28.部屋の鍵
秋山を駅に送っていった後、俺も自分の部屋に戻る事にした。
「戸締りはちゃんとするように。オートロック付きでも過信はしてはいけない」
「分かってる」
「ゴミの分別はさっき言った通りだ。夜中に出すのはルール違反だからするなよ?」
「はいはい」
「何かあったらラインでも何でもいいからすぐに呼んでくれ。なんなら壁を叩いてもいい」
「ゴミ出しのルール違反は注意する癖に壁ドン推奨するのダメでしょ……」
「む。確かにそうか」
「そーよ。大体子供じゃないんだから、その手の心配はいらないってば」
「そうだな。だが、非常時に何かあれば困るだろう」
ポケットに忍ばせていた鍵を取り出して、彩姉に差し出す。
「? 何の鍵? ゴミ捨て場?」
「俺の部屋のだ」
「はぁ!? え、な、なんで!?」
「何かあった時、気軽に来てくれ」
「何かって何よ!?」
「何かは何かだ。例えば、そうだな。誰かと話したくなったらとか」
「ラ、ラインの通話でいいでしょそんなの!?」
「それはそうだが……壁一枚挟んで話すのも馬鹿馬鹿しい」
「……か、顔合わせて私と話したいワケ?」
「ああ。彩姉と話す時は、彩姉の顔を見て話したい」
すると、彩姉は顔を伏せてしまった。
「……私のは」
うつむいたまま、彩姉が呟く。
「私の家の鍵は……欲しい?」
「いらない」
「ど、どうしてよ!?」
「お互いに自由に部屋の行き来を可能にしてしまったら、部屋を分けた意味が実質無くなる」
「そ、そうかもしれない、けど……この鍵を貰ったら、わ、私はいつでもあんたの部屋に乗り込めるって事、よ……?」
「そうだな」
「ふ、不公平というかなんというか……そもそもあんたの親や大家さんから許可は──」
「貰っている。そしてその時、逆パターンは無しだと言われている。だからいくら俺が欲しいと言ったところで駄目なんだ」
「…………」
「どうした?」
「もし仮にだけど。仮に……あんたの親と大家さんが、私の部屋の鍵をあんたが持ってても構わないって言ったら……どう?」
「……仮定の話をしても──」
「い、いらないって即答しないって事は欲しいのね?」
時々、彩姉の勘は異様に鋭くなる。
そしてこうなると、俺には彩姉の追及を振り切る術が無い。
「何かあった時の為に鍵が欲しいのは事実だ」
「だ、だから。その何かって……何よ。はっきりしなさい……」
小さく身じろぎをしながら、そんな事を言ってくる。その口調はどこか恨みがましく、批難の色があった。
何かあった時の何か。それはもちろん色々な理由で自分を追い詰めた彩姉が馬鹿な真似に走った時だが、そんな事は口が裂けても言えるはずがない。
それに──こうして屈託無く話す彩姉を見ていると、そんな懸念は杞憂に終わるだろうと感じてしまう。
「非常時とだけ言っておく。とにかく俺の部屋の鍵は持っていてくれ」
「……ホントにいいの?」
「ああ」
「あんたが寝る時に、は、入っちゃうかも、しれないわよ?」
「構わない。見られてまずいモノもない」
「……え。持ってたの? 律が? なんというか……そ、そういう本とか」
「そういう書籍はあまり見かけない」
「あー……そういう時代かー……あんた、PCは?」
「将来使えないと困るだろうと、親父からお古のノートPCを」
「その中には──」
「……あるはずがない」
今はその勘の良さで引っ込めていただきたい。
彩姉の口角が徐々に緩んでゆく。獲物を前にした肉食獣のような顔だった。
「まぁそういう事にしておいてあげる」
「ああ。そういう事で構わない」
ノートPCのパスワードは変更しておかなければならない。いや、生体認証を働かせておこう。
そんな事を決意しながら、俺は彼女の手に部屋の鍵を握らせた。
「来たくなったらいつでも来てくれ」
「……ホントに物好きな子。私なんて面倒なだけよ?」
「昔の俺より面倒じゃないはずだ。朝飯も二人分作っておく」
「ちょ、ちょっと……行かないといけない理由作るの卑怯じゃない?」
「朝起きる理由ができただろう?」
確かに卑怯だ。
けれど、部屋の外に出て他人と喋る、という行動は、意識しないとしなくなるものだ。
少なくとも、じいさんの田舎に引越した直後の俺はそうだった。
「…………」
何か言い返そうとして。でも、何も出てこなくて。
そんな気配を漂わせながら、彩姉は俺の部屋の鍵を握り締めた。
「あんたの部屋に行って、朝ゴハン無かったら」
「怒っていい」
「……なら、律の部屋の洗面台に、わ、私の歯ブラシの予備、置いといてもいい?」
「構わない。他にも朝の支度に必要な物があったら何を置いても構わない」
彩姉がコクンと肯く。俺は彼女から手を離して言った。
「じゃ、おやすみ、彩姉。また明日」
「……うん。おやすみ、律。また明日」
彩姉に手を振られて、俺は数歩先にある自分の部屋へ向かった。
明日の支度を済ませてベッドへ潜り込む。
今日は一日よく動いたせいか、眠気はすぐにやってきた。その心地良さに身を委ねて意識を手放そうと思ったが──。
(……活動報告、更新されているだろうか)
枕元に置いていたスマホのロックを解除。ブックマークに突っ込んである『年下スウェット』の作者YANEAさんの活動報告にアクセスする。
(ふむ。やはりされていたか)
更新の日付から、俺から暇を告げて間もなく投稿された記事のようだった。
『色々あって引越しました。部屋も少し広くなった上、家賃も安くなって万々歳です。なにより、環境がとても良くなりました。実家にいるよりも肩肘を張らず、気軽で、でもこんなどうしようもない私を歓迎してくれる子が側にいてくれます。これなら『年下スウェット』の続きも書ける……かもしれません。何はともあれ、焦らずに充電期間を過ごそうと思います』
俺はスマホを閉じて、改めて眼を瞑る。
彩姉。あなたはどうしようもない人なんかじゃない。そんな風に言わないで欲しい。
「俺が……言わせないように、すれば、いい……」
そうして、俺の意識は眠りに落ちていった。
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