11.ピンチはチャンス


『高浪? 秋山だけど』


 ディスプレイに映ったのは、紛れもなく秋山楓だった。

 慌てて時刻を確認するが、まだ十一時前だ。


『う~ん反応ないなぁ……もしかして番号間違えた……!?』

「いや、あっている。高浪だ。だが、まだ午前だぞ。来るのは午後からでは?」

『それが、その。色々あってさ。ダメ、かな?』


 そんなディスプレイ越しに上目遣いで見られても。昨日からやたらこの目線を使われているな。


『そういう本があっても、あたしは気にしないから』

「俺をデリカシーの無い人間にしないでくれ」

『そ、そんな深刻に考えないでよ。むしろ高浪も人並みに異性に興味があるんだなぁって事が分かって安心する、うん』


 何やら変な心配をされていたが、今それは重要ではない。

 キッチンの方では、彩姉が頭を抱えて唸っていた。こちらもこちらである意味非常事態宣言発令中の模様だ。

 まずい。成人女性と二人きりになっているこの部屋に、異性の同級生を上げるのはよろしくない。俺はまだしも、彩姉の社会的地位が危険だ。いや、黙っていればいけるか? 待て待て駄目だ。今の彩姉に満足な返答ができるとは思えない。寝癖も酷いし、明らかに俺の物だと分かるジャージを着ているし。

 ここは秋山に出直してもらうのが最善だ。


『高浪のお母さんも心配してたよ? ラインのメッセージは戻ってきても全部短文だから、ちゃんとやってるか不安だって』

「何故秋山が俺の母親とラインをやっている?」

『中学三年の時からちょくちょくやりとりしてるけど?』


 母はそんな事一言も言っていなかった。


『新生活もはじめてまだ一カ月でしょ? 環境が変わるとずっと緊張しちゃって疲れるから、高浪の事が心配で。あんたはそういうの顔や態度に出さないタイプだから余計に、ね』

「…………」

『……やっぱり迷惑だった?』


 不安そうに表情を曇らせる。

 ああ、くそ。そんな顔をされたら出直してくれなんて言えない。

 秋山は本心から俺の事を心配してくれている──それくらいは分かる。

 それにだ。考えようによっては、これは助け船になるかもしれない。


「君の気持はとても嬉しい。ありがとう、秋山」

『べ、別に、お礼を言われるような事は、その……無いです』

「五分ほど待ってくれ」

『は、はい』


 どうして敬語になったのかよく分からないが、俺はインターホンを切って、テーブルに突っ伏している彩姉に向き直った。


「彩姉」

「はひ」


 彩姉が突っ伏したまま返事した。


「ちょっと買い物に行ってくる。十五分で戻る」

「え。あ、うん」


 俺はテーブルにスペアキーを置くと、部屋を出た。

 外廊下を足早に進み、エレベータへ。そのまま一階のエントランスホールを抜けてオートロックを解除すると、自動ドアが左右に開いた。その先には──。


「……改めて、おはよ」


 秋山がどこか緊張した面持ちで立っていた。ブラウンのロングスカートとニットのセーターに帽子という出で立ちは、活動的な彼女にしては珍しいコーディネートだ。


「ヘン、かな?」

「いや、よく似合っていると思う」

「そ、そっか。うん、そっかそっか──えへへ」


 嬉しそうに眼を細めて笑った秋山は、コホンと咳払いをする。


「で、でも、わ、わざわざ迎えに来てくれなくても良かったのに。あたしは嬉しいけどさ」


 そう言って秋山が頬を掻こうとする。

 その手を、俺は急ぎつつも落ち着いて握った。

 正直、勇気が必要だった。かれこれ四年ほどの付き合いだが、こうして触れるのははじめてなのだから。


「ひゃいっ!?」

「すまん、秋山。ちょっと来てくれ」


 返事を待たずに、俺は秋山をマンション裏の駐車場へ連れ出した。

 がらんとした駐車場の隅っこに彼女と共に移動して、その手を放す。


「突然だが、君にお願いがある、秋山」

「え。な、なに……?」

「今、俺の部屋に『年下スウェット』の作者のYANEAさんがいる」


 秋山はポカンと口を半開きにして。


「YANEAさんは、俺が子供の頃に世話になった人だったんだ」

「……そんなにあたしを部屋に入れたくないの?」


 眼を眇めた。それはもうとても不機嫌そうに。

 この反応は当然だ。俺だって遊びに行った友達の家で突然こんな話をされたら、こういう反応をする。


「逆だ。是非YANEAさんに会って欲しい」

「……ホントに話が見えないんだけど。いや、あんたがこういう嘘つかない人間だってのは知ってるし、つけない人間ってのも知ってる」

「買いかぶり過ぎでは?」


 評価してもらえるのは嬉しいが、俺はそんなできた人間じゃない。

 秋山がおかしそうに肩を震わせて笑った。


「高浪の話はまた今度ね。で? どうしてそんな話になってるの? 事情を話してくれる?」

「ああ、実は──」


 俺は彩姉との再会から今に至るまで──彼女がweb小説『年下スウェット』の作者YANEAさんであると確信したところまで──を端的に説明した。

 最初は半信半疑だった秋山だが、やがて口元を硬くして、何も言わずに最後まで聞いてくれた。


「──という状況だ」

「……話は分かったけど……その、森村彩音さん? YANEAさんだって証拠は?」

「無いが、彩姉がベッドでスマホをいじっていた時間と、YANEAさんの活動報告の更新時間は合致する」

「状況証拠っぽいものであって、物的証拠じゃないでしょ、それ。そもそも、どうして私を会わせようとするの?」

「それは──」


 俺は辛抱強く、同時に手短に理由を話した。


「──とまぁ、そんな感じだ。もちろん無理強いはしない。秋山の言うように、彩姉がYANEAさんである物的証拠は無いのは間違いないからな」

「…………」


 秋山は顔を背けると、腰の後ろで手を繋ぎ、とんとん、と右足のつま先で地面を軽く蹴る。それは躊躇うような仕草だ。

 そうして、どこか探るような気配を滲ませた横目を向けてきた。


「その彩姉は、高浪にとって大切な人?」

「ああ」

「どれくらい?」

「恩人だ。彼女がいなければ、俺は捻くれた子供のまま今に至っていただろう」

「捻くれてはいないけど、やたら頑固でお年寄りみたいに枯れてる」

「どうだろうか。その自覚は無い」

「そうだよ。律みたいな高校生、日本中探したっていないと思う」

「…………」

「もう、そんなションボリ顔しないでよ。一応褒めてるんだから」


 どの辺りを評価してくれているのかまったく分からないので、どんな顔をしていいのか分からなかった。


「それじゃあ、案内してくれる?」


 そう言って、秋山は笑った。

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