6.電子レンジで肉じゃがを作る


「お、お待た、せ」


 二十分。彩姉がペタペタと足音を鳴らしながらキッチンに現れた。

 ポニーテールだった黒髪は下ろされていて、奇麗な濡れ羽色のヴェールのように彼女の身体を包んでいる。

 艶やかさを取り戻した髪の隙間から垣間見える顔には、ほんのりと赤みが差している。シャワーだけでも二十分も浴びれば身体も充分に暖まったらしい。

 用意したジャージは思っていた以上に大きかったらしく、ズボンの裾は引きずっていて、ジャージの上着の袖口からは人差し指と中指と薬指がひょっこりと顔を覗かせていた。


「彩姉」

「な、なに?」

「縮んだか?」

「あんたがデカくなったのよ!」


 昔は俺が見上げなければならないほどの身長差だったのに。


「……なによ、急に遠い目になって」

「ちょっと昔を思い出しただけだよ。さぁ、座ってくれ。もう少しで晩飯ができる」

「ホントに電子レンジで肉じゃがって作れるの? 冷凍食品じゃなくて?」

「大抵の料理は電子レンジで事足りる。母さん曰く、火を使った方が旨くできるそうだが」


 コンロは電気にしろガスにしろ、片付けや手入れが面倒だ。レンジでの調理に慣れてしまうと、特にそう感じてしまう。


「お茶とコーヒー、どちらがいい?」


 二人掛けの小さなダイニングテーブルについた彩姉に訊ねる。


「あ……じゃあコーヒー」

「ホット?」

「ちょ、ちょっと温めだと嬉しい」

「よし。それとミルクと砂糖どばどばだな」

「どうしてそんな事を覚えてんのよ!?」

「世話になった人の趣味嗜好くらい覚えている」


 学生時代の彩姉は、大人びた外見とは裏腹に何かと子供っぽいところがあった。特に味覚はそうだ。

 副菜作りの片手間でインスタントコーヒーを作り、牛乳と砂糖をしこたま突っ込んで混ぜる。これはもはやカフェオレでは? まぁ旨ければなんでもいい。


「ではこれを飲みながら待っていてくれ。もう少しで副菜ができる」


 マグカップをテーブルに置き、持ち手を彩姉に向ける。


「……ありがと」


 彩姉は両手で挟むようにマグカップを持つと、湯気を燻らせるカフェオレにふぅふぅと息を吹きかけて、ゆっくりと口をつけた。


「……うん。美味しい」

「業務用スーパーで売っていた一瓶四百円の安物コーヒーだぞ?」

「美味しいわよ。私が今まで飲んだどんなコーヒーよりも……美味しい」


 ええ、と。まるで自分の言葉を実感しているかのように、彩姉は熱いカフェオレを嚥下しながら何事かを呟く。


「たぶん……あんたが淹れてくれたからね」


 電子レンジの甲高い電子音で、何を言ったのか聞こえなかった。

 レンジから加熱していた耐熱容器を取り出して、ほかほかになったキノコを箸であえてゆく。


「律、あんたホントに大きくなったわね」

「今日、彩姉と肩を並べられて安心した。今は一つの目標が叶ってちょっとテンション上がっている」

「なによ。そんなに私を見下したかったわけ?」

「何かあった時、守れるだろう?」

「…………」

「彩姉?」

「こっちみんな」

「今手が離せないからそちらを向けない」


 最後の一品、汁物の準備に勤しむ。


「……こんなにデカくなるなんて……ちょっと卑怯すぎない……?」

「それを言うなら、中学の時点で百六十を超えていた彩姉の方が卑怯では?」

「べ、別に卑怯でもなんでもないわよ。この体格のせいで男子からずっとからかわれたんだから」

「そうだったのか、すまなかった。では、詫びも兼ねての夕食といこう」


 完成した夕食をダイニングテーブルに並べてゆく。二人分の食器があって助かった。

 客が来た時に無いと困るだろうからと母さんが押しつけてきたのだが、伊達に俺の倍は生きていない。備えあれば憂いなしだ。


「肉じゃがにキノコのバター醤油蒸し、サラダとシジミの味噌汁。まぁサラダはスーパーのカット野菜を適当に器に移しただけだし、味噌汁はインスタントだ」


 白米を盛った茶碗を彩姉に差し出す。彼女は茶碗を受け取りながら、絶滅危惧種でも目の当たりにしたような眼で、夕食と俺の顔を交互に見てくる。


「嫌いな献立でもあったか?」

「……あの律が、こんなに立派な料理をしているのが、なんというか……嘘みたいで」

「最初は面倒だったからコンビニで飲み食いしていたんだが、友達に一人、口うるさいのがいてね。仕方なく始めた」

「へぇ……偉いじゃない。でも、これだけちゃんと作れるなんて……」

「こんなもの、ネットで調べれば作り方なんていくらでも出てくる。さぁ、冷めない内に食おう。漬物もあるから、欲しかったら言ってくれ」

「ん。ありがと」


 二コリと微笑んだ彩姉が両手を合わせて、いただきます、と奇麗な一礼をする。

 手に取った箸で肉じゃがのジャガイモを摘まむと、口に入れて咀嚼して──。


「────」


 その瞳の端に涙が浮かんで、すっ、と頬を伝って顎から下に落ちた。


「……不味かったか?」


 彩姉が口元を覆う。深く顔を伏せて、つむじを俺に向ける。


「……違う。美味しい、わよ……ホントに、美味しい……」

「そうか」

「あったかいご飯って久しぶりで……なんか、安心しちゃって……」

「分かる。一カ月くらいコンビニメシが続いた後、炊飯器で炊いた米を食べたんだが死ぬほど美味かった。のりの佃煮だけで二合も食べた」

「あぁ、それとっても美味しそうね……!」

「あるぞ、のりの佃煮。個人的にはベストオブご飯のオトモだ」


 そして鳴り響く腹の音。もちろん俺じゃない。


「も……もらっても、いい……?」


 少しだけ顔を上げて、彩姉が言った。前髪の隙間から覗く眼は上目遣いをして、俺を見つめてくる。

 親にオヤツをねだる子供のそれにしか見えない姿に、俺は口辺を苦笑で歪めながら、椅子から立ち上がった。


「当然だ。肉じゃがやキノコも少し多めに作った。存分に食べてくれ」

「う、うんっ……!」


 そうして、彩姉は心底美味しそうに夕食を頬張り始めた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る