22.柑橘系のフローラルなアルコール臭
「もうない?」
「ああ。三本だけだった」
「ホントに? 四本目、ない?」
「無い」
「う~……」
恨めしそうに見つめられるが、無いものは無い。近くのコンビニにならいくらでもあるだろうが、俺は未成年だから買えない。無論、こんなべろんべろんになった彩姉を買いに行かせる訳にはいかない。
目論見通り、彩姉はビールを全部空けてしまったが、こんなマンガみたいな酔い方をするとは思わなかった。胡乱になった眼はカラになったサバ肉じゃがの皿を見つめて放さず、ちまちまと鰹節と生姜の乗った冷奴を食べている。
なかなかに酒臭いが、これも彩姉から本音を聞き出す為──あ。今日彩姉どうやって帰せばいいんだ? この状態の彼女をあそこまで連れて行ける自信が無い。
「と、とにかく目的を果たさねば」
「もくてき~……? ん~なになにりつぅ! わたしに何のご用かなぁ~えへへあははははは~~~!」
席を立った彩姉がテーブルの脇を回って、何の躊躇いもなく抱き着いてくる。俺は椅子に座ったまま、人懐っこい大型犬のようにじゃれついてきた彩姉を慌てて受け止めた。
暖かくて柔らかい身体が、ふにゅっ、と絡みついてくる。それはもうものすごく、とても激しくだ。
「人生経験豊富な彩姉に質問がある」
「ん~~~~?」
意地悪な笑みを浮かべて。彩姉が俺の太腿の付け根あたりに跨ってくる。視界はぴっちりとしたシャツをこれでもかと押し上げている二つの魅惑の丘に埋め尽くされてしまった。
太腿に圧しかかる柔らかな重みを感じながら、対面で抱き合うこの姿勢は俺の精神衛生上にとんでもない悪影響を及ぼしていると確信する。酒臭さがなかったら実に危なかった。
長引いてはいけない。俺だって健全な十六歳の男子高校生だぞ?
「学校の友達に、突然好きな事ができなくなってしまったヤツがいるんだ。何故だと思う?」
務めて冷静な声で言った。
「すきなことぉ~……? あ~……漠然としすぎてて分かんないわ……その友達っての? その子のじょうほうとか、なんかないの~……?」
「そうだな……そいつはweb小説を読む事が趣味というか、好きなんだ。それが突然読まなくなった」
「はぁ? なんでよ?」
「理由を聞いたら判然としなかったんだ。飽きたとか嫌いになったとか好きな作品が完結したとか、そういう事じゃなかったんだが……」
「そうねぇ~……」
ばふっ、と彩姉が俺の頭に顎を乗せてくる。視界が暗転すると同時に、得も言えない不思議な感触が顔面を覆った。彩姉の胸の谷間に顔面を埋めている事を実感するのに五秒ほど必要だった。
だが、マンガやラノベで言われているような人肌の温もりや柔らかさはない。シャツの生地の感触と、その先にある妙な硬さ。これは──ブラジャーか?
「読んでる時間が無くなっただけとか。他に趣味ができたとか?」
「話を聞く限り、そうした経緯は無かった」
「ん~~~~~」
腕まで俺の背中に回して、ぐりぐりくにゅくにゅと身体をくっつけてくる彩姉。俺は等身大ぬいぐるみか何かか? 息がとてもしづらい。
「現実逃避する必要がなくなった、とかかな~……? あ~……でも、あんたくらいの歳じゃそれはないかなぁ~……」
「いや、参考までに聞いておきたい。是非」
嗅いだ事の無い不思議な匂いに包まれる。甘くて上品なこれは香水だろうか。それともいわゆるアレか。『女の子の匂い』というヤツだろうか。柑橘系だとかフローラルだとか、そういうの。
しかし、それと一緒に強烈な酒臭さが鼻腔を殴りつけてきた。そのアルコールの匂いは、『女の子の良い匂い』と混ざり合って、形容しがたい奇妙な香りへと変質する。
とてつもない悪感を覚えるが、正直助かった。いやもういっぱいいっぱいなのだ俺。悪感の一つや二つに苛まれていないと理性がヤバかった。
「趣味ってさぁ~……歳とるとあれなの、いやぁ~な事を忘れたいから没頭するモンなのよぉ……まぁ人によるんだろうけどさぁ~……」
「嫌な事を、忘れたいから……」
「あんたの友達がどうかはしらないけど……私はそうだったよ~……あのクソみたいな会社に、いた時……さ」
ふと、身体にかかる重みが増した。
彩姉の身体から、力が抜けてゆくのが分かる。
「あんたとの、事、想像してさぁ、ずっと、ずっとがんばってた……がんばるために、クソ上司のパワハラわすれたくて、気持ち悪いもうそうだらけの、小説かいて、ネットに、あっぷし、て、さ……」
「……彩姉?」
呼びかけても返事は無かった。身体に絡み付いていた力も緩くなって、全体重が圧し掛かってくる。頭上からは幸せそうな寝息が聞こえてきた。
どうやら酔い潰れて眠ってしまったらしい。
話は聞けた。それは良かったのだが──。
「この彩姉、一体どうすれば……」
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