4.再会2


「彩姉が、何故こんな所に……!?」

「あ、あんたこそ、どうして……!? え、え、えぇぇ──!? こ、ここ、律の家からとんでもなく遠いはず、よね!?」

「親の都合で、高校に進学してから一人暮らしを始めたんだ。この街に引っ越してきたのも一カ月くらい前だ。彩姉こそ、どうして……!?」


 俺には森村彩音という幼馴染がいた。

 祖父の田舎にいた頃、とても良くしてもらった九歳年上の異性の幼馴染──彩姉。


「律、ちょっと……痛い」


 彩姉が居心地悪そうに身じろぎをする。

 気がつけば、彼女の肩を掴んで迫るような形になっていた。


「すまない。久しぶりだったものだから」


 間近で見た彩姉の横顔は、やはり青白かった。どう見ても健康体ではないし、普通の様相でもない。

 そもそも俺が止めなければ、彩姉は今生きていなかっただろう。こんなの普通であるはずがない。


「……そう、ね……うん、久しぶり」


 手を緩める。

 自由になった彩姉は、けれど、その場から動かない。

 背中を少しだけ丸めて、肩を小さくして。俺の手の中に納まったまま、でも、視線は俺を向かずに足元を彷徨わせる。


「ごめ、ん。変なとこ、見せた」


 その表情には、かつて満ち溢れていた自信も、覇気も、何もなかった。


「あんた、大きくなったわね。目標だった百七十センチには届いたみたいで良かったじゃない」


 クソガキだった俺と、憎まれ口を叩きながら遅くまで遊んでくれていた彩姉は、天真爛漫が服を着て歩いているような人だった。


「うん……私なんかよりも大きい。良かったじゃない、夢が一つ叶ってさ」


 こんな──こんな──。


「それに、ちょっと……格好良くなった。ええ、学校でもモテそうな感じじゃない。安心したわ」


 今にも折れてしまいそうな、枯れ枝のような人ではなかった。


「あんたの顔を見れて、ちょっと……元気出た。ありがと、律」


 彩姉が離れてゆく。少しずつ少しずつ。心の底から名残惜しそうに。


「私、行くね。こんなダサいところ、あんたに……見せていられないから」


 そして踵を返す。

 だけど。


「…………」


 一歩を踏み出そうとするができなかった。

 向けられた背中は、とても小さく頼りなく。そして震えていた。

 中学生の時は、あんなに心強く、すっと伸びていた背筋だったのに。


「さよな──」

「仕事は?」


 彩姉が振り返る。


「仕事は?」

「しご、と……って」

「その格好からして、仕事の途中だったと思うんだが、どうなんだ?」

「あ……う、ううん……その……仕事は……もう……な、い、けど……」

「なら後は家に帰るのみと?」

「そう……なるわね」

「俺の家に来てくれないか?」


 彩姉の切れ長の眼が見開かれる。


「で、も……」

「すぐそこのマンションだ。オートロックに宅配ボックス付きの1DK。引っ越しの荷解きも終わってるから奇麗だ」

「そ、そういうのは、うん……心配して、ない。あんた、変に几帳面なところ、あったから」

「あなたから教わった事だ」


 もじもじと、彩姉が身体を揺らす。長い前髪の隙間から覗く瞳は、不安に濡れていた。


「誓って不埒な真似はしない」

「そ、そそそ、そういう事を! う、うぅ、気にして、る訳じゃ……ない、の……」

「では?」

「……匂わ……な、い?」


 宵闇の中でも分かるほど、彩姉は赤面していた。

 くたびれたスーツに乱れた髪、そして青白い顔色。化粧の類は俺にはまったく分からないが、それでも、今の彩姉が限りなくスッピンとやらに近いのは分かる。


「いや。むしろ、いい匂いだと思う。心が落ち着く香水だ」

「これは、その……匂い消しに、強めにつけてて……うぅ、やっぱり匂うんだっ……!」

「そこにコンビニがある。もし気になるというのなら着替えを買うのはどうだ?」

「……ちょっと」

「ん?」


 彷徨わせていた視線を、けれど、必死に俺の眼に向けてくる彩姉。

 その瞳は、不安と、少しばかりの期待が揺れていた。


「私があんたの家に行くの……も、もう、決定?」

「決定だ。反論は認めない」


 俺は腕を組み、ちょっとだけ意地の悪い笑みを浮かべて言った。

 すると彩姉は、幽霊でも見たかのようにはっと息を呑む。


「子供の頃、彩姉はそう言って、俺を引きずり回していたな」

「……今だって、子供でしょ?」

「そうだな」

「……これ、世間的には問題行為、よね? 未成年者略取……とかにならない……?」

「法律は詳しくないので分からない。だが、俺が俺の意思で、あなたを俺の家に招く。それも子供の頃から家族ぐるみの付き合いのある人をだ。社会的には問題ないだろう」


 鼻を鳴らして言ってやると、彩姉はおかしそうに笑った。

 そう。笑ってくれたのだ。

 少しだけ、本当に少しだけだが、その表情に生気が戻った気がした。


「じゃあ……少しだけお邪魔しても……いい?」

「もちろんだ」


 こうして俺は、彩姉と一緒にめんつゆの無いコンビニへ向かった。

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