23.ストレス解消の手段
『なるほどー。『年下スウェット』を書いてたのは現実逃避か。短編は書けても続きモノが書けなくなったのはちょっと分かるかも』
後片付けをしながら秋山にラインで諸々を報告したら、そんな答えが返ってきた。
『どういう事だ?』
『仕事を辞めたから、現実逃避をしなきゃいけない原因が無くなっちゃった訳でしょ? 今の彩音さんには創作活動をする理由が無いんだよ』
『彩姉がweb小説を書いていたのはストレス解消が目的で、趣味ではなかった、という事か?』
『趣味でもあったかもだけど、原動力は嫌な事を忘れたかったからだと思う。少しだけど、そういう気持ちは分かるな』
『そうなのか?』
『あたし、競泳やってる時は集中できて、余計な事を考えずに済むから好きだよ?』
『だが、競泳をやっている時の君はとても楽しそうだぞ?』
『好きなのは間違いないもん。嫌いな事だったら集中するのは難しいでしょ?』
『そういうものなのか。趣味や夢中になれるモノが無いから分からん』
『高浪も見つけたら? そういうの』
『善処はしている』
洗物が終わる。シンクを綺麗に拭き終えてから、部屋の奥のベッドを見た。
そこには、彩姉が静かに横になっていた。ここに至った事情については、秋山には伝えていない。なんというか、さすがに憚られた。断じてやましい気持ちがあった訳ではないのだが……。
以前と同じように自分の寝床の準備をしながら、返信を書く。
『彩姉はもう小説が書けないのだろうか』
『そんな事無いと思う。最初は現実逃避の為だったかもしれないけど、根っこのところは違うだろうし』
『根っこのところ?』
『彩音さんにとって、『年下スウェット』はただのストレス解消web小説じゃないというか。なんだろ、理想?』
『どういう意味だ?』
既読がつく。次の瞬間、スマホが激しく震えた。画面には着信を知らせる通知と共に、『秋山楓』の名前が表示される。
肩越しにベッドの彩姉の様子を窺いつつ、応答をタップ。小走りで外廊下に出た。
「どうした?」
『文字打つの疲れた』
スマホの向こうから聞こえた秋山の声には、苦笑の響きがあった。
「すまない。時間を取らせる」
『気にしないで。私も彩音さんには立ち直って欲しいって思ってるんだから』
「そうだった。そういえば、その時に『大きな借り』があると言っていたが、あれはどういう意味だ?」
『あー……それは』
「……彩姉も競泳をやっていたが……もしかして、君達は昔会っていたりするのか?」
『まぁ、ちょっとだけね。彩音さんはあたしの事なんて覚えてないと思うけど』
なるほど。だからこの前、『世間は狭い』と言っていたのか。
『その話はまた今度ね? 今は彩音さんの事でしょ?』
何でもハキハキと明確に話す秋山らしからぬ歯切れの悪さだった。
気にはなったが、彼女の言う事ももっともだ。
「さっきの小説が理想だとか、どういう意味だ?」
『そこがなかなか伝えづらい』
こっちも歯切れが悪くなった。
『……『年下スウェット』は、彩音さんの夢みたいなものだと思うの』
「……確かに、主人公の『木村愛衣』は現代俺TUEEEみたいな設定ガン積みだが……彼女が彩姉の理想で、『木村愛衣』になりたがっているのか? だが、彩姉は贔屓目無しで綺麗な人だ。学生時代は才色兼備を地で行っていた。特段、意識して目指すような対象ではないと思う」
『それ。彩音さんが起きたら言ってあげて。それだけで彩音さん、今後何があっても絶対に折れないから』
「よし言う。絶対に言う。死んでも言う」
『……あんた、ホントに彩音さん大好きだよね』
そう言った秋山の声は何となく冷たかった。怒っているし、呆れてもいる。
「すまない。何か気に障る事を言ったか?」
『べーつーにー。彩音さんが羨ましいな~って思っただけー。ふんだ』
鼻まで鳴らされた。そのままブツブツと何事か呟き始める。
『キャラクターの設定とかは、それとなくお互いの面影が反映されてるというか。まぁそっちの方が書き手側は感情移入できるからそうしたんだろうけど……』
「……つまり、どういう事だ?」
『つ、つまり、『年下スウェット』は物語の設定やシチュエーションが彩音さんにとって理想で、夢に見たモノを書く事でストレスを解消していたかもしれないってコト』
「……『高津リオ』のような、九歳年下の幼馴染の男の子と同棲する事が、か?」
『そ、そこだけ引っこ抜くと何だかすごくアレだけど……』
正直、サッパリ分からない。
「しかし、秋山は随分とその手の話に明るいな。まさか君も書いているのか?」
『違う違う。親戚に漫画家がいて、若い子の視点と意見が聞きたいってよく読まされてるの。漫画と小説じゃ考え方は全然違うだろうけど、お話を考えるってトコは一緒でしょ? だからこうじゃないかなって』
「君のアニメや漫画好きの源泉はそれか」
『まぁね。それで彩音さん、今日どうだった?』
「思っていた以上に元気だった。昨日バッタリ会った時とは色々違った。ただ」
『ただ?』
「ビール好きになっていた」
『彩音さんの歳を考えたらおかしくないでしょ、それくらい。あたしの親戚にもそういうのいるよ?』
「かもしれないが、スーパーに買い物で寄った時、そこそこの量を買い込もうとしてな。俺が未成年だからと遠慮して買わなかったんだが、事情を聞き出す為の方法として、冷蔵庫にあった親父のビールを飲ませたら水のように飲み干した。あれは日頃から相当飲んでいる飲み方だった」
田舎のじいさんも相当な酒豪で、晩酌を欠かさなかった。ビールを立て続けに三本開けた彩姉は、じいさんを連想させるに充分だった。
『……もしかしてアルコール依存?』
「まさか。俺を理由に自粛する程度には自制が効いている」
『でも、仕事を辞めて今は療養中というか、一人でゆっくりしてるんでしょ? 高浪がいない時は──』
「…………」
秋山の憶測は、ビールの空き缶だらけの汚れた部屋でもそもそと眠る彩姉を想像させるには充分だった。
確かにそうだ。彩姉は実家を出ていて独り暮らし。そして今は疲弊した心を回復させるべく充電期間中──言葉を選ばずに言えばニート生活だ。夕食の様子からして自炊だってしていない。まともな食生活ではない以上、栄養状態だって良くないだろう。
『彩音さんって今の状況、ご家族に言ってるのかな……?』
「分からん。その手の話は彩姉も言っていないし、俺も聞いていない」
『……これ、ものすっごく余計な事かもしれないけど、なんとかして彩音さんのご家族に連絡して、今の状況をちゃんと話した方がいいんじゃないのかな……?』
それはもう、本格的に他人の家庭に足を踏み入れる行為かもしれないが──。
「……確かに余計なお世話極まりない事かもしれんが、アル中の彩姉は見たくない。分かった、親父達に相談してみる」
それから二、三言葉を交わして、俺は通話を終えた。
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