。戸口の方を見ると、彩姉がコンビニのビニール袋を提げて立っていた。
「お帰りなさい、彩音さん」
「お帰り、彩姉」
秋山と二人で彩姉を出迎える。
彼女は、ちょっとだけキョトンとして。すぐに何かに耐えるように下唇を噛んだ。
「どうした?」
「な、なんでも──」
「小指でもぶつけたか?」
「ち、違う! た、ただ、あの、その、えっと……お、お帰りなさいって言われたの、ホント、いつぶりか分かんなくて……」
「…………」
「…………」
「な、なによ、二人とも。ど、どうせボッチだったわよ、ふん……っ」
彩姉の頬がムズムズと動く。どうやら緩みそうになっている顔を力む事で硬直させているようだ。
まったく、そこは我慢するところではないだろう。今彩姉の胸に渦巻くふわっとした感情は、俺にも覚えがある。
素直に言えばいいのに。
「お帰りお帰りお帰りお帰りお帰りお帰りお帰りお帰りお帰りお帰りお帰りお帰り」
「お、お帰りなさいお帰りなさいお帰りなさいお帰りなさいお帰りなさいお帰りなさい……っ」
「嫌がらせか!? 楓ちゃんはこいつの真似なんてしなくていいから!」
怒られた。何故だ……あの幸せな気分を味わってもらいたかっただけなのに……。
「じ、じゃあ休憩! 休憩しよ! 彩音さん、何買ってきてくれたんですか!?」
「う、うん。お菓子とかジュースとかアイスとか」
「アイス! アイスくださーい!」
「脂質が多いぞ。いいのか?」
「健康気にしてアイスが食えるか。いいの、大会もしばらく無いし。そんなオリンピック選手みたいなストイックな食生活なんてしてないもん」
「そーそー。楓ちゃん、もっと言ってやって。律ったら何かにつけて食生活には気を遣えってうるさいのよ。あんた、ホントに健康系ユーチューバーやったら?」
「駄目だ。そんな時間は無い」
「高浪って部活やってないでしょ? 趣味も何も無いって胸張ってるんだから、学校終わった後は暇なんじゃないの?」
「今日から彩姉に尽くす。例え部屋が別れていようと関係無い。余計な事にかまけている時間は俺には無い」
二人揃ってポカンを口を半開きにされた。
「なんだ?」
珍獣でも見るような眼を向けられると、さすがに気分も良くないぞ。
秋山はうずうずと身じろぎをしながら俺と隣の彩姉の間で視線を行き来させ、彩姉ははわはわと口を動かしていた末、自分よりも頭一つ分以上小柄な秋山の背中に隠れてしまった。
え。何故?
「彩音さんの反応が心底理解できないって顔ね……」
「君は理解できるのか、秋山」
「……十年以上昔さ。ライトノベルとかラブコメマンガで、鈍感系難聴主人公って流行ったの知ってる? あたしも詳しくは知らないんだけどさ」
「いや、知らん。それくらいの時はカードやUSBメモリで変身する特撮ヒーローに夢中だった」
「ヒロインの女の子が、主人公の男の子にどんなに好きだって伝えても、男の子は聞こえないの。『え、なんだって?』って言うのがお約束というか定番というか何というか。まぁ、そういう展開ね」
「俺がそうだと?」
「人の気持ちに鈍感なところは」
「……確かにそうかもしれん。俺は他人の気持ちを察するのが昔から苦手だ。じいさんからしこたま怒られた」
「あ、ごめん。そんな深刻な事じゃ──」
「だから俺は自分の気持ちははっきりと表す事にしている」
「……えっと。具体的には?」
「俺は今彩姉が君の背中に隠れてしまった理由が分からない」
「ふむ」
「だが、それでも彩姉の事が大好きだ」
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」
「彩姉、奇声は自重してくれ。ご近所迷惑になる」
「あ、あんたの、そういうとこがわるいのよぉ……! だ、だいたい、そういう『大好き』ってのだって、かぞくとしてとか、そういうのでしょぉ……!」
「…………」
「なんで黙るのよ……? ど、どどどど、どうして黙っちゃうの……!? ねぇなんで!?」
「彩音さん。何かあればホントいつでもライン飛ばしてくれていいんで。ホントに。ホントに」
「あ、ありがと、ありがと楓ちゃん……私、心臓もつかなぁ……?」
「まさか持病が……!?」
そんな。彩姉に持病があったなんて聞いた事が無い。いつだって健康優良児だったはず。
「やはりストレスによるもの……!?」
「なんかドンドン脳内妄想がエスカレートしてるみたいですけど……」
「し、しばらくトリップさせといて、私達は休憩してよ……」
「そうですね……あ、カーテンですけど、ちょっと丈が足りないんです。近くにホームセンターあるみたいだから買いに行きませんか?」
「行く行く! ありがと楓ちゃーん!」
そんなこんなで、引越し当日は慌しく時間は過ぎていった。
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