5.再会3
扉を開けて中に入った俺は、背後を振り返って告げる。
「どうぞ」
「お……お邪魔、します」
コンビニの買い物袋をぎゅっと抱えた彩姉が、肩を丸めて玄関口を潜る。
「……なんか、いい匂いがする。芳香剤?」
「男子学生の一人暮らしにそんな上等なモノを期待しないでくれ。リフォームした部屋だから、まだ材質の匂いが残っているんだ」
見た目は立派だが、築年数自体はそこそこ重ねている物件だ。だからこそ相場よりも少々安い。
靴を脱いで室内に上がる。だが、彩姉はポツンと玄関に佇んだまま動こうとしない。
「彩姉、上がってくれ」
「わ、私、片足が汚れてて。だから」
そう言って、買い物袋でストッキングだけの右足を隠してしまう。
そのまま家に上がると廊下を汚してしまうのでは、と考えているようだ。
「後で掃除をすれば済む話だろう?」
「だけど」
「……ちょっとすまん」
「え。え、え、え──ちょ──!?」
彩姉に歩み寄って膝をつき、彼女の右足をじっくりと観察する。
「当たり前だが、ストッキングがボロボロだな。足を上げてくれ」
「ふぇ!? い、いや、あのあのその!」
「いいから」
右足の甲にそっと触れる。それだけで彩姉が緊張しているのが分かった。
男子高校生に触れられるなんて気持ち悪いに決まっているだろうが、今は我慢してもらうしかない。
彩姉は、やがて観念してくれたのか。右足をゆっくりと持ち上げてくれた。身体を捻って足の裏を確認する。
「擦り傷があるな。素足で歩いているようなものなのだから無理も無い。痛みはあるか?」
見上げると、彩姉は下唇をぎゅっと噛み締めて、何かに耐えるようにして俺を睨んでいた。
そんなに嫌だったか──密かにへこんでいると、彩姉が躊躇いがちに口を開く。
「う……ううん。大丈夫だと、思う……」
「良かった。ひとまず消毒と手当をしよう。コンビニで着替えは買えたか?」
「え、ええ。必要なものは、一式……」
「ではシャワーを浴びてくれ」
「はひぃっ!?」
「男の一人暮らしの部屋で女性がシャワーを浴びる事にどれほどの生理的嫌悪感を抱くか、俺には想像もつかない。だが、まだ春先で今日は冷えている。体温も下がっているだろう? だから──」
「まぁ! まままま待って待って別に嫌じゃないのよ何を言ってんのというかさっきからとんでもなく自分の事卑下してるけどそんなのダメよそういう風に言ってると自分の価値を下げるって昔ちゃんと教えたでしょうが!!!」
羽根を振り回してもがく鳥のように両手をバタつかせる彩姉。その紅潮した頬には、かつての生気の残滓が見て取れた。
よし。ちょっと元気を出してくれたぞ。
「嫌ではないのなら良かった。では彩姉、シャワーはそこの扉の先だ。タオルは戸棚にある物を適当に使って欲しい」
「は、はい」
「脱いだ衣服は洗濯機へ放り込んでくれ。じいさんに誓うが、絶対に触らないし見ない」
「はひゅん」
え、どんな返事?
「着替えは……俺のジャージで代用してもらうが、構わないか?」
「ほひゅん」
だからどんな返事?
「バスグッズの類は、こちらも俺が使っている物しかない。すまない」
すると、彩姉は大きく目を見開いた。そして一瞬の沈黙の後、首まで真っ赤にして頸椎が心配になる速度で肯いた。
「じゃあ、俺は奥にいるから。シャワーを済ませたら来てくれ」
「はひぃ」
ちょっと心配だったが、脱衣所に入る瞬間まで見届けるのは普通に考えて気持ち悪いので、俺は彩姉に背を向けて寝室へ向かった。
なるべく使っていない上下のジャージと無地の白Tシャツを引っ張り出して脱衣所へ。耳をそばだてると、シャワーの音が聞こえた。
大きくノックをして、声を上げる。
「彩姉、脱衣所に入るぞ」
「ほしゅん」
だからなんなんだ、その声は。
戸惑いながら扉を開け、狭苦しい脱衣所に踏み込む。
曇りガラスの向こう側で、わたわたと動く影が見えた。
「着替えだが、洗濯機の上に置いておく。使ってくれ」
「う……う、ん。ありが、とう……」
「夕食は済ませたか?」
「え……ま、まだ、だけど」
「好き嫌いは昔のままか? ニンジンはもう食べられるのか?」
「とぉっ!? ととととと当然、じゃないっ! あ、あんたこそタマネギは克服できたの!?」
「正直苦手なままだが、みじん切りにしたモノなら食べられるようになった。まぁそんな事はいい」
冷蔵庫の中の食材を思い出す。予定にはなかったが、元々煮物を作るつもりだったし。
「夕食だが、無難に肉じゃがにしようと思う。副菜や汁物はレトルトや作り置きで申し訳ないが、我慢してくれ」
「ど、どうかお構いなく──と、というか律!? あんた自炊してるの!?」
「適当に切った食材にめんつゆやみりんなどをぶち込んでレンジでチンするだけを料理と言うのなら」
「あの、私も手伝い──」
「充分に暖まってから出てくるように。風邪を引くと辛いぞ」
それだけ言い残すと、俺は曇りガラスの向こう側でバタバタしている彩姉を置いて、キッチンへ戻った。
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