10.世間の狭さ
今日は土曜日。世間一般では休みだ。
「女王様のブランチなんて二年ぶりに見たわ」
バターたっぷりの焼きトーストを両手で持ってちまちまと食べながら、彩姉が茫然と呟く。
テレビを眺めながら、俺達はちょっと遅め──起きたら十時を回っていた──の朝食を摂っていた。献立はトーストと牛乳、コンソメスープと昨日の煮物の残り物。我ながら酷い組み合わせだ。
「家に帰っていなかったのは三ヶ月じゃなかったのか? なら土曜のこの時間にテレビを見る事も」
「週休一日あればいい方だったから……」
彩姉がションボリと肩を落とす。いかん、今のはやぶ蛇だった。話題を変えなければ。
「食べ終わったら帰るか? その時は送ろう」
「……あんた、今日は何か予定あるの?」
「午前いっぱいは空いている」
今日は午後から秋山が来るのだ。
「……じゃあ午前中は……いても、いい?」
パンをかじりながら、上目遣いで訪ねてくる。
「別に構わないが……」
「……もしかして、友達が遊びに来るとか……?」
「そんなところだ」
秋山と遊ぶ事を目的にウチに来るのかどうか判然としないが。
「なら、それまででいい。ここにいさせて」
その声音は、懇願のようだった。
もしかして、彩姉は──。
「彩姉。もしかして家を誰かに見張られているのか?」
「え? なんで?」
「いや、家に帰りたくないのかなと思って」
パワハラ上司が復讐の為に張っているとか。まさかそんな馬鹿な事をするとは思えないが。
「そ、そういう訳じゃないけど。その」
「…………」
「あの、えっと……うぅ……邪魔者でごめん……」
しゅん、と彩姉が肩を小さくしてしまう。
「待て待て。誰もそんな事は言っていない。そうやって自分を卑下するのはやめてくれ。俺の言い方が悪かった、別に厄介払いしたいんじゃないんだ。純粋に疑問に思ったのと心配しているだけだよ」
「……でも、律の貴重な休みをこうして邪魔してるのは事実で」
「休みにやる事と言ったら、ゲームをやるか、スマホを一日いじっているかだ。何の生産性も無いクソみたいな休みだろ? だから彩姉が気にする事は一切無い」
「あんたなんて事言うの!? ゲームを遊べば気晴らしになるし、スマホを一日いじれるって事は自由に動画サイトやwebマンガやweb小説を楽しめるじゃない! これがどれだけ幸せな事か分かんないの!?」
彩姉の幸せの定義が途轍もなく心配になった。
不意に寝る間際に思い立った疑問が頭に浮かぶ。
「とにかく、午前中はいてもらっても問題無い」
「じ、じゃあ、もう少しゴロゴロさせてもらうわ」
「存分にしてくれ。ところで一つ質問があるのだが、いいか?」
「ええ、いいけど」
どうカマをかけるべきか。まぁ十中八九考えすぎに決まっているから単刀直入に行くか。
先ほど、彩姉の口から『web小説』という単語が出てきたのが、些か気になるところではあるが。
「彩姉はweb小説を読むのか?」
「ええ。時間が無い時でも楽しめるから結構読むわ。もしかして律も?」
「彩姉と同じ理由で嗜んでいる。特に現代ラブコメは実にいい」
「あ、分かる! 異世界でも現代でもラブコメって普遍的でいいわよ、大好きなジャンルよ!」
「では、『年下の幼馴染が私を好きすぎてスウェット姿でビールを買いに行けない』という作品を知っているか?」
「ぶふぅっ!?」
彩姉が飲んでいた牛乳を噴出しかけた。
「けほっ、こほっ……! し、しししししし知ら、なひっ……!」
「一時期はランキング常連にもなって書籍化やコミカライズも囁かれた名作だ。才色兼備の完璧超人ながらプライベートはズボラの化身のようなOLが、歳の離れた幼馴染の少年と再会し、色々な事情から共同生活を送る事になる、という内容だ」
「…………」
「幼馴染の少年は生活能力に長けていて、無垢な愛情をOLに向け、彼女を支えてゆく。OLはそんな少年に自分の本性を悟られまいと、必死に完璧超人を演じ続ける──そのドタバタが面白くて心地が良く、そして何が起ころうとOLを敬愛し、無垢な愛情を向ける少年に尊みを覚えずには……? 彩姉?」
気がつけば、彩姉がテーブルに上半身を横たえて、重ねた腕の中に顔を埋めてバンバンとテーブルを叩いていた。長い足は無理矢理プラプラと揺らされて、とにかく落ち着かない様子だった。
ふむ──これはもしかして──もしかするのか?
「大丈夫か? どこか痛むのか?」
「ち、ちが、ちが、うぅ……!」
呂律の回っていない答えが返ってきた。本当に大丈夫か?
「り、律は、あの、えっと……そのweb小説が、す、好きだったり、するの!?」
「書籍化すれば読む用、保存用、保存用が汚れてしまった時の予備の保存用、布教用等複数買いするくらいには」
「ぶっふぅんっ!」
「高校受験で忙しかった時に癒されてな。今も何度も読み返している。昨日深夜に活動報告で作者が近況を語ってくれて、どうやらエタった訳ではないようなのだが、作者の発言がどうにも気になってな」
「……そ、そう」
彩姉は沈黙した。ただ、視線は泳ぎまくり、頬は引き攣りまくり、肩は小刻みに震えまくっていた。
まさか──これは本当に、まさか──?
その時、部屋の呼び鈴が鳴った。
「出てくる」
硬直している彩姉を残してインターホンを取る。こういう時、オートロックは便利だ。
壁に埋設された小さなディスプレイに、エントランスホールで呼び鈴を鳴らした相手が映し出された。
『高浪? 秋山だけど』
何故だ?
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