29.半共同生活後の二人のとある一日の様子・高浪律編
彩姉が隣に引越してから二週間。俺の一日のルーチンは何とはなしに決まった。
朝七時に起床。電子ケトルの電源を入れた後、専用容器にタマゴを二つ入れて電子レンジへ放り込む。タイマーは六分。
次に三日前に買った電気式ホットサンドメーカーにパンとハムとチーズと投入してタイマーをセット。
その隙に洗顔。そして歯磨きをしながら玄関の鍵を開けておく。
ホットサンドメーカーが調理完了を告げる電子音と鳴らす頃、玄関の呼び鈴も鳴る。
「開いてるー」
サラダや豆腐等の用意をしながら声を張り上げる。
すると、寝間着を着たままの彩姉が欠伸を噛み殺しながら現れるのだ。
「おはよ……」
「おはよう。今朝はゆでたまごだが、問題無いか?」
「ん。全然」
「今日の気分は?」
「しおー」
「汁物は?」
「アサリ汁」
「納豆は?」
「いるー」
椅子に座った彩姉の前に、テキパキと朝食を並べてゆく。
ホットサンドメーカーは、彩姉が朝はパン派という事だったので、調理の手間も考えてネット通販で買ったものだ。
食材を突っ込んでタイマーをセットすればそれで終わり。手入れも簡単。もっと早くに買っておけば良かったと後悔している。
洋と和が無作為に入り乱れる朝食を食べ終えた後、シンクにお湯を張って使った食器を突っ込み、洗剤を数滴垂らしておく。
「昼はいつものように冷蔵庫にあるものを食べてくれ。ヨーグルトやバナナは買い足しておいた。グラノーラは糖質オフのものを用意してある」
「あれ、あんまり美味しくない……」
「だが栄養価は高い。それに普通のグラノーラは糖質も脂質も高いんだ。運動をしているならまだしも、今の彩姉が食べると間違いなく太るぞ」
「うー……じゃ美味しくなくていいー……」
「じゃあ行ってくる。戸締りは頼む」
「ん。いってらっしゃい」
七時四十五分、彩姉に玄関口で見送られてマンションを出る。
電車に乗って高校近くの駅で下車。秋山と待ち合わせて、彼女と共に登校する。
「彩音さんはどう?」
「元気だ。朝から晩まで俺の部屋にいる」
「……ゴハンの時だけ来るとかじゃなくて?」
「昼は自分の部屋に戻っていると思っていたが、どうやら一日中いるようだ」
「……何してるの?」
「ノートパソコンを持ち込んで執筆しているようだが、YANEAさんの活動報告を読む限りリハビリ中らしい。動画配信サイトを梯子して、ゆっくり過ごしているのだと思う」
「……高浪が帰った後、晩御飯が終わったら彩音さんは?」
「そのまま俺の部屋にいる」
「……なにしてるの? まさか小説書いてる訳じゃないよね?」
「一緒に動画サイトを見てる。昨日は海外ドラマを三話ほど見たな」
「…………」
「どうした?」
「彩音さん、寝る時は自分の部屋に戻るよね?」
「当然だろう? 親父との約束を破ってしまうし、それでは何のために部屋を借りたのか分からない」
「…………」
「秋山?」
「べーつーにー。あたしは全然家に入れさせてくれなかったのに、彩音さんは入り浸っても何にも言わないんだ~。ふ~ん」
「……実は彩姉が来るようになってから部屋が散らかるようになってな」
「ほう」
「よければ片付けを手伝って欲しい。この前ウチに来ると言っていた話、あれも有耶無耶になっているだろう?」
「…………」
「どうだろうか」
「じゃあ近い内にお邪魔しようかな? 彩音さんともお喋りしたいし。お父さん達にも改めて許可貰っとく」
「ああ、頼む」
そんなこんなで十五時三十分、放課後を迎える。
部活がある秋山とは別れて下校。スーパーに寄って食材を買い足す。実質二人暮らし状態だが、彩姉は小食なので今までと買う量はあまり変わらない。
買い物を済ませてマンションへ。エントランスで自分の部屋番号を入力すると。
『どちら様ですか?』
少し緊張した声音で、彩姉が出てくれる。
「ただいま」
『……ん。おかえり』
硬かった声が柔らかくなった。自動ドアが開き、エレベータに乗って部屋へ向かう。
玄関の扉に鍵はかかっていない。彩姉には無用心だからかけておくようにと伝えたのだが、俺が帰ってきた時にしか開けないと言って譲らなかった。
扉を開けると彩姉が出迎えてくれる。朝の寝間着ではなく、大きめの白シャツにショートパンツというルームウェア姿だ。長い黒髪もヘアクリップでアップにしている。
「……そのシャツ」
「え?」
「まだ使っていたのか? 彩姉が最初にウチに来た時に俺が渡したヤツだろ?」
「なによ、いけない? あんた、使ってもいいって言ったじゃない」
「……三枚で二千円以下の安物だ。もっと着心地のいいものが……」
「部屋着は安物でいいの。私も普段使いのスウェットはドンキのやっすいヤツだし」
「……自分のがあるだろう?」
「……今は丁度いいのが無いわ。だから借りてるの。い、いいでしょ?」
「彩姉がいいというなら構わないが……嫌じゃないのか?」
「な、なんで? むしろ男物は大きくて緩く過ごせるから好きよ?」
なんてやりとりをしながら部屋に入る。鍵をかけてうがいと手洗いも忘れずに。
買ってきた食材を冷蔵庫に入れた後は、シンクにまとめていた食器を洗って夕食の支度を始める。
支度と言っても作るのは一品くらいだ。大半が作り置きしているものを暖めてテーブルに並べるだけである。
「今日は鶏のしょうが焼きだ。いや、レンジだから焼きではないか」
「部位は?」
「ササミ。筋を切るくらいですぐに調理できる」
「なんか手伝う?」
「汁物の用意をしてくれると助かる」
「ん。お吸い物と味噌汁どっち?」
「味噌汁。なめこの」
「はーい」
やがて夕食の準備が終わって、彩姉と囲む。
「近い内、秋山に俺の部屋の掃除を手伝ってもらう事になった。構わなかったか?」
「もちろん。というか、それ私に許可取る必要ある?」
「無いが、なんとなく?」
「なにそれ。掃除なら私も手伝うわ」
「いいのか?」
「実質ここに住んでるようなものだし。当然でしょ?」
そんな話をしつつ夕食を終えて後片付け。
「後片付けくらい私がやるわ」
「だが」
「あんたはゴハンの用意をしてる。私は食べるだけ。フェアじゃないでしょ?」
「……分かった。じゃあ明日から」
「今やる。乾燥機の使い方も分かるから」
役割分担的に言うのなら、食事の後片付けは彩姉に任せた方がいいのかもしれない。
けれど、彼女が頑張り過ぎないかどうか、少し不安なのだ。
ただ、だからと言ってなんでも俺がやるというのも良くはない気もする。
「……じゃあ二人でやろう。彩姉はテーブルの後片付けやゴミをまとめてくれ」
「むー。まぁいいわ」
不満そうにしたが、どうやら納得してくれたようだ。
片付けが済んだ後は自由時間だが──。
「今日はどうする? 昨日のドラマの続きを見るか?」
「部屋に戻る。毎日いると鬱陶しいでしょ?」
「まさか。気が済むまでゆっくりしていってくれ」
「……じゃあ、さ。昨日のドラマの続き。一緒に見よ?」
「ああ、見よう見よう」
そうして日付が変わるくらいまで肩を並べてソファに座り、彩姉が持ち込んだノートPCで海外ドラマの続きを見る。
彼女が眠そうに欠伸をしたところでお開きだ。俺はソファを離れて電子レンジで牛乳を温める。
「はい」
「……ありがと」
「明日の朝は?」
「目玉焼きがいい」
「分かった。暖かくして寝るようにな?」
「ん」
ウトウトと船を漕ぎつつある彩姉の手を引いて隣の部屋へ。鍵を開けてもらって、彼女を部屋の中へ入れる。もちろん俺は入らない。玄関口までだ。
「じゃ、おやすみ」
「うん。おやすみ」
どこか名残惜しそうな表情を見せる彩姉に手を振って、扉を閉める。
ガチャリと鍵がかかる音を聞いた後、俺は自分の部屋に戻ってシャワーを浴び、スウェットに着替えてベッドに潜り込んだ。
(YANEAさんの活動報告は……)
一日の最後を締め括るのは、彩姉──YANEAさんの日記になり始めた活動報告を読む事。
だけど、今日は更新されなかった。疲れていたようだし、眠ってしまったのだろう。
であれば、俺ももうやる事は無く、眠る事にする。
こうして俺の一日のルーチンが終わるのだ。
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