24.「彩姉」 「ん~?」 「一緒に暮らそう」
「なぁ、彩姉」
「なに?」
彩姉がシャワーを浴びた後、朝食を食べながら、俺は昨晩秋山と話した事について聞いてみた。
「彩姉は仕事を辞めた事、ご両親には伝えたのか?」
その質問に、彩姉は狐色のトーストの最後の一切れを食べ終えてから、なんでもないように言った。
「してない。ウチ、親が離婚しちゃってね」
「……なんだって?」
「私の就職が決まった頃にさ。原因は私もちゃんと聞けてない。ただ、お父さんともお母さんとも、なんというか、疎遠かな。特にお父さんとはなんだか距離ができちゃって」
まるで今日の天気を語るかのような気軽さで、彩姉が続ける。
「就職の事はお母さんには伝えたけど、それからほとんど連絡してないのよ。メールで年始の挨拶したくらいかな?」
「……すまない」
「謝らないでよ。私は気にしてない」
「だが……」
「子供がそんな顔しない。大丈夫、今は良く眠れてゆっくりできてるから」
そう言って、彩姉は笑った。
でも、さっき俺をいじった時のような無邪気な子供の笑みではない。
そう、これは笑顔ではない。
何かを諦めた人間の顔だった。
「彩姉」
「ん~?」
「一緒に暮らそう」
「ぶふぇぇふふぅふぶぁっ!?」
彩姉が口に含んでいたヨーグルトを散弾銃みたいにバラ撒いた。無論、俺の顔面に向けて。
「ご、ごめん! ティッシュティッシュ!」
「ソファの脇にある」
「はいこれ!」
「助かる。しかし、これはちょっとしたご褒美か?」
「そぉっ!? そ、そういう変態じみた発言はやめなさい! そういう風に育てた覚えないわよ!?」
「一緒に暮らそう、彩姉」
顔面のヨーグルトを綺麗に拭き取って。俺は改めて彩姉に言った。
彼女は、今度は何も噴き出さなかった。困ったように額を掻いて、もじもじと身体を揺らしている。
「一緒に暮らそう、彩姉」
「あんたはスマホゲームでホームに設定したキャラか何かか!?」
「何度突いても同じセリフしか言わない時はある」
「冷静に返すな」
口を尖らせて、彩姉が続ける。
「そ、それに、あの……あんたまだ十六歳よ? 男子は十八歳からじゃないと結婚できないって法律で決まってるんだから。で、でも……き、気持ちは、ホントに、嬉しいわ……だから二年待ちましょ? それで──」
「何故結婚? え、どこからなんで結婚?」
「?」
「??」
「???」
揃って固まる俺達。おかしい。何故か会話が噛み合っていない。
「だってあんた。今、一緒に暮らそうって」
「ああ。言った」
「そ、それって──プロポーズじゃ」
「待ってくれ。俺はまだ高校生だ。法律的にも経済的にも、なんというか、覚悟的にも無理だ」
「んがあああああああああああああああああああああ!!!」
突然怒号を上げた彩姉が、壁に向かって頭をぶつけ始めた。
「待て待て待て早まるな! そんな脳に直接ダメージを与えるような自傷行為なんてやめてくれ!」
「あんひゃがぁっ! まぎぃらわひいぃっ! ほひょをっ! いうからでひょうがぁっ!?」
「俺の言い方が悪かった! 悪かったからやめてくれっ! 言い直す! 誤解が無いように言い直すから!」
羽交い絞めにして、彩姉を必死になだめる。その内に落ち着いたのか、彩姉の身体から力が抜けた。俺も腕を解く。
すると彩姉がクルリと踵を返して、俺に向き直った。
鼻先まで真っ赤になった泣き顔が、すぐそこにある。
「……どういう意味よ、さっきの」
「彩姉を独りにしておけない」
「…………」
「余計なお世話なのは分かってる。独りの方が気軽って人もいる……こんな事を言っている俺がそういう人間なんだが」
「……それなのに、私と……私なんかと、一緒に暮らそうなんて言うの?」
「彩姉はなんかじゃない。絶対になんかじゃない。俺にとっては森村彩音は本当に大切な人なんだ」
「……ごめん」
「謝る必要は無い。でも、俺みたいな奴がいる事は、頭のどこかで覚えておいてくれ」
「……ありがと」
「ああ。そう言ってくれた方が嬉しい」
「…………」
「それで、どうだろうか」
「どうだろうか、って……急に、そんな事、言われても……困る」
「すまない、完全に思いつきだ。だから仮に彩姉がOKしたとしても、ウチの親が駄目と言えば駄目だ」
「と、当然でしょ、そんなの」
「でも説得する。彩姉が肯いてくれたら、俺は今までの人生で一番になるくらい頑張って説得する」
「…………」
「だからもし嫌だったら嫌と言ってくれ。そしたら二度とこんな話はしない」
「…………」
「どうだろうか?」
そして落ちる沈黙。俺は急かせる事なく、黙って答えを待つ。
考えている間、彩姉はずっと落ち着かない様子だった。苛立ちを示すように貧乏ゆすりをして、頬や鼻先を掻き、頭をわしゃわしゃして、身体をぶらぶらさせて。
そして、ずっと俺の方を見なかった。顔を左右上下に向けて、時々顔を両手で覆ってうーとかあーとか呻く。正直、ちょっと心配になる反応だった。
やがて、彩姉は顔を覆っていた右手を、すっと俺の方へ伸ばした。
白く細い手は、しかし、途中で止まって、躊躇するように宙を彷徨う。
でも、その内観念したのか、俺の服の袖を小さく摘んだ。
彼女の顔を見る。その表情は残った左手で覆われているので確認できない。
けれど、指の隙間から覗く瞳には、拒否の色は浮かんでいなかった。
「よろしくおねがいしまふ」
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